時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

誰が作品の「美」を定めるのか(8)

2023年08月12日 | 特別記事

photo:YK


明らかに気象上の異常としか思えない酷熱の日々が続いている。カナダ、ハワイなどの熱波による山火事は友人、知人の目前にまで迫ったようだ。「地球温暖化」の時代に有効な政策がとられなかった間に事態は「地球沸騰化の時代」(国連アントニオ・グラーレス事務総長)へと進んでしまった。

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例年、下谷鬼子母神などの「朝顔市」で買い求めていた朝顔の苗に代わり、今年は種子から育ててみようと思い立った。袋詰めの種子を買い、指示に従い、一昼夜水に浸した上で、薄く土を入れたパットに蒔いてみた。数日して2、3枚の葉がついた後、植木鉢に植えてみた。成長は予想外に早く2−3週間の後に開花した。自然の摂理に感動する。しかし、酷暑の日差しには厳しく、花は半日くらいの命である。
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酷熱の日々が続く中、暑さしのぎを兼ねて始めた「美術史の棚卸し」のような試みだが、現代に近づくにつれて美術史自体の展開に迫力を感じなくなってきた。これはあながち酷暑と加齢のもたらした結果ではないと思いたい。前回に論及したWood(2020)の美術論の力作を読んでいても感じられる。

Woodの著作は、序論に始まり、最初は800-1400年、その後は1400-1500年、1500-1550年、1600-1650年と次第に区分が短くなり、1900年以降は10年刻みとなって、1590-1960年での議論で終わっている。著者はこれ以降の時代について、議論することに意欲を失ったかのような論調である。美術史の衰退、終焉? いったい何が起きたのだろうか。

ハンス・ベルティング(元木幸一訳)『美術史の終焉?』勁草書房、1991年(Hans Belting, The End of the History of Art?, University of Chicago Press, 1987, 原著はドイツ語版)



ブログ筆者もこれまで、美術の鑑賞、探索にはかなりの時間を費やしてきたが、20世紀後半からの現代美術については、いつの頃からかあまり魅力を感じなくなった。現代美術の展覧会、美術館にも出かけるのだが、展示された作品の中に惹かれる作品に出会うことが少なくなった。会場の外に出ると、次第に忘れてゆく始末である。

かつては星空の星座の中で、ひときわ輝く星のようなカノン(canon; 規範的作品)のような作品に出会うことがしばしばあったが、そうした体験をすることが少なくなった。なぜ、こうした事態に至ったのか。暑さの中で、いささか荒削りだが、メモ代わりに記してみよう:

美術史の誕生と展開
16世紀以前:
現代の視点から見て、芸術家や作品を歴史的視点から体系化し、記述し、美術史といえる試みが登場するのは、16世紀イタリア・ルネサンス期であり、ヴァザーリの『芸術家列伝』がその代表として挙げられる。芸術家(画家、彫刻家、建築家)の評価を歴史の推移に沿って、彼らの作品と共に叙述している。ヴァザーリはその『列伝』において、体系的な図像分析のための基礎的技術を確立したといわれ、20世紀のイコノロジー研究につながる内容を備えていたといわれる。

18世紀から19世紀後半:
この時期は美術史の隆盛期かもしれない。作品の鑑定技術に進歩が見られ、ルネサンス期から継続しての「イコノグラフィ」(図像学)もキリスト教考古学の発展とともに、美術史の重要な方法論として確立された。

20世紀前半:美術史の土台
この時期には、それまでの基礎の上に、「様式」に大きな重みを持たせた「様式論」がルネサンスやバロックなどの様式概念と相まって、美術史学を支える基本的枠組みとしての役割を強固なものとした。とりわけ、ヴェルフリンによる『美術史の基礎概念』(1915)はその発展を支える中心的存在であった。



他方、ヴァールブルグとパノフスキーによる新たな方法論イコノロジー(図像解釈学)は、それまでの様式論が作品の形態や表現形式などの外形を通じて分析しようとしていたが、この新しい方法論は作品の主題や意味自体に着目し、作品を生んだ文化全体と合わせて、作品に込められた意味を解読しようとするもので、画期的であった。

しかし、美術史は次第にそれまでの活力を失って来たかに見えた。様式論とイコノロジーを中心に展開してきた美術史学は、大きな転換期を迎えたように思われた。1985年に刊行されたハンス・ベルティング『美術史の終焉?』(上掲)は、こうした流れを予期する早い時期での問題提起であった。それでは、なにがこうした変化を生み出したのだろうか。

断絶・分裂の時を迎えて
大きな転機は20世紀後半に入って出現した。背景には、これまで「巨匠による傑作」 (masterpiece)、言い換えると「カノン」(canon: 規範的作品)が、時代の主流や表現方式を代表し、主導してきたかに見えた美術史の主流に厳しい批判が加えられた。批判の対象には、これまで「カノン」とみなされてきた「巨匠」による作品や画家のみならず、こうした風潮を支持、形成してきた美術史論の著作までも含まれると考えられる。強固であるかに見えた美術史、とりわけ西洋美術史、美術史論は20世紀後半を迎え、急速に地盤の分裂、崩壊の危機を迎えた。

このように急激に台頭した従来の美術史への批判の論拠には、多様な要因が含まれていた。まず、美術史という歴史の一領域を形成し、時代を牽引してきた背景には、それが西洋という領域概念により強く支配されてきたという重大な偏りが存在することに、初めて批判の矢が向けられた。しばしばアーリア民族の偉大さが誇張され、カノンの選定に反映したとの批判も生まれた(Woodにはそうした考えはないようだ)。

従来の美術史がヨーロッパ、北米中心であったとの強い批判が生まれ、激しい議論があった。さらには、非西洋、女性、マイノリティ、労働者の世界での美術史などが、これまで劣位に置かれてきたことへの批判、そして復権の動きも高まった。

ブログ筆者はかなり以前からジャック・カロ、ハンス・ホガース、オノレ・ドーミエなどの社会批判を含む画家・銅版画家、20世紀初頭の児童労働、L.S.ラウリーなどの産業革命、労働者実態、社会批判などを主題とした画家などに関心を抱き、その一部を記事にしてきた。

さらに、新しく登場した映画、写真、ビデオ、アニメなどの視覚的表現手段は、ほとんどまともに美術史の対象としては顧みられなかったことへの批判も生まれた。これらのどの部分を新たな美術史のどこに位置づけるか。

「ニュー・アート・ヒストリー」の登場
1980-90年代を迎え、さまざまな要因を背景に生まれてきたのが、「ニュー・アート・ヒストリー」(New Art History: NAH)といわれる歴史的な潮流であった。それまでの美術作品、なかんづく「傑作」とされる作品が生まれるに当たっての政治性も明らかになった。NAHはアングロ・アメリカンの産物ではある。ただ、ドイツ語圏ではほぼ同様な潮流が存在した。美術品分析の対象としての「様式」”Form”は「表象、描写」”representation”によって取って代わられた。重点の在処は作品制作の結果から過程へ移行した(Wood pp.405-406)。

美術史領域の拡散と断裂
17世紀以来の美術史は、大きな壁に突き当たり、その存在自体が危ぶまれている。
かなり明瞭なことは、相対主義(Wood 2020)が現代美術史の基礎を占めることである。
カノンが生まれる領域が大きく拡大した。後世に残る偉大な作品は、全ての時と場所での機会をとらえて作られるのだ。

新しく浮上した美術に関わる知識の視野が広がったことで、各社会が適切な基準について独自の考えを持っていることが明らかになった。Woodは作品が制作された時代に関連しての個々の美術作品を判定すべきとの立場のようだ。

カノンは静態で存在するのではない。歴史上、新しいものが来たり、古いものが去り、時には見直されて戻ってくる。しかし、断裂・分断が進んだ美術史が修復され、再生、継続が可能となるだろうか。背景にある社会変動と密接な関わりを持ちながら、急速に崩壊、衰退、分裂、破断が進行した美術史、美術史論の学問領域が、新たな活力を持って再生することは至難に思われる。

「美」を定める者の位置関係や数は大きく変化し、近い時点で安定して説得的な状況が実現するとも思えない。美術史学が近代以前の学問領域へと自らを限定、後退する感も否めない。新たな「美術(史)観」の浮上、安定化にはかなりの時間を要するのではないか。炎暑の中での妄想であれば、それにすぎることはないのだが。

終わり


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