奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

烏帽子山敗退ほか 1028 No153

2020-10-30 02:30:00 | 山登り
烏帽子山 1242.2m 1/2.5万地図[広野、美濃川上]
2020年10月27日(火)~29日(木)2泊組3名
      27日~28日(1泊組2名)
行程
27日:12:30揖斐集合= 13:30ホハレ峠→ 15:30門入I山荘(奥揖斐山荘本拠地)
28日:5:36山荘発→ 6:50茂津谷左岸→ 第一林道→10:00 地図の1042m手前で2泊組敗退決める10:40(昼食)→11:30第一林道→ 13:13茂津谷出合→ 14:20山荘着
29日:8:00山荘発→ 9:36船ヶ丸(お茶)9:46→ 山荘(昼食)12:20→ 14:10ホハレ峠→ 揖斐
 
 烏帽子山:以前はホハレ峠から烏帽子山直下まで林道が通じていたので登頂は比較楽だったが、今では藪に覆われて通行が不可能となった。そのため近年は残雪期に椀戸谷(旧坂内村)から同谷と茂津谷(旧徳山村)を分ける尾根に上がり、これを北西に辿って登頂することが多い(椀戸谷、池ノ又出合から6時間)
 他に茂津谷を出合から忠実につめて登頂することもできる(※)
(平成17年発行:日本山岳誌より)

 烏帽子山:今は、上記のとおり、椀戸谷からから沢登りか残雪期登山が一般的であるが、今回は(※)の徳山側から登ろうと計画、すると5名集まった(2名は仕事の都合で1泊で帰るという)


 10月27日13:34 ホハレ峠(駐車地)から戸粕(神ヶ岳)方面

 初日は移動日。2日目、早朝発、西谷林道を茂津谷のところで降りて渡渉、茂津谷左岸から尾根に取り付く

 
 6:51 河原から登る尾根を望む

 山の登ろうとすると石垣が、そう昔の田(圃場)の跡地があった。門入の人はここまで稲作に来たのだと感心する

 どの山でもそうだが、道のない山は、いきなり急登から始まる。木の枝など掴みながら上る。しばらくすると最初の林道を横切り、更に上ると笹ヤブが現れる。木のヤブ、笹のヤブに時間をとられ、地図にある1042m手前で10時、出発から4時間半既に歩いている


 10:19 樹間から烏帽子山を望む
 
 11時に山頂に着かなかったら、撤退を決めていた。標高はあと200mと少しだがこれから2回目横切る林道へは50mほど降りる。平面図の距離でまだ5分の2ほど残っている
 山頂に着いて帰る元気があるか、登って帰っても日が暮れるのは確実。無念ではあるが2泊組(2人)はここで引き返すことにした
 1泊組は、登頂後、引き返して2番目に横切る林道で帰る予定(下図の青線)であるため、林道で行くか行かないか判断するという。ここで2人とサヨナラする


 11:06 参考に、この道なき道を歩いた


 11:35 一番目の林道(廃道)


 11:40 林道下のヤブ、林道上のヤブより楽だった


 13:13 茂津谷出合で靴を脱ぎ、サンダルに履き替え渡渉
(左の奥へ西谷川が流れる、右から茂津谷の流れが入る)

☆ 今日の反省など
・ここまで藪だと思わなかった。だが、敗退は新しい挑戦に繋がる
・帰り、3回ほど別の尾根に下りかけた(赤布をもっとつけるべきだった)
・1泊組(2人)は(帰りの藪が想像できないため?)、烏帽子登頂はあきらめ、日本山岳誌でいう「藪で通行は不可能となった」林道を5時間かけて帰ったとのこと
・2泊組のもう1人(沢登り)は、12時に登頂できなかったら引き返すと茂津谷出合で別れたが、途中で深みにハマり、撤退、山荘に15時ころ戻ってきた
・当然に、15時から(缶ビールで)残念会を開き、風呂に入って、17時から(黒霧島で)反省会再開(就寝は20時すぎ)
・I山荘のオーナー、3日間、お世話になりました

29日

 9:36 船ヶ丸(959.7m)三角点


 9:38 船ヶ丸のブナ林

27日の夕食

 16:32 麻婆茄子、自家製落花生、黒豆の枝豆、ユッケ(コンビーフ+ネギ+卵黄)、肉野菜炒ほか

29日の昼食

 11:35 初霜(いびの新米)のご飯、なめこの味噌汁、鮭、餃子ほか、ビールは飲まず


 青い線は1泊組の帰ったコース(私の想像で書きました)

☆ 言い訳
 当初、最短の烏帽子山北東からの尾根(西谷川左岸のカワウソ穴対岸付近)から登る計画をしたが、Iさんからの助言(今回コースの方が道が残っており登りやすい)を聞き、変更した。ダムで移転されてから30年以上経ったのだから、道がなくなっているのは当然。せめて船ヶ丸への尾根くらいの踏み跡があれば、烏帽子も登れたと思います
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする