大倉草紙

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【東京・世田谷区】 豪徳寺

2009年12月24日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
11月4日(水)
当日の行程:(小田急線・経堂駅) → 【世田谷八幡宮】【勝光院】【世田谷代官屋敷】【荻泉翁コレクション ― 藝に游ぶ ―(世田谷区立郷土資料館)】【豪徳寺】【世田谷城址】【松陰神社】


豪徳寺は、世田谷城主・吉良政忠が、文明12年(1480)に伯母の菩提のために建立した弘徳院を前身とする。
寛永10年(1633)、彦根藩世田谷領の成立後に井伊家の菩提寺となり、豪徳寺と改称。
招き猫の発祥の地でもある。
彦根藩第2代藩主・井伊直孝が、鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった時、一匹の猫が手招きするので寺に立ち寄ったところ雷雨となり、雨に濡れずにすんだとか、木の下で雨宿りをしていた時、猫が手招きをするので猫に近付いたところ、先ほどまで雨宿りをしていた木に雷が落ち、命拾いをしたとか、いくつかのバリエーションの招き猫伝説が残っている。


総門


総門からまっすぐ進むと仏殿なのだが、木々が繁っていてよく見えない。


三重塔


仏殿(正面)


仏殿(横)


鐘楼


本堂


招猫殿
井伊直孝を助けた猫が死んだ後に建てられた。
猫観音が祀られている。
猫の死後、この猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになったそうだ。


招猫殿の脇の招福猫奉納所には、たくさんの招き猫が納められていた。


井伊家墓所には、井伊直弼のお墓もあるのだが、墓石修理のために立ち入り禁止だった。

 
社務所の入り口にも猫、猫……。


お札の見本の名前は、「彦根市彦根城 ひこにゃん殿」。
井伊氏つながり。
あれ? そうか!今まで気が付かなかった……どうしてひこにゃんが猫なのか。
豪徳寺の猫だったとは!
こちらは、彦根城を訪れた時の記録。
こちらは、井伊家の始祖が祀られている井伊神社を訪れた時の記録。


豪徳寺の御朱印