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人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

artists@war: 17世紀、戦火の下の芸術家たち:危機の時代を生きる

2022年08月06日 | 特別記事




17世紀:「リシリューの時代」?
Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598-1648, second edition, Oxford, Blackwell, 1979, 2001, cover


17世紀のヨーロッパは、戦争やペストなどの疫病、インフレーション、飢饉(ききん)、さらには魔女審問など、多くの混乱と不安にあふれていた。同時代には地域的に見れば「オランダの黄金時代」などもあったが、歴史学ではしばしば「全般的危機(The General Crisis)」や「17世紀の危機」とも言われている。他方、このブログでも一端を論じてきたように、そこに見出される異常な現象の多くは、著しく増幅した形で今日の世界を襲っている。

すでに3年に近いコロナウイルスのグローバルな感染の拡大、ウクライナへのロシア軍侵攻、各地の森林火災、食糧危機、米中対立など、いずれも地球規模での影響をもたらしている。人類の危機さえ感じるほどだ。

17世紀ヨーロッパの戦史を時系列、国別に概観してみると、いかに多くの戦争がヨーロッパで起きていたかが、歴然とする。とりわけ、17世紀前半には戦争が記録されていない年は見当たらないほどだ。政治的動乱などを含めると、大小の戦乱は西はイベリア半島から東はウクライナにまで及んでいた(Parker 2001, Map 1)。平和より戦争が時代を動かし、支配する起点となっていたと言っても過言ではない。


文化的刺激となった戦争
この時代の芸術活動、文学、絵画、音楽、演劇などの多くが、戦争をテーマとしたり、戦争と強い関連を持っていた。「歴史が取り上げる主題、そして議論は戦争だ」(Sir Walter Raleigh)というのもあながち誇張ではない。

17世紀ヨーロッパの画家の中には、各地の王侯貴族の庇護の下に、作品制作をおこなっている者もいた。彼らは従軍画家のように、しばしば軍隊に同行し、戦争の主要場面を絵画作品として記録してきた。著名な画家と作品の例としては、ヴェラスケス《ブレダの降伏》やジャック・カロ《ブレダの包囲》がある。

ディエゴ・ヴェラスケス《ブレダの降伏》
The Surrender of Breda
Diego Velázquez(1634–35)
Oil on canvas, 307 x 367cm
Museo del Prado, Madrid, Spain

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N.B.
この作品はヴェラスケスの傑作の一点と言われているが、画家が1625年6月5日、80年戦争の間、ブレダの征服をしたスペイン軍将軍アムブロージャ・スピノーラの軍に同行し、1634-35年の間に完成した。画面にはブレダの市の鍵がオランダの所有からスペインへ渡される光景を描いている。戦いは現在のネーデルラント、ベルギー、ルクセンブルグを含む17州がスペインのフィリップII世に対し反乱を起こしたことによる。作品はスペインのフィリップIVの依頼により制作された。
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ジャック・カロ《地図:ブレダの攻略》
1628年、エッチング
123.0 x 140.5cm
国立西洋美術館

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N.B.
必ずしも画家の作品の中では忘れられがちだが、80年戦争の間にネーデルラントで出版された最も情報量の多い地図と言われる。新教徒軍の要衝であったブラパント地方の町ブレダは、10カ月にわたる包囲戦の後、1625年6月5日スペイン軍の手に落ちた。画面中央の城壁に囲まれた小さな町がブレダ。
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戦争が大きな打撃を与えた文化領域
戦争が時代の文化活動に与えた影響は、多様にわたっていた。例えば、音楽は大きな影響を受けた。大規模なコンサートなどはほとんど中止された。多くの音楽家が戦火を避けて中央ヨーロッパから逃げ出した。

閉鎖を余儀なくされたのは、ドイツが多く、the Musikkranzlein (ウオルムス、ニュールンベルグ)、the Convivia Musica (ゲルリッツ)、musical ‘colleges’ (フランクフルト、ミュールハウゼン)などは閉鎖に追い込まれた。多くは財政的な支援が絶たれて存立不能となった。

多くの音楽家、文学者などの芸術家が戦地を逃れて、離れていった。プロテスタントに対する迫害など、宗教上の理由から各地を転々とすることもあった。

ロレーヌでは戦争の拡大と共に、ロレーヌ公の庇護が無くなり、ジャック・カロ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、クロード・ロランなどのような画家たちが、それぞれ安全な地へ逃れる状況が生まれた。ドイツなどでは、画家の作品が損傷される、略奪される(特にスエーデン軍が多かったと言われる)、画家が迫害される、殺される、追い払われるなどの厳しい環境悪化が見られた(Parker 2001, p.217)。


30年戦争当時、ロレーヌに侵攻してくる外国軍の中で、スエーデン軍はとりわけ横暴、残虐との噂が流布していたこともあり、その後ドイツの家庭では、ぐずる男の子に手を焼く母親が、(言うことを聞かないと)「スエーデン軍が来ますよ」Die Schweden kommen と脅かしたともいわれる。もちろん、今日では使われない(Geoffrey Parker, 2001, p217.)。さて今ならば?


しかし、この時代、戦争の当事者が長引く戦争に疲弊し、なんとなく休戦状態に入るなどの”ゆとり”があった。平和への希求も強く、平和を求める音楽活動などがあったことも知られている(1627年のミュールハウゼンの会で、音楽家ハインリッヒ・シュルツが「平和の勝利」を意味する Da acem (‘Give us peace’)の作品を披露した例などが知られている。

「美しい戦争なんてあり得ない」 ゼレンスキー・ウクライナ大統領夫人


Reference
Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598-1648, second edition, Oxford, Blackwell, 1979, 2001.
N.A.M. Roger, War as an Economic Activity in the "Long" Eighteenth Century, International Journal of Maritime History, XXII, No.2 (December 2010): 1-18







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