7月19日(日)
当日の行程:(車) → 【伊勢神宮(外宮)】 → 【猿田彦神社】 → 【伊勢神宮(内宮)】 → 【尾崎咢堂記念館】 → 【田丸城】 → 【斎宮歴史博物館】 → 【いつきのみや歴史体験館】 → 【斎王の森】 → 【三井家発祥地】 → 【松阪商人の館】 → 【本居宣長旧宅跡】 → 【本居宣長記念館・鈴屋】 → 【松阪市立歴史民俗資料館】 → 【松阪城】 → 【新上屋跡】 → 【本居宣長・春庭の墓(樹敬寺)】 → 【御城番屋敷】 → 【北畠神社】 → 【霧山城】 → (津泊)
本丸跡にある霧山城跡の碑
霧山城跡は、館跡のある北畠神社から比高差約240メートルの山頂に位置する。
霧山城は、北畠親房の子・顕能が、興国3年(1342)に築城。
永禄12年(1569)、織田信長は滝沢一益に命じて霧山城を陥落させる。
北畠具教は、信長の二男・信雄を養子に迎えて和議を結ぶが、天正4年(1576)、隠居していた三瀬館にて信雄に暗殺され、廃城となった。
霧山城登山口は、北畠神社の裏手にある。
山道は整えられている。
途中にあった案内板
見辛いが、緑色が霧山で、左側の黄色い部分が「鐘撞堂跡」で、更に進むと(右側)「本丸跡」「米倉跡」「矢倉跡」が残っている。
鐘撞堂跡
鐘撞堂跡がある場所は、標高562メートル。
本丸跡
米倉跡
矢倉跡
山頂からの風景
山並みが美しい。
風が涼しく、木々がざわざわと音を立てるのも心地よい。
暗くなりかけていたし、雷の音が遠くに聞こえてきたので、長居ができなかったのは残念。
夏の日にお弁当と本を持って霧山城に登り、一日ゆっくり過ごしてみたいと思った。
今まで登った山のなかで、一番気持ちが良かったんじゃないかな。
当日の行程:(車) → 【伊勢神宮(外宮)】 → 【猿田彦神社】 → 【伊勢神宮(内宮)】 → 【尾崎咢堂記念館】 → 【田丸城】 → 【斎宮歴史博物館】 → 【いつきのみや歴史体験館】 → 【斎王の森】 → 【三井家発祥地】 → 【松阪商人の館】 → 【本居宣長旧宅跡】 → 【本居宣長記念館・鈴屋】 → 【松阪市立歴史民俗資料館】 → 【松阪城】 → 【新上屋跡】 → 【本居宣長・春庭の墓(樹敬寺)】 → 【御城番屋敷】 → 【北畠神社】 → 【霧山城】 → (津泊)
本丸跡にある霧山城跡の碑
霧山城跡は、館跡のある北畠神社から比高差約240メートルの山頂に位置する。
霧山城は、北畠親房の子・顕能が、興国3年(1342)に築城。
永禄12年(1569)、織田信長は滝沢一益に命じて霧山城を陥落させる。
北畠具教は、信長の二男・信雄を養子に迎えて和議を結ぶが、天正4年(1576)、隠居していた三瀬館にて信雄に暗殺され、廃城となった。
霧山城登山口は、北畠神社の裏手にある。
山道は整えられている。
途中にあった案内板
見辛いが、緑色が霧山で、左側の黄色い部分が「鐘撞堂跡」で、更に進むと(右側)「本丸跡」「米倉跡」「矢倉跡」が残っている。
鐘撞堂跡
鐘撞堂跡がある場所は、標高562メートル。
本丸跡
米倉跡
矢倉跡
山頂からの風景
山並みが美しい。
風が涼しく、木々がざわざわと音を立てるのも心地よい。
暗くなりかけていたし、雷の音が遠くに聞こえてきたので、長居ができなかったのは残念。
夏の日にお弁当と本を持って霧山城に登り、一日ゆっくり過ごしてみたいと思った。
今まで登った山のなかで、一番気持ちが良かったんじゃないかな。