大倉草紙

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【日光街道】 1日目(日本橋~梅島) その2

2011年02月02日 21時00分00秒 | 街道をあるく
12月25日(土)
1日目(日本橋~梅島)その1の続き


(10:21)
浅草橋を過ぎ、左手に見えるのは駒形どぜう本店
情緒あふれるこの建物は、何度か火災に遇っているが、その度に復元しているのだそうだ。


(10:27)
雷門
雷門の向かい側、区立浅草文化観光センターの場所に、一里塚があったらしい。


(10:38)
仲見世を通り、あげまんじゅうを買ってみた。
これがとても美味しい。


(10:39)
浅草寺でお参り。


(10:43)
浅草神社の前を通り、隅田川方面へ。

すぐに左手に見える花川戸公園は小さな公園だが、いろいろと面白いものがある。

(10:46)
履物問屋街発祥碑


(10:47)
こちらは姥ヶ池なのだが、石碑破損のために修復中。
「姥ヶ池は、昔、隅田川に通じていた大池で、明治二十四年に埋立てられた。浅草寺の子院妙音院所蔵の石枕にまつわる伝説に次のようなものがある。
 昔、浅茅ヶ原の一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井から吊るした大石の下敷になって死ぬ。それを悲しんで悪行を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので、里人はこれを姥ヶ池と呼んだ。
  平成八年三月八日 建設 東京都教育委員会」(案内板より)


(10:48)
姥ヶ池福寿稲荷大明神


(10:47)
助六歌碑
「助六にゆかりの雲の紫を
  弥陀の利剣で鬼は外なり 団洲」と刻まれている。
九世市川団十郎が自作の歌を揮毫したもの。
関東大震災で土中に埋まってしまった碑を発見し、この地に再造立されたのだそうだ。


(10:53)
突き当たりは、隅田公園
隅田川を望みながら、少し早いがお昼ご飯。


(11:08)
隅田公園には、多くの歌碑が建っている。
こちらは、「春のうららの隅田川♪」の花の碑
武島羽衣自筆の歌詞が刻まれている。


(11:18)
近くの今戸神社沖田総司終焉の地だというので寄ってみた。


(11:19)
こちらの絵馬は招き猫。
招き猫発祥の地なのだそうだ。
あれ?でも、豪徳寺も招き猫発祥の地だったけど……。


(11:20)
社殿


(11:22)
社殿の中にも招き猫。


(11:22)
こちらの招き猫を写真に撮って、携帯電話の待受画面にすると良いのだとか。


(11:21)
今戸焼発祥之地の碑
招き猫発祥の地は、今戸焼と関係があるようだ。
伝説では、江戸時代末期、この辺りに住んでいた老婆が、貧しさのために飼っていた猫を手放したところ、その猫が夢枕にあらわれたのだという。
「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」という猫の言葉に従って今戸焼で作った猫の人形を売ったところ、評判になったのだそうだ。


(11:21)
沖田総司終焉之地の碑
「沖田総司は当地に居住していた御典医松本良順の治療にも拘わらず、その甲斐なく当地にて歿したと伝えられている
 碑字は橘右近書」(案内板より)

つづく




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