奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

徳山小話(西谷の巻)No186 0305

2021-03-05 09:58:33 | 雑談

2021年 3月 5日(金)

 昭和の終りころ、旧徳山村には8集落(466世帯)ありました。揖斐川左岸側に徳山(本郷)、櫨原、塚、右岸側に下開田、上開田、山手、戸入、門入。私は2回(S49~56、H12~14)と足して9年9ヶ月徳山で働きましたが、東谷、西谷の表現を聞いたのは2回目の時でした。徳山富士と同じく、地元の人はそう呼んでなかったのかもしれません

 さて、西谷の話、門入中心になるかもしれません、なぜ!!、門入は徳山の門、そして戸(戸入)を入って本郷へ、人は死ぬると墓(塚)へ、と、よく聞かされた

 徳山の人のお坊さんは、ほとんどが福井県、一部滋賀県から来られました。越前からは冠峠、檜尾峠、高倉(こうくら)峠、道街戸(街道)、越前越(街道)杉の谷峠、美濃俣丸、近江とはホハレ峠、鉄嶺(くろがね)峠、根尾村とは馬坂峠、越谷(こいだに)[藤橋・徳の山の風土資産絵地図(作・編集「風土工学研究所」「発行徳山ダム建設所」(※2)より]

 私は鉄嶺峠は坂内~西横山を結ぶ線だから徳山とは関係ない、逆に広瀬又(戸入~坂内村広瀬)を入れるべきと思うが、、よそもん(私は福岡県生まれ)は黙っておこう、!! では、西谷のお話をしましょう、先ずは、ホハレ峠、次に名滝、洞窟etc

1 ホハレ峠(ほほ腫峠) 登るのに、頬が腫れる程苦しい峠。坂内村川上の書付には「入坂 ほうはれ峠」とあり、川上より門入へ越える峠。峠の地蔵は門入に向いている。根尾、徳の山から坂内に止まらず、更に八草を越えて江州に通ずる大事な道筋である(坂内村史)。門入は昔坂内村に属していたから(坂内に)資料も多い(※p245)。→ 私の昨年7月のブログ「ホハレ峠3-1~3-3」も見てね

 2019年4月時点では地藏尊はなく(被害届でている)、昨年秋は仮の地蔵(観音様?)が据えられていた(写真省略)

 

2 不動の滝 国土地理院1/20万地図[岐阜]を広げると1/2.5万地図でいう[広野]のところに不動の滝がある。この門入にある滝は、昔福井の猟師が熊を獲って泊まり、黄金の不動尊を見た(徳山村史)、雨乞いの滝でもあった。とある。今年門入泊でこの滝ツアーを計画しよう 

 三段の滝だが写真は一番下の段、この日は水量が多かった(手前の白いのは雪)2006年7月30日撮影

 

3 弘法穴 徳の山三大洞窟と言えば① 弘法穴(門入茂津谷:水銀鉱の旧坑道を古老は弘法穴と称している。水銀鉱山師は弘法大師の流れを引く真言宗一派との関連を暗示している(村史より)、② コウモリ穴(〃入谷:水銀採掘坑跡で蝙蝠が住みつき糞を採取して売ったそうだ)、③ ナガモチ穴(下開田アツン谷:洞窟内の熊を人が入って突き出して、出口で猟師が出てきた熊撃つ)※(美濃徳山の地名)、※2より

 外側から見た弘法穴 門入Iさんと5度探し失敗、6度目に探し当てた 2017年11月 4日撮影

 

 余談1 徳山・坂内境の烏帽子山(1242m)、門入ではヨボシと呼ばれる。日本山岳誌に「ワントムズ山」標記されている。ワントは坂内の椀戸谷で、ムズは門入の茂津(もず)谷といわれる・・(坂内村史)。細見美濃国絵図でには「武図棒立」という記名がある。烏帽子山一帯を、ムズ地域いわれ、西方にクドムズ、北にゴンドムズ、東南にムズ、南にワンゾムズがある(門入の人の話)※p247

 

 ③ の コウモリ穴 2016年 5月21日撮影、門入にはカワウソ穴(西谷川シモトダテ上)もある→ 門入3穴

 

 余談2:糞で思い出した。知多半島に鵜が沢山集まる池があり、当然に沢山糞をする。地元の人がその糞を集め売って小学校を建てた。その小学校、糞立小学校というそうだ(話半分で聞いてください)

 ★ 前稿(No185 徳山小話:東谷の巻)の感想をある人に聞いたら、”長くて読まなかった”、と答えられた。この稿、此の辺で失礼いたします

 

☆ 道路情報

・R417徳山ダム以遠(徳山ダム管理所から塚方面)明日3/6 冬期通行止め解除(徳山ダム管理所横看板で3/4確認)

・折越峠(根尾下大須~越波(おっぱ)への道路 4月末解除を予定(3/5本巣市役所林政課聞き取り)

・池田温泉から池田山への道路、(工事看板で)3月31日まで→ 4月1日解除(3/4現地確認)

 

コメント (3)
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