時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

17世紀の色:裏から見た作品(2)

2021年10月08日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋




1972年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの大回顧展がパリ、オランジュリーで開催された。しかし、40年近くが経過した今では、当時の状況を知る人たちは、きわめて少なくなった。ブログ筆者は仕事でパリに滞在しており、幸運にもこの歴史的な展覧会を見ることができた。オランジュリーでは、当時あまり例を見ないといわれた長い行列ができていたことが印象に残っている。およそ35万人というひとりの画家の作品展としては、記録的な観客数であったといわれていた。

17世紀ヨーロッパの美術愛好者にとっては、それまで散発的に展示されていた多くの謎に満ちた画家の作品が、初めて包括的に展示されたという意味で、きわめて強い印象を残した。ブログ筆者の手元には当時のLe Monde紙の切り抜き(下段に掲示)があるが、美術欄で大きな紙面を割いて、この画期的な展覧会について記している。

「昼の作品」の発見
なかでもそれまで「夜の画家」といわれてきたこの画家について、初めて「昼の画家」としての作品が発見されたことを報じていた。今では画家の名前は知らない人でも、絵は見たことがあるという《
ダイヤのエースを持ついかさま師》が大きく取り上げられていた。あの一度見たら忘れられない顔である。

かくして、この画家の作品には「昼の絵」、「夜の絵」という区分が生まれた。この画家に魅せられ、作品を仔細に見るようになったブログ筆者は、この区分はあくまで後世の美術史家、ジャーナリズムなどの間に生まれた便宜的なものであり、画家自体がそうした区分を意識していたものではないと考えてきた。画家が意識していたとすれば、テーマが宗教的なものか、世俗的なものかのいずれかであったにすぎない。

事実、ラ・トゥールの作品を見ると、「昼の絵」といえども背景は陽の光など自然光を思わせる色は使われていない。背景には、場所を示すような具象的なものは、ほとんど何も描かれていないか、微かにしか描かれていない。この画家は主題を伝えるに不必要と思うものは徹底して描かなかった。代わりに、必要と考えるものは老人の顔の皺から髭1本に至るまで、現代の写真も及ばないと思うほどリアルに描き込んでいる。画面に余すことなく仔細に描きこんでいるフェルメールのような画家とは全く作品に対する考えが異っている。

ラ・トゥールの作品の背景は暗褐色ともいうべき不思議な色で支配されている。色には微妙な濃淡があり、あえて光源らしきものを求めると、蝋燭や燭台が描かれている場合は別として、神の光ともいわれるどこからともしれない光が差し込んでいるだけである。そこで使われている画法といえば、キアロスクーロ*1といわれる明暗の効果を、黒色系の濃淡を持って強調した特異な手法テネブリズム*2であった。ラ・トゥールの色調はカラヴァッジョとは異なるが、カラヴァッジョの影響を受けていると考えられる。イタリアとロレーヌという地域の文化的風土の違いも影響しているだろう。

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N.B.
*1 キアロスクーロ chiaroscuro (Italy)
「明暗」という意味で、画面上に光による明暗の効果を描き出す画法であり、レオナルド・ダヴィンチが創め、その後カラヴァッジョが画法として深め、カラヴァジェスティなど17世紀画家の間に広がった。実際には様々な意味で使われている美術用語だが、17世紀にはスペインのホセ・デ・リベーラ、ローマ在住のドイツ人画家アダム・エルスハイマー、さらにカラヴァッジョ、ルーベンスなどによって充実し、北方の画家、フランスのラ・トゥールなどに伝わり、様々な展開を遂げた。

*2 テネブリズム tenebrism (English)
「暗闇」の意味のイタリア語 tenebra に由来。17世紀に流行した背景を暗くし、人物など主要モティーフに光を当て、明暗を強調した絵画手法。カラヴァッジョの影響を受けたカラヴァジェスティに広く見出される。
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17世紀にあっては、画家は画材の準備から顔料の調達まですべてを自らのできる範囲内で行わねばならなかった。工房における親方、徒弟制度が形成されたのも、そうした下準備を行うためでもあった。カラヴァッジョは自らの工房を持たなかったとされ、社会的にもならず者として逸脱、放埒な人生を送ったため、いかなる形で画業の修業を行なったか定かでない。

他方、ラ・トゥールはロレーヌという戦乱、悪疫などが襲うことが多かった地域で画家としての生涯の多くを過ごした。しかし、そうした中でも工房を維持し、画業を続けた。ブログ筆者が長年にわたる探索のテーマとしてきた社会における熟練・スキルの蓄積、形成のあり方にも関わっている。

続く

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