鳥木谷 773.0m 1/2.5万地図[美濃徳山(岐阜10-2)]
2020年5月8日(金)2人 No105
行程:6:25揖斐→ 横山ダム上流で7:00まで通行止め→ 7:40磯谷左岸前駐車地7:50→ 8:05落石防止柵上→ 9:25 855mピーク→ 9:46 840mピーク→ 10:20山頂10:50→ 11:27 840mピーク→ 駐車地13:16
百山百渓(3)徳山村三角点マップ(H氏編)に40(三等以上)の三角点が紹介されている。まだ登っていないのは、揖斐川左岸の合セ倉、鴨、右岸の滝谷、西勝谷、西谷川右岸の猫沢、そして今日の鳥木谷
ネットで鳥木谷をいくつか調べると、ヤブはなさそう、一人片道4時間というのもあったので、出発を30分早めた
7:33 磯谷左岸の橋の取り付きから登る
7:43 ヤブの中10分ほど登ると落石防止柵の上に、そこから見たダム湖
7:48 尾根道に出る
8:10 ブナ林を空に向かって撮影
8:11 下調べの写真のとおり、快適な登山道(尾根道)
9:09 イカリソウ現れる
9:41 快適な登山道その2
9:47 ミツバツツジ
9:50 840mピークを過ぎたところ
10:01 石炭山(※)付近
10:21 山頂着
10:24 今日のおかず
12:21 山頂では見えなかった能郷白山、手前の磯倉?、能郷白山は位置的に磯倉に隠れると思うのだが、自信がない
12:50 踏み跡が見える、どのくらいの登山者が登っているのだろう、イノシシの足跡かも
13:07 防止柵に出る
13:16 駐車地着
☆ 今日の反省など
・行はNさん、帰りは僕が先頭、ついていくのは楽です
・徳山の三角点で、こんなに歩きやすい尾根道は初めて!。ヤブは登り始めとその下りの10分だけ
・それでも帰り、855mピークへ上るところで近道をしようと右に巻き、別の尾根に下りかけた(10分ロス)
また855mピーク南の約780mピークでうっかり南東に下りかけた(10分ロス)
・近道したり、ピークで方向を確認せずに下りたらダメ、今日は赤布をあまりつけなかったのが間違いのもとか
※ 石炭山:美濃徳山の地名では、石炭山は地図(P48)に載るだけで解説はない
私が徳山にきた1974年、磯谷右岸に人が歩ける道があった。聞くと昔はトラックが通ったそう。それは磯谷奥の山に石炭が試掘され、それを運ぶために道路が作られたが、採算があわないとのことで石炭の採掘・搬出は行われなかった。で、石炭山という名(と壊れかけた道路)だけが残っている、と
2020年5月8日(金)2人 No105
行程:6:25揖斐→ 横山ダム上流で7:00まで通行止め→ 7:40磯谷左岸前駐車地7:50→ 8:05落石防止柵上→ 9:25 855mピーク→ 9:46 840mピーク→ 10:20山頂10:50→ 11:27 840mピーク→ 駐車地13:16
百山百渓(3)徳山村三角点マップ(H氏編)に40(三等以上)の三角点が紹介されている。まだ登っていないのは、揖斐川左岸の合セ倉、鴨、右岸の滝谷、西勝谷、西谷川右岸の猫沢、そして今日の鳥木谷
ネットで鳥木谷をいくつか調べると、ヤブはなさそう、一人片道4時間というのもあったので、出発を30分早めた
7:33 磯谷左岸の橋の取り付きから登る
7:43 ヤブの中10分ほど登ると落石防止柵の上に、そこから見たダム湖
7:48 尾根道に出る
8:10 ブナ林を空に向かって撮影
8:11 下調べの写真のとおり、快適な登山道(尾根道)
9:09 イカリソウ現れる
9:41 快適な登山道その2
9:47 ミツバツツジ
9:50 840mピークを過ぎたところ
10:01 石炭山(※)付近
10:21 山頂着
10:24 今日のおかず
12:21 山頂では見えなかった能郷白山、手前の磯倉?、能郷白山は位置的に磯倉に隠れると思うのだが、自信がない
12:50 踏み跡が見える、どのくらいの登山者が登っているのだろう、イノシシの足跡かも
13:07 防止柵に出る
13:16 駐車地着
☆ 今日の反省など
・行はNさん、帰りは僕が先頭、ついていくのは楽です
・徳山の三角点で、こんなに歩きやすい尾根道は初めて!。ヤブは登り始めとその下りの10分だけ
・それでも帰り、855mピークへ上るところで近道をしようと右に巻き、別の尾根に下りかけた(10分ロス)
また855mピーク南の約780mピークでうっかり南東に下りかけた(10分ロス)
・近道したり、ピークで方向を確認せずに下りたらダメ、今日は赤布をあまりつけなかったのが間違いのもとか
※ 石炭山:美濃徳山の地名では、石炭山は地図(P48)に載るだけで解説はない
私が徳山にきた1974年、磯谷右岸に人が歩ける道があった。聞くと昔はトラックが通ったそう。それは磯谷奥の山に石炭が試掘され、それを運ぶために道路が作られたが、採算があわないとのことで石炭の採掘・搬出は行われなかった。で、石炭山という名(と壊れかけた道路)だけが残っている、と