縄文時代以前を、旧石器時代or先土器時代という呼び方が一般的かもしれません。昔、日本列島には旧石器時代はないとされていましたが、群馬県みどり市岩宿で70年ほど前旧石器時代の遺跡が発掘されてから、日本全国で次々と発見・発掘されました。
「旧石器時代」という呼称は、”「土器」というこの時代にないものを用いて生活していた時代”としていることに問題があるとの指摘もあります。岩宿博物館(群馬県みどり市)では、土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる日本最古の時代を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで、「岩宿時代」と呼んでいます。
私の関心事は、 岩宿遺跡から出土した石器を見ることによって、同じく旧石器時代とされる白滝遺跡の対比と私が持っている遺物と比較することです。
岩宿遺跡発掘の様子 (HPより)
相沢忠洋(発掘調査の頃) | 1949年9月11日、最初の発掘調査 (写真提供:明治大学博物館) |
最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館) | |
岩宿1石器文化(約3.5万年前) | 岩宿2石器文化(約2.5万年前) |
岩宿遺跡から出土した物の例ですが、まず、岩宿1の約3.5万年前の場合は石と石をぶつけて石斧やポイントを作った感じで、素朴な作りになっています。そして、近くで発掘された約2.5万年前の石器は材質も黒曜石を使い、矢じりなどもあり手がこんできています。
写真はあまり鮮明でありませんが、岩宿1石器文化(約3.5万年前)の石器と比べても研磨の仕方や形状は私の採集した石斧と違いがあります。私の石斧の方が、局部研磨ではありますが、時代的に新しいかな?と見えたり、思えたり、反面、大胆な形状からみて古く見えたりします。研磨の技術が新しいとすると、土器は発見されていないが縄文時代か、と考えたりなかなか微妙で悩ましいことです。
そこで、岩宿で発掘された遺物が発掘に関わった明治大学博物館に展示されているので、上京の折見学することにしました。