一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

🅿‐62.下絵付スペイン皿型大皿(1/2)  9点~植物編

2023-07-11 07:00:00 | 🅿My陶芸作品&手法

 電気窯で酸化焼成した「下絵付スペイン皿型大皿」です。ゴスの色がやや黒っぽくなり、素地も白っぽくなりました。粘土は信楽上粘土、焼成は酸化焼成(1250℃/19h30’)です。


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① 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25
  
 ⊞ ② 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25

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③ 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25

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④ 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25


⑤ 下絵付スペイン皿型大皿     高3、径25
  
⊞  ⑥ 下絵付スペイン皿型大皿     高3、径25  



⑦ 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25
 
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⑧ 下絵付スペイン皿型大皿      高3、径25

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⑨ 下絵付スペイン皿型大皿     高3、径25

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🅿‐61.アイヌ文様下絵付だ円皿  9点~還元焼成(3)

2023-07-10 06:24:44 | 🅿My陶芸作品&手法

 灯油窯で還元焼成した窯に入れてあった楕円皿です。アイヌ文様をアレンジし、ゴスで絵付けしました。



 ①アイヌ文様下絵付だ円皿    高2.6、21×14.8        


 ②アイヌ文様下絵付だ円皿     高2.6、21×14.8  

     
 ③アイヌ文様下絵付だ円皿    高2.6、21×14.8

 
④アイヌ文様下絵付だ円皿     高2.6、21×14.8
     
 ⑤アイヌ文様下絵付だ円皿     高2.6、21×14.8

 
 ⑥アイヌ文様下絵付だ円皿     高2.6、21×14.8 

     
 ⑦アイヌ文様下絵付だ円皿    高2.6、21×14.8
 
⑧アイヌ文様下絵付だ円皿      高2.6、21×14.8
   
 ⑨アイヌ文様下絵付だ円皿      高2.6、21×14.8

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⒱-11.ラズベリー、収穫開始!  📸 2023.7.7

2023-07-09 07:00:00 | ⒱-野菜・果樹の育て方

 数年前に植え返したラズベリーが赤くなり、7/4から収穫しています。この元木は、友人から数本もらったもので、❶灯油窯の置いてある小屋前、❷離れの車庫前、そして❸イチイの木の近くにも少し植えてあります。多くはジャムにしていますが、”無農薬”ということで直接ナマでも食べています。 


❶灯油窯小屋前のラズベリー







❷ 離れの車庫前のラズベリー





❸ イチイの木近くのラズベリー






収穫初日(7/3)は573g


収穫2回目(7/7)は1,392g
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 冷凍室で保管して置き、時折ジャムにします


ブラックベリーの場合は種漉ししますがー


ラズベリーはヨーロッパが原産地で、花言葉は「愛情」「深い後悔」。果実の大きさは1.5cm~3cmほどで小さな球形の集合体!といった感じです。私の家のラズベリーの色は鮮やかな赤ですが、紫や黄色のものもあるという。果樹は高さが2m~4mにもなり、病害虫に強いので無農薬で育てることができます。成分としては、ビタミンC、ミネラルが豊富で、ポリフェノールの種類もたくさん含まれ、”健康長寿食”の一つです。

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Ⓚ‐24.東京・明治大学博物館へ(2/2)~岩宿遺跡から発掘された石器

2023-07-08 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 岩宿遺跡に発掘に携わり、その折発掘された遺物がある中央線代々木駅から歩いて5分の「明治大学博物館」を見学した時の記録です。

 いくら石器をみても、説明を読んでもよくわからないことも多いのですが、私には解決!しなければならないテーマがあります。それは、とりわけ、旧石器時代後期の遺物として展示されている日本各地の遺物の比較検討です。まず、岩宿遺跡で発掘された遺物を見ることにしました。




  

ここまでの写真が岩宿遺跡から出土したものです。以下は、明治大学が発掘した他の遺跡から出土したものです。写真が多量ですが、整理しきれないので展示されていた掲示物とともに載せました。


 

 

 

 

礫石器やハンドアックス、細石器もしっかりみることができました。さて、自分の収集した石器と思われるものは、…ーとの視点で。礫石器は、材質は違っても何か共通点を見出すことができます。さて!?。

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Ⓚ‐23.東京・明治大学博物館へ(1/2)~岩宿遺跡と白滝遺跡の関連はー

2023-07-07 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと
 縄文時代以前を、旧石器時代or先土器時代という呼び方が一般的かもしれません。昔、日本列島には旧石器時代はないとされていましたが、群馬県みどり市岩宿で70年ほど前旧石器時代の遺跡が発掘されてから、日本全国で次々と発見・発掘されました。

 「旧石器時代」という呼称は、”「土器」というこの時代にないものを用いて生活していた時代”としていることに問題があるとの指摘もあります。岩宿博物館(群馬県みどり市)では、土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる日本最古の時代を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで、「岩宿時代」と呼んでいます。
 私の関心事は、 岩宿遺跡から出土した石器を見ることによって、同じく旧石器時代とされる白滝遺跡の対比と私が持っている遺物と比較することです。


 岩宿遺跡発掘の様子 (HPより)

相澤忠洋さん(発掘調査の頃) 1946年9月11日、最初の発掘調査
相沢忠洋(発掘調査の頃) 1949年9月11日、最初の発掘調査
(写真提供:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3万年前) 岩宿2石器文化(約2万年前)
最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3.5万年前) 岩宿2石器文化(約2.5万年前)

岩宿遺跡から出土した物の例ですが、まず、岩宿1の約3.5万年前の場合は石と石をぶつけて石斧やポイントを作った感じで、素朴な作りになっています。そして、近くで発掘された約2.5万年前の石器は材質も黒曜石を使い、矢じりなどもあり手がこんできています。

 写真はあまり鮮明でありませんが、岩宿1石器文化(約3.5万年前)の石器と比べても研磨の仕方や形状は私の採集した石斧と違いがあります。私の石斧の方が、局部研磨ではありますが、時代的に新しいかな?と見えたり、思えたり、反面、大胆な形状からみて古く見えたりします。研磨の技術が新しいとすると、土器は発見されていないが縄文時代か、と考えたりなかなか微妙で悩ましいことです。
 そこで、岩宿で発掘された遺物が発掘に関わった明治大学博物館に展示されているので、上京の折見学することにしました。

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Ⓚ-22.考古学上の大事件~旧石器発掘捏造事件!

2023-07-06 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと
 今から22年前、考古学上の大事件=旧石器発掘捏造事件が発覚しました。考古学にそれほど関心がない人も、記憶されていることと思います。

 日本に人間が住んでいた=住み始めた最初の時代は、これまでの発掘
調査やその後の研究から「旧石器時代後期」が定説とされていました。もし、それ以上の前の時代=旧石器時代中期、前期の遺物や遺跡が発見されたとしたら、それこそ世紀の大発見!になります。


 1970年(昭和45年)代半ばから、次から次へと年代をさかのぼる大発見が続きました。日本に住み着いた人間は、岩宿遺跡の関東ローム層から発見された遺物の年代鑑定から3.5万年前とされていましたが、それがナント!
70万年前!
にまでさかのぼることになったのです。それも、日本には世界の同年代と比較しても類のない文化があったことが発掘により実証されたのです。

ところがー これは捏造だったことがわかったのです。発掘調査に携わっていた考古学研究者が、自ら事前に埋設した石器を自ら掘り出して、発見した!と。彼は、民間研究団体「東北旧石器研究所」の副理事長の職にありました。



 捏造発覚までの約25年間、周囲の研究者が期待するような石器を、期待されるような古い年代の地層=ローム層から次々に掘り出しました。自分の地位や名誉のためにも。そのためグループにとって欠かせない人物として評価され、後に「神の手」(=ゴットハンド)と呼ばれ、周囲から期待されました。



 1970年代半ばから、各地の遺跡で旧石器時代の遺物が続けて発見され、不信に思う人も当然現れ、現場証拠!を写真でーということになりました。
ある筋の情報から、毎日新聞が動き、遂に石器を事前に埋めている姿を 2000年11/5の毎日新聞の朝刊にスクープされ、不正が発覚されました。

 これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響がありました。自白から、「発見」された遺物の9割方は、彼自身の手によって表面採集されたり発掘されたもので、例え他の人が発掘したものでも、彼があらかじめ仕込んでおいたものとされています。彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺跡の踏査を行って集めた”縄文時代”の石器がほとんどであったとのことです。捏造された「偽遺跡」は、宮城県を中心とし、一部北海道や南関東までにも及びました。 
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Ⓚ‐21.遠軽町・白滝の黒曜石、「国宝」に指定~北海道新聞のNEWSから

2023-07-05 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 遠軽町白滝の黒曜石が「国宝」に指定されたという明るいニュースです。
 白滝遺跡群から出土した後期旧石器時代(約3万年前〜1万5千年前)の黒曜石などの石器類が6/27、正式に国宝に指定されました。旧石器時代の出土品としては全国初で、国宝では最古となります。 道内の国宝指定は、函館市南茅部地区で出土した2007年の「中空土偶」に続き2例目となります。

 国宝の対象は、先端がとがった国内最大級の尖頭状石器(全長約36cm)、「細石刃」と呼ばれる鋭利な石器、製造過程で出る剥片などを組み合わせた「接合資料」の計1965点です。


 旧石器時代の文化財指定に関しては、2000年に起きた「旧石器発掘捏造事件」以降、厳しい目が向けられてきました。事件で疑惑を持たれたのは前期・中期の資料でしたが、旧石器時代全体の資料が対象になりました。このようなことから、後期の白滝遺跡群の出土品は、重要文化財から国宝への格上げまで11年かかったことになりました。



 以前のブログで紹介しましたが、私が知人からもらった黒曜石で作られた石器類は、遠軽町・白滝の赤石山で採取されたものに由来しているのでしょうか。それとも、丸瀬布町や置戸町産のでしょうか。黒曜石の尖頭状石器(ポイント)と矢じりなどを手に取り、用途や加工技術を考えながら、遠い過去の先達の生活に想いめぐらせました。



尖頭状石器(ポイント)と矢じりなど


形・大きさとも、完全形の尖頭状石器
厚0.82cm、3.83×12.35/36.4g。

※ 次回は、旧石器発掘捏造事件について

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Ⓚ-20.遠軽埋蔵文化財センター見学(2/2)~後期旧石器時代の遺物

2023-07-04 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

遠軽町埋蔵文化財センター見学

 現在、遠軽町内で確認されている埋蔵文化財埋蔵地(遺跡が発見されている場所)が217か所あるという。これらの遺跡は、後期旧石器時代(30,000~12,000年前)からアイヌ文化期までの長い期間にわたっています。この地で、黒曜石の露頭があったり、小型剥片石器尖頭状石器細石刃石器などが発掘調査されていましたが、埋蔵文化財包蔵地が飛躍的に増えたのは高規格道路(旭川ー紋別間)の建設がきっかけです。




当センター展示室では、この発掘で出土した遺物を
中心に、わかりやすく工夫し展示しています。
 

 


 黒曜石原産地の特徴の中に、旭川も、「?」ですが記載!





 ナウマンゾウの臼歯


 

 ここ遠軽町白滝は、日本最大級の黒曜石の産地です。その埋蔵量は2億から5億トンといわれ、市街地北側の赤石山を中心に露頭がいくつも広がっています。この黒曜石の産地のふもとの標高300mほどの河岸段丘の上では、約百か所もの旧石器時代の遺跡が発見され、22か所で発掘調査が行われ、700万点の遺物が出土したとのことです。


寄贈されたアンモナイトがありました。



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「白滝遺跡群」見学

 帰路、国指定史跡の「白滝遺跡群」を見ることにしました。

国道沿いの白滝遺跡群№C-011という場所に行きました。そこには、立派な看板があり、ていねいに説明されていました。その場所は、発掘調査後は復元しされるのでブュシュ等が繁茂していました。30,000~15,000年前というずうーッと昔、とてつも長い時間の中、人類が生活していたんだ!と思いを巡らせました。

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Ⓚ-19.遠軽埋蔵文化財センター見学(1/2)~後期旧石器時代の遺物  

2023-07-03 07:00:00 | Ⓚ考古学から学ぶこと

 バイク友と日帰りでツーリングに出かけました。目的は、私の近年の関心ごとである旧石器時代の遺物が展示されている「遠軽文化財埋蔵センター」の見学です。

 10:00、バイク友と「道の駅 とうま」で待ち合わせです。すぐ、ツーリング開始!です。北見峠(標高;857m)を越え、「道の駅しらたき」で休息。目的地の白滝ICまで後10.6Kmのところですがー。

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 遠軽文化財埋蔵センターは、近年OPENしたまだ新しい建物です。まずは、駐車場に設置されていた「ジオサイ トマップ」で黒曜石の露頭のある場所、白滝遺跡が発掘された場所などの概要を確認することからスタートしました。


 ここが遠軽文化財埋蔵センターです。
 


 「白滝ジオサイトマップ」で概要を!

~以下は、拡大写真~


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館内に入ることにー

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🅻-14.「富良野➡芦別➡旭川」 ソロツーリング 130Km

2023-07-02 07:00:00 | 🅻‐🏍Let's goバイク旅

 新緑いっぱいの春真っ只中の5/30のこと。この日は、天気;晴、予想最高気温;28℃、降水確率;10%の絶好のツーリング日和でした。コースは、美瑛町、富良野市を経由し、芦別市に立ち寄り、旭川・神居古潭を周遊することにしました。


上富良野町・深山峠付近から

 
 大雪山連峰。旭川から見る形とはだいぶ違います。


 その左側が十勝岳連峰。十勝岳の噴煙が見えます。

 
ズームup。噴煙は左側になびいています。今日は南風が。


富良野市の手前で

 
 左が芦別岳、右が富良野スキー場のある北の峰。


 芦別岳(1726ⅿ)に2回登ったが、結構キツかった思い出が蘇ります。


富良野市を経由して「滝里湖」で


 滝里湖見学は、カヌーのための下見も兼ねてー。



 ボート発着所の利用の注意がー。


 ここはトレーラーで運んできた船を出し入れできる斜路に。


星の降る里百年記念館 


 My主テーマは、旧石器時代の遺物と地質学分野ですがー。


新城峠駐車公園の展望台から 


 この展望台から、美瑛の丘陵に似た感じの光景が見れます。


 この地域は、畑作と稲作が同居しています。


 遠景にウッスラと見えるの山々は、大雪山連峰と十勝岳連峰です。


 丘陵で稲作農業をするには、まずは水の確保がー。

この日は、天気予報通り最高気温が28.1℃まで上がりました。この日のツーリングは、初夏のようないい天気に恵まれラッキーでした。ちなみに、9:00に出発し自宅着が14:50で、走行距離は130Km。今日は、カラダに優しいツーリングでした。

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