いろはにほへと

ぼちぼち、休みながらも続けていければいいな。

幸せの素

2018-01-23 11:49:19 | 日記
昨日の事。
仕事で遅くなり、帰宅したのは8時前。

相方はもう帰宅してた。

最近、彼なりの優しさの現し方か、自分が先に帰った時は、玄関の鍵が開いている🔑 でも、それに中々慣れない私は、玄関で鍵をガチャガチャ。まあ、気持ち気持ち。気持ちが有り難い。それよりもさー。ご飯の用意してくれたらさー。こんなに嬉しい事はないのに!といつも思うが、それは、彼にとって不可能に近いのだろう。

そこで、昨日は出てきた一言。

「食べに行くか」

まあ、作らなくていいのは楽だし、嬉しそうな表情と声を作って😅賛成。

本当のところ、クタクタだったし。

でもね、どうせ、多分、ラーメンか🍜王将か、その辺りなんだろう。とタカをくくっていたら、どうしたことか!車に乗ってから、「長次郎でも行くか」と!

「やったー!」俄然、私のテンションが上がったのです!😅お寿司!何ヶ月ぶりだろう。そりゃ、年末にスーパーのお寿司は、少しは食べたけど、うん!うん!にぎり!美味しいの食べたい!

疲れきっていたので、そんなに量は食べれなかったけど、2人分なら、諭吉さんもいるし、カードも使えるし、今日は食べたい!と、本当に欲しいものをチョイス。

このなの滅多にない。家計を預かる身。みんなで食べに行っても、内心、暗算をして、私はこれが好きなのとばかり、計算しつつ食べてたものです。子どもたちが出て行ってからは、2人で外食なんて殆どないし、あってもそれこそラーメン屋さんとか。なんと貧乏性。

私は、人間ができてないから、優しさだけじゃダメなんだなと、つくづく、自分の人間性に疑問を抱いたけど、カウンターで握ってもらうお寿司には負ける🍣。

お寿司のおかげで、昨日は、幸せな気分で眠りにつくことができました。

こういう事が私の幸せの元になれるということは、なんて単純でよかったと喜ぶべきか?なんちゅうやっちゃと呆れるべきか?

ラーメンとお寿司で幸せ度合いが違う事が、どうにもこうにも、わたしの中で、面白がっている面があり、呆れている面があり。

これが、人間とはこんなものだと思えればまだいいのだけど、どうも、これって、私のレベルの低さ?という疑いは消えない。

そうなんだろうけど、こういう単純さは、使いようによったら、簡単に幸せになれるという利点でもある。

なあんて、グダグタと考えておりました。

さっき、面接から帰ってきたばかり。さあ、午後から出勤です。



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