一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓣ‐25.小樽市へ(9/9)~小樽運河界隈~朝の散策   2019.6.4(火)

2024-05-09 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 札幌から妹が小樽駅に着く時間が9:00過ぎですので、その間ホテルから運河に行き、そこから海岸を通るコースを散策することにしました。小樽の朝は快晴の天気ですが、こ のエリアは今日は、の天気の予報です。



 早朝の南運河。風なし、波静か。天気;晴れ。


いいとこ見つけた! 



 浅草橋のインホメーション。只今の気温;16.6℃。


倉庫群を一周することにー 


港の光景 


 クルーズ船はまだこんな状態です。


 小樽総合博物館の運河館の前にー。
👇


 ニセアカシアの木の花がちょうど満開です。


 ツタの木。景色としてはイイのですが、とった後、壁にダメージがー。


電車は定刻着。妹をピックアップし、余市を経由し倶知安➜目的地へ。天気は、内陸に入ると曇り空に変わってきました。 

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Ⓣ‐24.小樽市へ(8/9)~「ホクレンふうど館」見学;道内の陶芸家作品    2019.6.3(月)

2024-05-08 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

  「ホクレンふうど館」は、ホクレン創業記念館が運営する陶芸品とお土産の専門店です。小樽の観光メインストリート「堺町通り」にあり、北海道の銘菓である石屋/六花亭/柳月/ロイズ等やワイン‣地酒‣海産物‣酪農品クラフト等各種お土産を買うことができます。2階のギャラリーには道内窯元(約40名)の陶芸作家の作品が展示‣販売されています。今まで何度か来ていますが、今回も見学することにしました。👀








 

  















 



 

 







 


  ふうど館の2階ギャラリーの陶芸作品は、オーナーとの話では 平成7年にオープンした時のもので入れ替えがないとのことです。すでに死去した人もいますが、レベルの高さに触発されました。

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Ⓣ‐23.小樽市へ(7/9)~「手宮洞窟」見学

2024-05-07 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍
 小樽博物館前の道路を渡るとすぐ近くに本洞窟があり、1866年に発見された国内に2か所しかない壁面彫刻(国指定史跡)が見れます。これは、4〜5C頃、北海道に暮らしていた続縄文文化時代の人々が日本海を挟んだ北東アジアの人々と交流をしていたことを示す大変貴重な遺跡でもあるとー。 また、展示物から世界各地の洞窟壁画やその時代住んでいた人々の生活の様子を垣間見ることができます。

 左側が受付‣入口です。


スペースが狭く、正面に壁面彫刻があります。


  •        これが壁面彫刻!です。何を表わしているのでしょうか?   

 手宮洞窟の保存の歴史



  これは舟の形。ロシアで発見されたものと似ていることから、そのルーツは!?


  発見当初は本彫刻は文字説も。現代は絵画説が有力のようです。


  狩猟生活や祈りに関係のある人が仮装した絵ではーとも。((+_+))


  余市町の「フゴッペ洞窟」にも、壁面彫刻があります。


手宮洞窟から発見された遺物 



  左;擦文式土器、右;近代の物~後の時代の人も住んでいたことかー。


 4〜5C頃、北海道に暮らしていた続縄文化時代の人たちは、何を食べ、何語をしゃべり、どんな夢や目標をもち、何を楽しみに生活していたのか。冬、とてつもなく寒かったろうに、何を着ていたのか?。やはり動物の毛皮だろうナ。海岸に近いとはいえ、食べ物は?等々、遠い昔々のドラマに、ほんの束の間ですが想いを馳せました。

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Ⓣ-22.小樽市へ(6/9)~小樽総合博物館本館=旧小樽交通記念館

2024-05-06 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 この小樽市総合博物館は、平成19年に「旧小樽交通記念館」と小樽市青少年科学技術館の機能を統合し、開館したものです。

 小樽市総合博物館本館には、蒸気機関車「しづか号」をはじめ、北海道を代表する50両もの鉄道車両が保存‣展示されています。また、北海道鉄道の歴史を紹介する常設展示があり、館内には、プラネタリウムや体験を通して学習できる科学展示室があります。2010年からは修復を終えた国指定の重要文化財旧手宮鉄道施設「機関車庫三号」が一般公開中です。



「7106 しづか号」


 ホールにはドンと蒸気機関車「7106 しづか号」が鎮座していました。


 1884年(明治17年)にアメリカ・ポーター社で製造されたもの。


 翌年に小樽市手宮に陸揚げされ、幌内鉄道や北海道炭礦鉄道で活躍。


当時の小樽駅構内と小樽港の様子 


鉄道線路の敷設の様子

 


模型などの各種展示物

 


各種機関車がズラリ


 引き込み線だったので、機関車や車両が集まっていたとのこと。


ここは鉄道ファンや関係者には、至福のヒトトキを過ごせそうな場所です。私も一度は来てみたかったので満足でした。現在、北海道では、赤字路線の問題があります。車社会でない当時の輸送手段としての鉄道の存在を改めて考えさせられ、また、時代が移り変わっていく様子を垣間見ました。

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Ⓣ‐21.小樽市へ(5/9)~小樽市総合博物館(運河館);第二展示室(縄文土器)

2024-05-05 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 この展示室には、小樽市西部にある「忍路土場遺跡」(縄文時代後期=約3,500年前)の発掘資料を展示されています。発火具や漆製品等当時の生活を知る上での貴重な資料も公開中でした。 


 この建物が「第二展示室」入口です。


 クマの親子が冬眠している様子。


土器の模様の付け方 

 

 

 
 昔の人、よく考えたものですね。


 


発掘された土器群


壁面の展示をアップしたもの






床面の遺物をアップ








 忍路環状列石の模型。




 


忍路遺跡は縄文時代後期ということで、後期石器時代と比べ、当然のことながら”文化度”が高くなっています。特に、土器の場合、造形的に美しく、薄く作る技術、形状、文様など繊細なものもあり、そのスキルの高さを感じます。また、狩りに弓矢を使っていたことから文化が発展してきたことがわかります。

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Ⓣ‐20.小樽市へ(4/9)~小樽市総合博物館(運河館)・第二展示室;ニシン漁のこと

2024-05-04 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

  第一展示室の一角には、かってニシンを捕獲するためのいろいろな道具や資料などが多数展示されていました。ニシン漁は、明治時代、小樽の経済基盤を築いたと言われるほど大規模な産業で、人を集め、マチを栄えさせた歴史があります。



のニシンの漁獲高の推移
※ 明治20年(1887年)~昭和17年(1942年)まで

 小樽近海で獲れるニシンは次第に減少し、1950年代後半にはニシンは”幻の魚”と呼ばれるまでに。その直前の1953年でさえ、石狩振興局管内における漁獲の87%はニシンが占め、この劇的な漁獲量の減少は当時の人々の生活に大きな影響を与えたという。


資料 北海道日本海ニシン漁、復活   
2018年3/20現在
ナント、4割増の2,360トン

  


群来(くき)のこと

 群来とは、”ぐんらい”と書いて”くき”といい、「鰊群来る」(”にしんくき”る)と。この群来は、ニシンが大群で産卵することによって、精子で海が白く濁る現象のこと」を意味しています。2~3月 に、近年は毎年新聞やTVのnewsで紹介されるようになりました。  


      
ニシン漁で使用されていた道具が壁面いっぱい展示。


以下は部分的にクローズアップ! 


 それぞれの道具に名前が付けられています。


網にかかったニシンをすくい上げるもの。


かき集めるもの、木製のスコップのようなもの。


 ニシンを背負って運ぶものなどがあります。


この箱に何キロのニシンが入ったのかな?重そう‼


 当時のニシン漁の方法を模型に。
二隻の舟でトロール船のようにーか。


鰊盛業屏風

※当時のニシンの陸揚げ➨加工➨出荷の概要がわかります


ニシンの陸揚げの様子。アイヌ人たちの姿も。


 機械や動力のない時代、如何に人手をかけていることもー。


過酷な労働条件だったことでしょう。


 完成した製品は、船で運ばれます。
俵に入っているもの、何かな!?


近年の漁獲量は、約半世紀ぶりに回復してきていますが、年による変動はまだ大きいのが実態です。そこで、関係者は資源を枯渇させた歴史を繰り返さないため、漁獲規制や資源保護等を試みているようです。

🐟

 1996年、石狩振興局はニシンの資源増大対策の一環として16万尾の稚魚放流。現在は、北海道内の各地区で年間200万尾以上の稚魚が放流されていると。”限りある資源”!、考えさせられること多々ありでした。

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Ⓣ‐19.小樽市へ(3/9)~小樽市総合博物館運河館へ;第一展示室

2024-05-03 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 6/3、私の小樽での目的は、陶芸や考古学的(特に手宮洞窟)施設を見学することです。まずは、小樽総合博物館運河館から見学開始です。



左側のアーチ状の入口から運河館に入ります。


 

  この運河館は、第一展示室第二展示室に分かれています。この建物は明治26年に建てられた旧小樽倉庫を利用されているとのこと。本館は平成19年まで、市の博物館として開館していましたが、小樽市総合博物館の開館に合わせその分館となりました。 


第一展示室

 小樽は、アイヌの長い歴史の後、江戸時代後半に始まるニシン漁と明治以降の港湾整備によって発展したマチです。明治~大正にかけては北海道の玄関として、また道内一の経済都市として発展しました。中でも、小樽運河はその繁栄を象徴する存在です。  


手宮洞窟壁画彫刻~レプリカですが~


第一展示室では、 アイヌ時代から近代までの小樽のあゆみが紹介されています。北海道と本州を結んだ北前船に関する資料、ニシン漁業に関する資料、小樽の変遷を記録した古写真と古地図などがあります。また、小樽が最も華やかだった大正時代の街並みも復元されています。

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Ⓣ‐18.小樽市へ(2/9)~夕方の小樽運河&運河存続のミニ史 

2024-05-02 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 ホテルは運河近くにとってあったので、夕食後運河界隈を散歩することにしました。日没が間近な時間帯でした。



 浅草橋から「南運河」をー。


 夕日が左斜めからスポットライトのように当たっています。  


 この時間帯でも団体の観光客がー。  


 ツタの黄緑色が映えています。


この散策路は運河を埋め立てたのでしょう。


 向こうの建物は、レストランorカフェ?


 小樽の最盛期の倉庫群。今は再利用されているようです。

そこに、ナント!⛴がー


 「小樽運河クルーズ船」が登場!です。


 船は、歴史ある小樽運河や街並みにマッチするようにデザインされたといいますがー。この船のエンジンは、小さなエンジンで、しかも環境にやさしいバイオディーゼルを使っているという。なお、発着場は中央橋。 中央橋➨小樽港➨北運河➨南運河の浅草橋までを約40分かけて巡るとのこと  (大人;1,500円也と)    


 小樽運河クルーズ船のコース



 向こうに見える浅草橋に向けてー。 


この浅草橋手前でUターン。間もなく中央橋でフィニッシュ。


小樽運河は日本でも大変珍しい「埋め立て式運河」です。一般的に運河は、内陸を掘ってつくりますが、この運河は、海岸線を埋め立て造られたという。1923年(T12年)に完成。


運河存続のミニ史

S41年、小樽市内は慢性的に交通渋滞が生じ、その解決策として臨港線全路線を6車線化する計画がスタートしました。小樽の地形的な事情で、運河の埋立てと倉庫群の解体案が浮上。そのため、周辺の歴史的建造物を含めて保存に向けた市民運動が起きました、S48年に小樽運河を守る会が設立され、以後10年以上議論が続き、臨港線は運河区間を残して一部が開通されました。

👇

 当時、私も関心をもち新聞やTVの放映を注視していました。その後も、紆余曲折あり、最終的に「運河の幅の半分を埋立てて道路とし、残りは小公園の配置や散策路を整備する」、ということで激論が決着。そして、計画から20年後のS61年に遂に完成し、現在の姿にー。いつもこの運河の風景を目の当たりにすると、立場の違いで戦いのドラマがあったことを回想します。 

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Ⓣ‐17.小樽市へ(1/9)~市内散策  

2024-05-01 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 6/3、小樽市総合博物館・運河館➨小樽市総合博物館・本館➨手宮洞窟を見た後、市内を散策することにしました。まず、「やはり小樽に来たのだから運河を見てから-」、と観光案内所のある「浅草橋」のちょっとした広場にやって来ました。相変わらず中国や韓国、東南アジア系の観光客で賑わっていました。



 このエリアを「南運河」といい、この向こうを「北運河」と。


 この場所は、小樽観光に来たら必ず立ち寄るところです。


 ウミウの仲間でしょうか 


「堺町通り」➨「ホクレン ふうど館」へ

小樽の繁華街の「堺町通り」を通り、北海道在住の陶芸作家の
作品をみるために「ホクレン ふうど館」に向けて歩きました。


 小樽は、歴史的建造物が多く、内陸の旭川にはない異国情緒の建物もたくさんあり、古くから開かれた歴史を感じました。そして、よき時代の繁栄の様子も随所に垣間見ることができました。 

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Ⓣ-16.パワースポット「高尾山」へ

2024-02-18 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

9/24、パワーspotで話題になっている高尾山へ行ったときのこと。
高尾山は、京王線で新宿から約50分の終着高尾山口駅で降るとすぐ
目の前です。
新宿駅で、終点の高尾山口駅までの京王電鉄「高尾山キ
ップ」があるのを知り購入しました。
これは、高尾山ケーブルカー、
 またはリフト割引往復乗車券を含むもので、2割引!とオトクです。
 

ケーブルカー(清滝駅)及びエコーリフト(山麓駅)乗り場 

 このケーブルカーに乗って高尾山駅(211m)まで上がります。


ケーブルカーの終点;「高尾山駅」。リフトの駅「山上駅」は高尾山駅の裏手。


 駅周辺から周りの景色を眺めることができます。


 中央自動車道がよく見えます。

 天気がよければ都心が見えるとのことですがー。 


 ここから山頂を目指して歩きます。


 蛇口に注目!始めてみました。清流の感じで、いいアイディアです。


 サル園がありましたが、パスしました。

サル園を通り少し歩くと、樹高37m、目通り約6m、推定
樹齢450歳の不思議な形をした「たこ杉」があります。
菊地ただ
し氏著「とんとん昔話」によると、これは高尾山の天狗衆にかか
わる話
です。ある日のこと、昔飯縄(いづな)大権現参詣の人々
のために、天狗衆が参道を整備していたときのことです。

 ところが、根を四方に張った大杉がジャマになり、思案の末に翌朝、
これを引き抜くことを決めました。
それを知った杉は「あれ、これは一
大事!」とばかりに一夜にして根をくるくると縮めてしまったそうです。
そして、この盤根が「たこの足」に似ていることから命名されたという。
以来、たこ杉は「道を開いた」ところから開運杉とも呼ばれている、と。

 

 

高尾山では開運のパワースポットNO1のたこ杉ですが、蛸杉の傍
に近づいて根
を撫でる来山者が多く、杉の生育には好ましくない
とのことで、2009年に「開運・ひっぱり蛸」が建立されたという。


開運 ひっぱり蛸。この丸い石はいくら撫でても大丈夫。ナルホド!


さらに登って行くと、各種寺院やその関連のモニュメントがありました。  


 食事や休憩のできるところ、お土産屋さんがたくさんあります。


四天王門(山門)にさしかかりました。
お導きの「天狗の落とし文」を心に刻み 日々を過ごしましょうーと。 

 

 

 
 

 迫力のある天狗の彫像がありました。 



 高尾山の仁王門を潜るとすぐに、「六根清浄石ぐるま」があ
ります。
六根は目、鼻、耳、舌、心、体の6つの感覚器のことで、
六根清浄とはこの大切な感覚器官が清らかになることを願い、神
仏に祈る意味があります。
六根石石車は、どこから回しても自由
で、ちなみに18箇所の石車を6回ずつ回せば108回転します。
最後に境内の六根清浄大石車を回して日頃の108煩悩を取り除
いてみてはーと。やって
みましたが、見かけよりスムースに回
りました。何かイイことありそうな予感がしますが、さてー。 

 
   高尾山内にこのところよく見かけるようになったのが、
願叶輪潜(ねがいかなうわくぐり)です。
これはご本尊様の智慧
の輪です。
願いを掛けながらくぐり、その奥にある大錫杖をご
本尊様に願いが届くように、
高らかに鳴らして更なる諸願成就
を祈願します。
錫杖(しゃくじょう)とは、遊行僧が携帯する道
具の一つである杖のことです。
煩悩を除去し、智慧を得る効果
があるそう。
輪潜りの輪は通常は茅(かや)の葉を束ねて作るが、
高尾山の参詣者は一年中絶える事はないので石造りのようです。


  


  高尾山(標高559m)山頂に着きました。

 
 天気がよければ富士山が見えます。すそ野だけ見えました。


 山頂は広いのですが、特定の日はここがびっしりになるそうです。




 


  帰路、「仏舎利」に立ち寄りました。

 

 
 お釈迦様の一生の様子を4コマで表していました。

     
 イイ教えが10こ書いてありました。


 この階段は昔のもので今は使われていません。歴史の一コマを感じました。


  下りはリフトを使うことにしました。


リフトから降り高尾山口駅方面に歩きました。


 「かりん」の実がなっていました。どんな味がするのかな?


 ケーブルカー乗り場の清滝駅の広場に戻ってきました。ムササビ発見! 

 

 


ここに住んでいるムササビの像がありました。ちょっと異様な感じー。

  自然いっぱいの中で、しっかりパワーをもらいながら歩い
たので体も心も絶好調!です。おススメのスポットです。

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