人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

今日の四国新聞で、高等教育の無償化について触れられていました。

2013-04-16 20:16:27 | 仕事と研究
 今日、『四国新聞』(香川県の地方新聞)の、「一日一言」のコーナーで、貸与型奨学金の問題や、高等教育の無償化について触れられてました。給付型の奨学金に関して、日本はすごく遅れている、とも。
 貸与型奨学金って、結局ただのローンなんですよね。うちの親はあれは借金だから借りるなと言ってたけど、自分の今の状態を鑑みるに(どう考えても返せるはずがない)、親の判断は正しかったな…と。でもそれも、当時の親に私の学費やら生活費やら下宿代やらを出すだけの余裕があったから可能だった話で、教育のあるべき姿ではないですよね。

 『四国新聞』はすごく地域に密着した、田舎っぽい新聞だと思ってたので、こういう問題に興味のある記者さんがいたんだと思って、ちょっとびっくりです。
 新聞のこういう(天声○語とか、一言居士とか、そういう)コーナー、受験対策になるとかいう噂がまことしやかに囁かれているけれど、こういう記事が増えれば、受験生が読む意味も、あるんじゃないのかな。

 

文体論の提案:私はムラカミハルキが苦手

2013-04-15 09:42:26 | 仕事と研究
 世間では村上春樹の新刊が出たというので、お祭り状態みたいですね。
 でも、私は以前どこかに書いたと思いますが、春樹は苦手。好きとか嫌いとかいう以前に、全然読めないのです。だから、宮台真司の言うように「村上春樹の新刊は糞」なのかどうか、私にはまずもって判断のしようがない。
 とは言え、「人文系ライターの養成」を提案する当ブログとしては、ちょっと一言ぐらい、言及したほうがいいですよね

 基本、小説は愉しみであり、贅沢なんだから、好きなものを読むべきだと思っている私。でも、ときには必要があって、苦手な小説についてアプローチしなくちゃいけない場合があるかもしれない。そういう場合に、文体論は有効です。

 「読めない」というレヴェルで苦手な場合、文体に何か原因があることが多い。だから、何が苦手なのか、ということを突き詰めてゆけば、文体的な特徴が見出だせると思います。

 村上春樹の場合、極端に情報量の少ない文章が続くことが、特徴だと思います。しかも、情報量の密度が一定のまま、延々続く。たいていの場合は、軽い、情報量の薄い文章がいくつか続いても、一つの段落に一文ぐらいは、ぐっと、圧縮した文章があるものです。でも、春樹の場合はそれがない。
 その、一定な感じが、心地よい人もいれば、私みたいに苦手、読めない!という人もいるんだろうな、と思います。

 因みに春樹は、米文学の翻訳をたくさんしてますが、私、米文翻訳調も苦手なんですよね。かなりテイストが好みの小説でも(例えばジョナサン・キャロルとか)、文章はちょっと読みにくい。
 何なのか考えてみたら、米文翻訳調って、一文が短いんですよね。しかも、文章と文章の接続が明示されないまま、ばらばらと置かれる。
(ついでに言うと、「僕は…だったんだ」「僕は…だよ」的な文体も苦手なんですが、これについてはまだツメて考えてないです)。
 英語は簡潔だというイメージがあるのでそういうものだと思われる方もいるかもしれませんが、関係代名詞やコロン、セミコロンで続けてゆく方法はいくらでもあるので(修士の院試のときに、そういうの、出たよ)、たぶん、米文学の特徴なんだと思うんです。英文翻訳調の場合は、そんな風に感じませんし。

 私は独文翻訳調みたいな、息の長い文章のほうが好きなんですよね~。トーマス・ベルンハルトみたいな(あれはちょっと特殊ですが)。

補記(教養の構築)

2013-04-05 21:32:34 | 仕事と研究
 昨日書いた記事、
 確かに院生やポスドクが物書きとして食べてゆくなんてのは現実的な話ではないと思うんですが…、研究費の足しくらいにはなっていいだろうと思ってます。ふだんお金を払ってでもものを書いている人間にとって、小遣い程度でもお金を稼げたらラッキーだろうし、こどもに勉強教えるよりはよっぽど楽しいと思うの。

 なにより、私の理想として、人文系の院生であれば、(人文系の内容であれば)ある程度的を射た書評を書けるだけの教養があってしかるべき、ということがあって。教養体系を構築する手段の1つとして、書評講座ってどうだろう、なおかつそれがキャリア形成にもつながれば…、ということを考えてます。

 …って考えてるだけなんですけど、いまは大学から離れてしまっているので。

人文系ライターの養成?

2013-04-04 19:45:01 | 仕事と研究

今日ののすけちゃん。内容とは関係ありません。
ロコちゃんがお庭に出てるときに、可愛く座ってたから写真撮ろうとしたけど、逃げていったよ。

 今日はなんだか疲れてぼんやり。昨日、一昨日と足をつったり夢を見たりして(火事の夢。って、夢占いとかで確実になんかありそうだよね)、いい眠り方ができなかったせいかな。この辺でちょっとたくさん寝ないと、感覚がおかしくなりそう。


 最近、ネット上であまりにひどいと話題になっている書評などを見て思ったのですが。書評や文庫の解説、新聞の文芸欄や美術展のレビューor紹介などは、やはりきちんと専門的な訓練を受けた、読むことの専門家がすべきだと思うのです。自然科学系の内容を一般の人々に紹介する場合には、れっきとした「サイエンスライター」というものがいます。一方で人文系の分野(特に文芸)に関しては、あまりに専門家が少なすぎる。単なる現場のカンみたいなものだけでやっていて、修士以上の人間だったら絶対にしないこと、例えば情報のもとを辿らずにそのまま断言しちゃうとか…、を平気でする(ことがある)。

 確かに、書評や文庫解説が、作家やエッセイストの主要な収入源になっている…、ということは想像出来ます。ただね、だったら院生やポスドクが書評や文庫解説を主要な収入源にしてもいいんじゃないかと…。その人の名前で書評や文庫解説が書かれてたら売り上げが上がる、というレヴェルの作家が書くんならともかく、一般の読者にとっては、例えば鮮やかな読みの転換とか、コンパクトで分かりやすい要約など、書評として優れた点があったほうがいいだろうと思います。一般の読者が読んでも気づかなかった点に気づかせてくれるような、思ってもみなかった場所に連れて行ってもらえる書評のほうが。

 院生やポスドクの文章は、確かにかたくて、圧縮しすぎる傾向はあります。ですがそこは一般の人にむけて書く訓練をしてゆくなかで、だんだん修正されてゆくと思う。というか、研究の成果を還元する訓練としても重要だし、実際に還元するという意味でも重要。いま、大学での書評講座はたぶん千野帽子さんとかがやってたと思うんですけど、大学院でのキャリア教育として、だれかカリキュラム組まないかな…? 地方新聞とか、地方の情報誌とかと組めば、院生が書いた記事でもわりあい載せてもらいやすいんじゃないかなあ。

 もう一点。ときどき豊崎由美さんとかが「思ったことを思ったまま書けばいいと思っている」と文句言ってるのですが、これはおそらく小中学校で書かされる読書感想文・作文の弊害だと思うのです。戦前の綴り方的なものからずっと続いてる、「思ったことを思ったままに書きなさい」と言うことで、ありうべき感情の型に当てはめようとする教育。これは「説明するな描写しろ」ということなんだ、ということを以前書きました描写と説明について
 この弊害を何とかしなければ…。でも、どうやって? 
 誰か読書感想文を廃止してください。


キャリア教育について

2013-03-17 12:00:09 | 仕事と研究
 長い長い学生生活が終わり、お金をもらって仕事をするようになってから(仕事がない時期も多かったけど)考えるのが、お金をもらって仕事するとはどういうことなんだろう、ということです。

 仕事と人生は別!という考えは、既に何度か書いてきたことですが、そうじゃないと、資本の論理が全てになってしまうから。仕事は仕事として、実存と分けて考えることによって、資本の論理を離れた倫理観や価値観を持つことができる。これが私の考えです。個人が倫理観を持つことができなくなってしまったら、選挙する意味もないしね。マジョリティがマイノリティを抑圧する構造が、問題化されないままになってしまう。
 これは実存とか、意味の問題。

 ただもうひとつ、お金がないと食べていけないのも事実で、この事実がある限り、存在=お金になってしまう。これは生存の問題。白石嘉治は、この問題を解決するために、というか、我々は無償で存在している、という考え方から、ベーシックインカムを提案するわけだけれども(『不純なる教養』青土社、2010年)。

 じゃあこの、ひとつ目の問題(実存の問題)とふたつ目の問題(生存の問題)の関係はどうなっているんだろうということが、私のなかで整理がつかない。別々の問題だから、関係なくていいのかもしれないけど、でも、どちらも「キャリア」について考える場合、重要になってくること。

 最近は大学でもキャリア教育が熱心に行われていますが、キャリア教育に関して私が息苦しさを感じるのは、これは学生の問題じゃなくて、制度や社会の問題でしょ、と思うことってたくさんあるじゃないですか。でも、学生の就職率を少しでも上げないといけない…、となると、そのどうしようもなく問題のある社会(というか会社?)に順応させないといけないわけで。いまのキャリア教育に携わっている人たちは、折り合いをどうやってつけているのか。
 企業の論理に騙されるんじゃなくて、会社を騙す賢い就活生になりなさい、と教えるか、あなたがどんな人間であっても雇ってもらえるようなスキルを身に着けなさい、と教えるか…、なのかな。