時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

モントリオールの思い出

2019年04月12日 | 午後のティールーム

 

たまたまTV番組で、タクシーで「モントリオールを走る」(再放送)を見た。これまでの人生でかなりの数の外国都市を訪れてきたが、この都市にはとりわけノスタルジックな思いがある。学生時代に友人たちと貧しいながらも楽しい日々を過ごし、その後は仕事でかなりの回数訪れている。多分50回は優に越えていると思う。友人・知人も多かったが、今は数人になってしまった。

モントリオールとの縁ができたのは最初は1960年代、ベトナム戦争たけなわの時代であった。アメリカの大都市では黄色い衣、を着たヒッピーが目立ち、反戦運動が報じられていた。ベトナム派遣を忌避してカナダへ逃げる学生もいた。ちなみに 1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は 終戦となった。

モントリオールとニューヨークは、同じ北アメリカの都市でもかなり違うように思えた。とりわけ、道路や橋など公共資本がかなり荒廃していた当時のニューヨークと比較すると、モントリオールは落ち着いた美しい都市であった。地理的には、セントローレンス川とオタワ川の合流点に近い島であり、川を望む展望が美しい。周辺には多くの景勝地が点在する。このブログでも一部は記したが、日本ではあまり知られていない所が数多くある。一時はこの大河の流域の植民、開発を新たな視点で描いてみたいと思ったこともあったが、その時間はないようだ。それでも、16世紀半ばから1760年までのいわゆる植民地時代、モホーク・インディアンなどの先住民の居住地やジャック・カルティエ広場など、植民者の名前が残る場所など、記憶が鮮明に残る場所も多い。

セントローレンス川は大河であり、流域には広大な大地が広がっている。移民国家としても、一時は混乱もあったが、総体として出入国管理、共生政策が比較的巧みに運営されてきた。北米3カ国の国境で、カナダ・アメリカ国境は比較的静かにとどまっている。先住民との衝突も多かったが、広大な地域の思いがけない所にまで入植者が入っている。

今では、モントリオールはカナダ第二の都市であり、住民の大半がフランス系カナダ人を中心にしたヨーロッパ系だが、世界各地からの移民も多い多民族都市になっている。筆者がしばしば訪れた1960-1980年代頃は総じて英語が優位なような印象が残っている。友人、知人も多くは英語が得意な人たちが多かった。ほとんどが移民あるいはその子孫であり、フランス系、ベルギー系、ロシア系など出身国は様々だった。

「北米のパリ」とも呼ばれ、ノートルダム大聖堂などフランス入植者の歴史が色濃く残る。住民の大半が フランス系カナダ人を中心にしたヨーロッパ系だが、市内の人口の約32%は非白人と世界各地からの移民も多い。TV取材の対象となった運転手もほとんど移民で、フランス語が得意な人たちが多かった。今では、周辺地域を含むモントリオール大都市圏の人口は約380万人であり、モントリオール大都市圏の住民の7割弱が 第一言語をフランス語とし、フランス文化の薫り高い異国的な雰囲気、フレンチ系の美食レストランが多いことでも知られる。

他方、都市部の住民の1割強の第一言語は英語であり、19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて英国系移民によって街が発展してきたことから ヴィクトリア朝の建物が多いなど英国文化も色濃く残る。地上を歩いていると、人通りもさほど多くなく、落ち着いた感じがするが、冬が厳しいので地下街が発達していて、暖かくショッピングができる。モントリオール郊外は、北には ローレンシャン山地、夏は キャンプ、冬はスキー などのアウトドアレジャーで賑わう。秋の「メープル街道」も有名だ

大都市の例にもれず、モントリオールも高層ビル群が目立つが、市内のモン・ロワイヤル山(233m)より高いビルの建設は禁止されている。ちなみにこの山頂からの眺望は昼夜を通して素晴らしい。日本には美しい山と川がこれほど町に近く、対比できる大都市が見当たらないが、景観だけで見れば札幌などが近いだろうか。

 

◆「モントリオールを走る」NHKBS! 1月12日(土)【BS1】20:00~20:50の再放送

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