大倉草紙

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【日光街道】 9日目(宇都宮~大沢) その2

2011年03月21日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月9日(日)

9日目(宇都宮~大沢)その1の続き


(11:30)
国立栃木病院の門を入ってすぐのところに、宝の木がある。
「本木は寛文十年頃、今より約三百五十年前、現在の宝木地区の一部に六軒と呼ばれた集落が有り、ここに広さ約一〇〇メートル、高さ約四メートルの古墳のような大塚があり、そこに老木があった。
名の知れぬままに当時の住民は『宝の木』と呼んでいた。
明治五年土地区制が施行され、六軒付近の十集落が併合され、この老木『宝の木』の名称に因んでこの地区を宝木村と称した。(以下略)」(案内板より)


(12:02)
その先、桜並木を過ぎたあたりに、上戸祭の一里塚がある。
こちらは、左手に見える一里塚。
江戸(日本橋)から28里の地点だ。


こちらは反対側。
この上戸祭の一里塚は、昭和58年に修復されたのだそうだ。


(12:31)
光明寺


(12:32)
光明寺本堂。
光明寺は、徳川将軍日光社参の際の休憩所として使われたそうだ。

光明寺の向かい側の路地のどこかに静桜と呼ばれる桜があるというので探してみたが、見つからなかった。
そのまま街道を進む。


(13:54)
やがて東北自動車道が見えてくる。
東北自動車道の手前に、高谷林(こうやばやし)の一里塚がある。
江戸(日本橋)から29里。

つづく

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