奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

昔の切手など 0901 No136

2020-09-01 07:04:12 | 奥揖斐の歴史など
昔(昭和50年代)の切手
2020年 9月 1日(火)

 私が徳山村で働いた1974(昭和49)年~1981年、徳山ダムができる前の徳山村には、役場はもちろん郵便局、駐在所、診療所などの公共施設、八百屋が本郷(徳山村徳山)に3軒ほど、たばこ屋が1軒、閉店していたがパチンコ屋があった。聞いた話だが映画館もあったとか
 徳山では夜することがないので、久野屋という食堂に飲みにいったり、麻雀、花札は毎晩だった。そんな中、先輩が「徳山郵便局」の消印(※)を押した記念切手を集めようと言い、私も乗った

1975.9.17発行 りんご100年

 葉書の裏に切手を貼って、徳山郵便局の消印を押してもらった。はがきは当時20円。郵便局の職員さんが、(切手を使えなくして)勿体ない、という顔をしたのを覚えている

 1976.9.16発行 イトヨ 自然保護シリーズ切手(魚類)


 徳山郵便局(徳山ダムの記録から)

※ 消印つきの切手は20数枚持っています。徳山会館には数枚寄付しました。公共施設等であれば、ご希望の団体様、差し上げます

☆余談:郵便ボッカ
 徳山村に郵便局ができたのは、明治23年4月1日、それまでは本巣郡の長嶺郵便局から配達していた。何分、山間へき地であり、豪雪の村だけに、取扱い数は少なくても死に物狂いの仕事であった(徳山村史p793)
 1967(昭和42)年ころまでは、6キロまでの小包なら1個180円で運んでくれた。そこで村内にある20軒の店屋は、野菜、冷凍肉、魚などの商品の仕入れを全部郵送に切り替え、また親戚や子どもの所へ送る栃餅や身の回りの物など、すべて郵送した(略)
 このように、冬の郵便物は、ほとんどが小包で一人では運べず、アルバイトのボッカを、普通5~7人、多いときは25人くらい雇い、吹雪や雪崩の危険をおかして、午前7時過ぎに局長の判断で本郷を出発(して馬坂峠を越)した。黙然と雪道をカンジキで歩く姿は、まるで登山隊を思わせる
 昭和43年当時、荷物は一人15kg、一往復1000円、昔は男であったが女ばかりになった。と村史に書かれている(村史794~796)

☆ 余談2:昔の葉書

 5円葉書~7円葉書

 今の葉書の郵便料金は63円、私が子供のころ葉書は5円だった。5円のアイスキャンデー、5円のパンが駄菓子屋で売っていたのを覚えている
 上の3枚の葉書、2枚目の5円葉書はしっかりと覚えている。3枚目の7円葉書は+2円値上げの理由に葉書を大きく(B版→A版)した、と説明があったことを覚えている
 これら葉書を知っている方、同世代ですね

☆ コビクラの滝(門入)

 ホハレ峠から黒谷を下り、門入手前の右岸、小飛倉谷を20分ほど登るとこの滝があります
この時は、長靴で行ったので、川の中で何回か転び、びしょ濡れになりました(笑い)
コメント
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