奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

高洞・面平山・柳島山 ほか No276

2022-02-26 15:53:53 | 山登り

高洞494m 1/2.5万地図[美濃神海(岐阜7-2)]、面平山528m・柳島山468.8m[下洞戸(岐阜3-3)]

高洞2022年 2月24日(木)5人、面平山∔柳島山2022年 2月26日(土)3人

 JAいび川本店から高洞駐車地(往復59キロ)、〃柳島山駐車地往復101キロ

 

 ぎふ百山踏破など、人それぞれ趣味がある。私はぎふ百が124座のうち25座、「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース」上下に載っている山(上巻70座のうち7座、下巻77座のうち14座)が21座残っている

 また国土地理院1/20万地勢図「岐阜」に山名が載っている山(岐阜県内)は全部登ったが、1/2.5万地形図(岐阜1-1~12-2)の42

枚(岐阜県内)に名がある山は25座登っていないので一つ一つつぶしている。→→残り人生と私の体力を考えると、ぎふ百はあきらめているが、こんなに∔1/2.5万地図(石徹白6座除く)は登れると思っています

 

 そんなことで上記3座(こんなに2座高洞と面平山∔岐阜3号 -3[下洞戸]の柳島山)に登ってきた

 

 

〇 高洞については「ブログ:城台山日記」が詳しいので、そちらを見てください。けど、少し写真で紹介

 

2月24日(木)8:49登山口過ぎてすぐに鳥居

 

 巡視路が終わり左折する手前の巻道の入口、行きは気が付かず(わからず)、帰りのみ巻いた。目印が何もなかったので、赤布を付けました(帰り12:10に撮影)

 

10:45 山頂手前の倒木 首からぶら下げているのは邪魔(転んで首吊りの原因になるかも)

 

10:55 山頂

 

山頂から見える白い山はどこの山?

 

12:19 帰りの風景

 

次に今日(2/26)登った山に

面平山(おもてびら山)と柳島山

 

8:34 バス停近くの空き地に駐車

 

9:37 山頂手前のお宮通過

 

9:50 山頂着(登り約70分)

 

~柳島山駐車地へ移動~

 

11:00ころ 天神神社入口(帰り13:13に撮影)

 

11:15ころ 柳島山登山口(帰り12:55撮影)

 

12:12 柳島山頂なのに、寺尾 秋葉山 頂上公園と書いてある。三角点名は天神、天神神社からとった点名か!!

・登り50分の予定が70分もかかった

12:13  山頂看板の裏面

 

・・・道の駅洞戸で遅い昼食、JAいび本店に帰りました

 

☆ 今日の反省など

・面平山は登山道がしっかりしており、行きも帰りも楽でしたが、柳島山は一部不明瞭なところがあり、赤布を7本ほど付けました(帰り全部回収)

 

 

☆ おまけ

 2/23にNo275「地名の読み方は難しい他」を書いたあと、私の山友Kさんからの質問を思い出した

 Q:徳山の下開田の上谷山の隣の「鏡山」はなぜ鏡山なのか?

 そのとき、私は漆原村(下開田の昔の名前)を初めて切り開いたのは17歳の娘(美濃徳山の地名🅟77)といわれているので、その娘が使った鏡が山に残っていたのではないか!と適当に答えましたが、平成12年作成の「藤橋・徳之山の風土資産絵地図」(平成12年作成・編集「風土工学研究所」)裏面 6⃣ に、貴人の来訪を伝える10地名⑥⑦に三種の神器になぞった「鏡山」「鏡岩」とありました

 →→ 私の答えの方がロマンがあるね

 ⑧には「お正月の着衣初めの儀式になぞった「ギソ(着衣)」の山」とありました ギソ←上谷山のこと(ブログNo273参照)

 → Kさん、私のブログたまには開いていますか?

 

※ この絵図は多分揖斐川図書館にはないと思います

・写真右の「半中」、同絵図の解説では、雷倉と能郷白山の峯半分に位置する「半中」(標高1,000m)(白谷・根尾村境界)とあり

・惣吉山は、美濃徳山の地名🅟25では「惣吉家の山畑耕作地や栃山がある。」と説明されていますので、半中の俗称ではないと思います。また櫨原の点名「西勝谷963m」が、扇子のように谷が入りこむ「扇の間」(標高963m)と書いてあったのにはビックリ。私としては再調査(櫨原出身の人に聞き取り)要ですね!!

 

私の徳山村の資料はこんな程度、半中・西勝谷の解説はありませんでした。手前の小冊子は私が作りました


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