時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(75)

2006年05月22日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

ラ・トゥールは日本に3点も来ていた
  ラ・トゥールという画家に関心を抱くようになってから、かなりの数の作品を見てきた。といっても、真作といわれるものは40点くらいだから、数自体はとりたてて多いわけではない。しかし、よくもこれだけ散らばったと思われるほど、世界各地に作品が散在している。結果として、特別展などで集められた折に見た作品が多いことになる。個人や王室所蔵などのため、こうした機会でないとご対面できないものもある。そのため、特別展は楽しみでもあり、できるかぎり足を運んできた。

  思いがけず、盲点であったのは足元の日本であった。台湾のある博物館長をしている友人と話をしている時、たまたまラ・トゥールに話題が移った。この友人は画家でもあり、アメリカの大学で教壇に立っていた経験もあり、折に触れて色々なことを教えてもらってきた。思いがけなかったことは、ワシントンDCとソウルで日本から出展されたラ・トゥールの作品を見ているという。

ワシントンに集まった3点
  ワシントンDC(およびキンベル・フォトワース)の特別展(1996年11月6日ー97年1月5日、3月2日ー5月11日)については見ているので知っていたが、ソウルまで作品が行っていたとは思わなかった。

  今考えてみると、ワシントンの特別展には多少の時間的ずれはあるとはいえ、少なくも一時は日本の収集家や美術館が所蔵していたと思われるラ・トゥールの3点が、すべて勢ぞろいしていたことになる。このラ・トゥール展には『聖トマス』、『リボンのあるヴィエル弾き』および『煙草を吸う男』の3点が出品されていた。

  『聖トマス』は現在、国立西洋美術館の所蔵するものとなり、多くの人が親しく見ることができるようになった。ワシントン展当時は日本の収集家Ishizuka Collection(石塚博)の所蔵になっていた。この時の展示が、日本から出て最初の公開展示であったようだ(テュイリエによると、1991年6月22日、クリスティ・モナコでオークションにかけられ、Ishizuka Collectionが落札したとある)。

  ちなみに、他の2点についても簡単に紹介しておこう:

『リボンのついたヴィエル弾き』 (断片)
Le vielleur au ruban, a hurdygurdy player with a ribbon.c.1630-1632, The Prado, Madrid. Oil on cancas, 84x61cm
  
  記録によると、この作品は最初1986年イギリスで美術品市場に現れ、ロンドンで修復された後、日本のコレクターIshizuka Collectionの手にわたった。その背景は、東京とパリで画廊を営む友人から少し聞いたことがあった。Ishizuka Collectionの所蔵になってから公開展示されたのは、このワシントン(およびフォトワース)展が初めてらしい。

  1990年にピエール・ロザンベールによって発見され、評価が公表された。その後、ロンドンに戻り、1991年12月16日(13日と記した資料もある)、クリスティ・ロンドンで競売にかけられ、プラド美術館がおよそ1900万フランで入手した。

  来歴その他さまざまな点から検討された結果、元来は全身を描いた作品の一部とみられている。ラ・トゥールの他のヴィエル弾きとモデルも同じと思われる。しかし、細部はかなり異なっている。特に頭部と楽器につけられたリボンが判別の特徴点である。  

『煙草を吸う男』
Le souffleur a lá pipe. Boy Blowing on a Firebrand,  Tokyo Fuji Art Museum Oil on canvas, 70.8x61.5 cm. c.1645-1650, Signed upper right corner: La Tour fec...

  この作品は、最初南フランスの個人のコレクションであり、1973年に発見された。そして、1985年12月3日パリのDrouotで売りに出された。この作品も1990年東京富士美術館の所蔵になってから、初めてアメリカの特別展に出展されたらしい。テュイリエによると、1973年にロザンベールが発見、評価をしていた。ちなみにソウル(1990)で展示されたのは、この作品であった。詳細については、別途とりあげてみたい。

  当時はかなり人気があったとみられ、コピーなどで少なくも9枚の作品が存在することが明らかになっている。オランダ派の作品と思われたこともあった。

  主題やサイズなどから、中程度のブルジョアの家庭で求められた作品と考えられる。若い男が火のついた棒から煙草へ火を移そうとしている。宗教的含意などがあるわけではないが、当時の風俗としてよく見られた情景であったのだろう。居間などに掲げることで、人々は心の安らぎを感じたのだろう。

   『リボンのついたヴィエル弾き』がプラドへ行ってしまったのは今となると大変残念だが、日本で2点を見ることができるのは大変うれしいことである。

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