杉原道ほか
2021年 3月10日(水)
No186徳山小話で、私は鉄嶺峠は坂内~西横山を結ぶ線だから徳山とは関係ない、と書いたら、MKさんから下の「コメント」を頂いた
「徳山の本郷地区から江州を目指すとき揖斐川の左岸を下り、、今の西横山の橋(藤で作った橋、本当の藤橋)を渡り鉄嶺峠を越えて、、坂内の諸家から新穂峠を越えて滋賀方面へ・・・」と
揖斐川図書館では、藤橋村史は貸出禁止で借りれなかったが、付録の地図を見せてもらった(下図①)
① 小嶋西北山筋小絵図元禄(1698)11年)
上記絵図を見ると左岸側に道がある、鉄嶺峠の記載はないがその峠道も、そこで2016年から手持ちの ② 細見美濃国絵図(天保5(1834)年)を見ると、それにも揖斐川左岸に上記地図と同じく「小道」、峠道、が書かれている
灯台下暗し(人は身近なことには案外気がつかないもの)というが、① 徳山村史に徳山ー杉原間はあまりにも断崖絶壁、容易に道をつくりことはできなかった(p774)とあり、② 現R417が右岸を通っていること、③
ダム建設地点を建設前に右岸側から左岸を見たとき、とても小道があったと想像できなかったが、自分が以前から持ってい、何度も見てきた細見‥絵図に、左岸道があったとは気がつきませんでした。MKさん、コメントありがとうございました
杉原道の難所:場所は定かではないが、手前が低いので左岸側と思われる。高所恐怖症の私は、こんな桟道歩けない 徳山村史p772
☆ 近世の道路(車が通れる程度)開削
・杉原道 明治40年(上の桟道写真も40年以降か?)
・馬坂隧道 昭和8年完成(隧道から本郷までの道路は昭和19年)
・門入ー本郷間 昭和28年開通
☆ 江戸時代の徳山村内の峠
No186で、徳山から村外(県外)に出る峠のことを書いたので、あまり知られていない、村内(県内含む)の峠を紹介します
・戸入峠:折ヶ瀬(上開田)から戸入への近道。「文明4(1472)年4月4日増徳寺」と刻字された地蔵尊があったそう※p99、※2p768
・戸入ー門入にあった地蔵尊「願主:増徳寺・文政5(1822)年」※2p768
・杉原又(スイハラマタ):(戸入から)藤橋村杉原へ峠越すると大変近い ※p209
・シキビ峠(上開田ー山手)※
・牛首峠、戸入峠(戸入ー上開田)※
・ 鳥ん峠(戸入・広瀬又付近)※
・ブナの木峠(戸入ー門入)※
・オオトウゲ、コトウゲ(戸入ー西杉原)※
細見美濃国絵図(赤線=小道)を参考に、※3を参考に峠の位置を(大体に)書いてみました
★ その他
・絵図で門入は西谷川右岸にあった
・絵図に藤橋のつり橋は載っていなく、東西杉原間につり橋が書いてあった
・本郷ー池田間、本郷ー漆原間の小道がなかった
・絵図では冠山から津汲(久瀬村)まで小道は揖斐川左岸を走っていた
・絵図①②にはホハレ峠~門入の小道の記載はなかった
・門入出身のIさんから、入谷→ 蔵ヶ谷(五十間手前から尾根沿いに)西谷(長者平方面とオセビ方面)へ行く道を教えてもらったが、地理院地図に書き忘れました
※ 美濃徳山の地名、※2 徳山村史、※3 藤橋・徳之山の風土資産絵地図
☆ 特記
江州への道 昔は門入から入谷(千回沢山と不動山の間を抜けてタンド谷を下り、赤谷を溯って?)高倉峠を越えて越前南条郡との往来もあったように思われるが、門入・戸入からの道の本命は、やはり黒谷を経て、ホハレ峠を越え、川上・八草峠を経て江州木ノ本への道である。この道は賤ケ岳の戦い(1583年)以後、本郷の増徳寺が曹洞宗に改宗し、江州・・洞寿院との関係が生まれ、その寺へお参りする人ができるようになって開けたと思う(徳山村史p768)
★ 私は、本郷の人のお寺は福井の誠照寺だから、本郷の人が横山経由で江州へ行くとは思わなかったが、信仰心のあつい徳山の人は苦難して行ったんですね。
ちなみに門入の多くの人々(34/36軒)は浄土真宗の誠照寺(ジョウショウジ)、2軒だけが禅宗(増徳寺)← 門入おこし協力隊メモ Iさん談より
★ 前にも書きましたが、徳山村史、美濃徳山の地名、細見美濃国絵図など読むと、新しい発見があります。今回のコメント、ありがたかったです
☆ 余談
・コメントを頂いたMKさんのヤマレコ記事(トガス)を読ませてもらったら、昨年秋にホハレ峠地蔵尊の後に建てられた観音様?が壊れて倒れている(足が折れている)写真があった。犯人は地蔵尊を外した人かも → 罰当たりめ!!
★ 最後まで、読んでいただき、感謝!!