一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-48.オーストリア「ウィーン編」(5/11)~シュテファン寺院 6/25~29

2024-07-10 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  12世紀から建設が始まったこの寺院の中で、現存する最古の部分は、正面入口の部分という。この寺院は、ハプスブルク家の支配が始まる前に、ロマネスク様式で建てられましたが、その後、寺院全体はゴシック様式で建て替えられました。内部の祭壇は、18世紀になってから造られたバロック様式です。本寺院は、第2次世界大戦によって被害を受けました。しかし、オーストリア国民の寄付で再建されました。






 


教会内部の様子 





  



  





 
これは木彫です。  


~教会周囲の様子~








ちょうどこの辺りが祭壇の正面にあたります。






寺院の周辺には花屋さんが2軒ありました。


ここは、マチの中心部にも当たり、観光コースにもなっており広場は大勢の人で賑わっていました。はじめ行った時は、途中から大雨でカサをさして歩いても濡れるほどでした。次の日は、天気に恵まれ、寺院の周辺も含めゆっくり写真を撮って歩くことがました。 寺院内部は、ほとんどは観光客ですが、本来は、熱心な信者の祈りの場でもあります。

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1⃣-47.オーストリア「ウィーン編」(4/11)~国会議事堂とフォルクス庭園 6/25~29

2024-07-09 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 国会議事堂とフォルクス庭園へ行きました。オーストリアは、全州議会(上院)と国民議会(下院)の二院制です。ギリシャ神殿のようなオーストリアの国会議事堂は、ウィーンのリンク通りに面し、市庁舎とウィーン自然史博物館の間に位置します。地下鉄Volkstheater駅から徒歩1分。路面電車から徒歩1分のところに。周辺には、自然史博物館、ウィーン美術史博物館、ウィーン大学などがあります。





 国会議事堂


 この国会議事堂の道路挟んだところに、「フォルクス庭園」があります。 新王宮側からみると、王宮庭園の向かい側、カール大公騎馬像の背後に広がっています。かつて、王宮庭園が皇帝一家の庭園だったことに対して、フォルクス庭園は一般市民に開放されていました。



 この庭園は、巨大なバラ園になっており、100種類に及ぶバラが5000本以上植えられているという。






 


 フォルクス庭園の一角にはギリシャ神殿風の建物「テセウス神殿」が建っています。これは、アテネのテセウス神殿を模したもので、皇帝フランツ1世がローマから購入した「ミノタウロスを殺すテセウス」の像を収めるために建設されました。現在、この像は美術史博物館に飾られています。


 



  

  

 



 


  昨日この近辺に来たので、再度この「フォルクス庭園」に来て見ました。


 

 


 「テセウス神殿」






 カモの親子がいました。


2回目に来た時は、前日より天気がよかったので心なしか写真もきれいに撮れました。マチの中心部にこのような手入れされた美しい公園があることはすばらしいことですネ。

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1⃣-46.オーストリア「ウィーン編」(3/11)~活気ある西駅の様子 6/25~29

2024-07-08 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ホテルは、この西駅のすぐ近くにあります。2008〜2011年に改増築工事が終わったといいますから完成から2年目の新しい駅です。このウィーン西駅はバーンホフシティ(ステーションシティ)とも呼ばれ、オーストリア西部やドイツ、スイスなど西ヨーロッパ諸国からの幹線が乗り入れています。ステーションビル内のショッピングモールにはさまざまなスタイルのカフェやレストラン、オーストリア国鉄の各種サービス施設などがあります。駅ホール前には、空港と市内をバスの発着停留所があり、地下鉄、電車なども集まっています。



 西駅正面の様子です。  


 ここは駅構内で右側には列車が泊まっています。








 ~駅構内の様子~












駅のすぐ向い側の様子です。



 


 大きな教会がそびえています。日中雨模様
でしたが、夕方やっと青空がでてきました。


 とにかく新しく、きれいな駅舎で、しかも治安も大変いいようです。またここには、各種カフェテリアや大きなスーパーがあるので、食事や買い物にも非常に便利でした。フリーの会食コナーがあり、スーパーなどで好きな物があれば買ってきてここで食べることができます。ドミトリールームの場合は、室内では食べる環境でないのでよく利用しました。 

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1⃣-45.オーストリア「ウィーン編」(2/11)プラチスラヴァ→ウィーン 移動日(2) 6/25~29

2024-07-07 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 高速艇は、ドナウ川を全速力でさかのぼって行きます。途中、2か所ほど船内アナウンスで名所、旧跡について案内していました。日本語はないので、よくわかりませんが、景色を見るとおよそのことがわかります。


   




 話は突然変わるようですが、昨日プラチスラヴァの安着祝いをしにホテルの近くのカフェテリアのような所へ入りました。たまたま若い2人組のエレキバンドのライブ中でした。ここはレストランでないので、手の込んだものはできないという。ピザはいろいろな種類ができると言うので、ピザをたのみました。このピザの大きくてしょっぱいこと、ガンバって全部食べようとしましたが、食べきれません。そこで、今日新しく入った青年に4分の1を持っていくことにしました。彼恐縮し、外出した折「お礼に!」ということでチョコレートを買ってきてくれました。古今東西、老若男女、心は同じだなあーと。小さな親切のつもりが、彼に負担かけさせたかな、と複雑な気持ちでした。そのチョコレートを高速艇でのおやつにしながら、彼に思いを馳せたものです。





 左は普通の定期船で、すぐ抜かしていきます。

 










 ドナウ川の所どころにこのような高床式の住居があります。
考えられることは、別荘地で、増水対策ではないかとー。  




 途中、橋はなかったような気がします。市街地に
あったとしてもマレです。
これは送電用かなと考え
ましたが、日本では見かけないおもしろい形です。


 ドナウ川からウィーン市内に入る運河にやってきました。




 12:10、10分程遅れでしたが、シュヴェーデンブラッツのウイーン・シティ船着場に着きました。ちょうど太陽がでてきてイイ感じです。このまま天気になってほしいものです。地理的には、まだよくわかりませんが、まずは「ウィーンカード72時間券」を買うことにしました。地下鉄を乗り継いで「西駅」で降り、ホテルに着きました。このホテルは、お客のニーズに対応できるようにいろいろなパターンの部屋が用意されています。私の場合は、最も安い2段ベットが3つのドミトリールームです。





 初日は計6人が泊まり、満ベット!でした。

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1⃣-44.オーストリア「ウィーン編」(1/11)~プラチスラヴァ→ウィーン 移動日(1) 6/25~29

2024-07-06 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ウィーンは、6/9成田からオーストリア航空でこの地で乗り換え、ブカレスト(ルーマニア)に行くために降り立ったところです。また、私たち家族には、ずーっと以前に来たことがあるので、なつかしい地でもあります。

 オーストリアの首都ウィーンは、ヨーロッパが東西に分かれていた時代には、西側陣営で最も東にある州都であり、国土は北海道よりやや大きい国(約83,900k㎡)です。そもそもハプスブルク帝国の中核だったオーストリアは、チェコやスロヴァキア、ハンガリーといった東側陣営の国とは歴史的に非常に近い関係にあり、南はイタリア、北はドイツというヨーロッパ南北を結ぶ文化の通り道でした。特に、モーツァルト、シューベルト、ヨハン・シュトラウスといった音楽家たちは、このマチで王族や有力貴族庇護を得て活躍したことはよく知られています。

 6/25、今日はプラチスラヴァ10:30発の高速船に乗ってウィーンへ移動の日です。きっと話題性があるので乗ってみたく、ネットで調べてありました。高速船の下調べをした折、天気がよくないのでバスも選択肢の中にあり、予約しませんでした。天気は昨日に引き続き曇天の霧雨の天気です。電光板の気温は13℃で半袖なら寒いほど。天気がよければ、もう少しプラチスラヴァを見て午後の便も考えていました。

 昨日携帯が復旧し、なおった!と思い、家内にPCメールで報告しました。その後、電池が少なくなってきたので充電しました。・・・ところがです。今までの喜びも一瞬にして吹っ飛びました。また、同じ状態なのです。過充電になっているのかな。充電器を改めて眺めても「海外用」に。もしかして、電池が少なくなると画面が戻るかもーとのアワイ期待をもつことにしました。だんだん画面が暗くなっていく間にアラームをセットしましたが、結局は鳴りませんでした。

 6:30には起床。昨夜は4人部屋に4人泊まったので、起きるタイミングに気を使います。何となく呼吸を合わせて互いに迷惑をかけないようにしています。朝食は8時から。学生たちが泊まっていましたので狭いダイニングルームは一瞬いっぱいに。







 荷物をまとめてあるので、すぐマチを見ながら桟橋へ向かいました。カサをさすほどではありませんが、だんだんしっとり濡れる感じです。


  巨大なショッピングモールで、「EUROVEA GALLERIA」といい、人が入っていくので入ってみました。各テナントが全部開いているのではなく、コーヒーショップや一部の店がオープンしています。




 強風で倒れたものです。 


 スロバキア新国立劇場

 昨日、高速船の「Twin City Liner」の会社に下調べで行った時、30分前に来て下さい、と。しかし、30分前に着いた時、客は自分一人です。本当にイイのかな?受付の女性は愛想よく対応してくれ、自分一人でも船は動くのだなーと安心しました。その後、一般の客と同じホテルに泊まっていた高校生の団体がやって来てニギニギしくなりました。船内は、搭乗率20~30%といったところでしょうか。きっと天気にも左右されたかも。水量は結構多く、水は濁っていて、少しですが流木も所々に見かけられます。

 

 さて、水面からの視点からどのような光景が見られるでしょうか。ブラティスラバ発10:30ジャストに出航しました。ドナウ川をさかのぼって行くことになります。 天気が回復し、青空が出てくることを期待しながらー。

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1⃣-43.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(5/5)~市内アレコレ 6/23~25

2024-06-21 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ミハエル門を通り、旧市内を奥へ進んで行くことにしました。霧雨が時々降りましたが、それほど濡れるほどではありませんでした。旧市内は観光客が結構歩いていました。所々にレストランやお土産屋さんがあります。








 


 建物の間に見えるのは「マルティン教会」です。

 

 












  


  
 左は旧市庁舎。右側の国旗が掲揚されている建物は日本大使館。
手前はブラヴォネー広場。



  


 ブラヴォネー広場に面した一角にお寿司屋さんがありました。
ピントが甘く値段がイマイチ見えずらいですがー。




 旧市庁舎のモザイクの壁面。



   




 マンホールから頭を出し休憩しているようなポー
ズをとる消防士!~観光の一役をかっている。

 
 正面が「ミハエル門」。




 ドナウ川近くの「聖マルティン教会」です。




 ドナウ川まで出てきました。




 ドナウ川にかかる「新橋」。左の橋を挟んで斜めの
部分は展望タワーで、レストランになっています。



  




私にはこの後、明日のためにやるべきことがあります。それは、プラチスラヴァ→ウィーンに高速船での移動を想定して、その発着場所と時刻の確認です。天気があまり良くないので、どうするか明日の天気を見て決断しようと思いました。受付の女性は、わかりやすい英語で親切ていねいに教えてくれました。印象がとてもよかったので、少々高いが高速船で行こうと心に決めましたが、まだ迷いがあったので、明日のチケットは買わないで帰ってきました。

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1⃣-42.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(4/5)~プラチスラヴァ城 6/23~25

2024-06-20 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 なかなか霧雨が晴れません。日本の梅雨のような日です。スロヴァキアはヨーロッパ北部に位置し、やはりこのような天気があるんだなーと。ドナウ川の近くの丘の上にそびえる「プラチスラヴァ城」に行くことにしました。12世紀頃に建てられたこの城は、いろいろな変遷を経て、1811年に大火災が起き荒廃。復旧されたのは、第2次世界大戦後のことです。周りは公園として整備されています。


 




城の方向間違いなしです。








 城の正面の展望台からみたドナウ川の景観です。

  
パノラマ写真で合成したところ、屋根の部分にムリが
あったようです。不思議!
ここにもなぜ日本の国旗が
掲揚されているか不明。日本と関わるイベントでも?




 中に入ると広場になっています。右は「歴史
博物館」入口ですが、今日は休館日です。



  
貸切バスなどの観光客は、この入口から入ってきます。


下から城のある所までは、階段で上がるか、若干迂回して道路で行くことができます。階段もいろいろな方向から登れるように整備されています。丘の上ですから、風が強く雨避け用!として被っている帽子が飛ばされそうでした。霧雨もやまなく、体が湿っぽくなってきたので帰ることにしました。一番気を使うのは、雨でカメラが濡れてトラブルことがないようにすることです。ホテルは、この城の裏側といった感じで歩いて10分以内の所です。

 ホテルで少し休んでから、再度外出することにしました。外の状況はほとんど変化なく、かえって風が強く寒さを感じます。ムリしないこと!と言い聞かせ、15分ほど近くを歩き返ってきました。

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1⃣-41.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(3/5)~”ミハエル門”へ 6/23~25

2024-06-19 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 旧市内はもともと城壁に囲まれていた、いわゆる”城郭都市”でした。いくつかの門のうち、唯一現在まで残っている門が、「ミハエル門」です。14世紀にゴシック様式で建てられていたもので、16世紀になってから現在見られるようなルネッサンス様式に改装されたということです。バロック式の屋根は、18世紀に付け加えられたものとのことです。トレドのようなどこにどのような城壁があったのかは全く跡形なし!といったところです。




   

 左の塔の下が「ミハエル門」です。

 






 これが「ミハエル門」です。




世界各都市の方向と距離がかかれています。東京まで9142km。

 









 


この地区は旧市街が見れるということで、ツアーの観光客がたくさん集まっていました。やはり、英語、ドイツ語が飛び交っています。日本人とは一人も合いませんでした。同じホテルで朝食が相席だった東洋人!、彼女らはタイワン人でした。

 この日は寒く、霧雨模様なので観光日和ではありません。昨日まで30℃以上の暑さでしたが、今日は電光板が午前10時頃で13℃でした。私の温度計でも確かに14~15℃でした。風もあり、1枚何かを着なければ寒い感じです。寒さ対策は十分なのですが、温度が低い方が食欲もあり、体調もイイ感じです。 

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1⃣-40.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(2/5)~マチ探索 6/23~25

2024-06-18 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  ホテルの近くを歩いてみました。所々に教会あり、近くにはプラチスラヴァ城あり、またトロリーバスが走っていたりで、なかなか風情のある景色がたくさんあります。このマチにも歴史と文化が脈々と流れていることを強く感じました。





プラチスラヴァ城近くにあるホテル界隈です。




プラチスラヴァ城の下に電車用のトンネルがあります。



 
  緑色の塔は「ミハエル門」で、城郭都市の入口の一つだったところです。





 



 
 丘の上の建物が「プラチスラヴァ城」です。



   
陶磁器の店がありましたので、参考のためにー。    


1993年、チェコと連邦制を解消し、ひとつの国家になってあまり経っていません。チェコスロヴァキアになる前、長い間ハンガリーの支配下の一つの都市として発展してきました。1536年、当時のハンガリーが首都ブダペストがオスマントルコに攻め落とされた時、このプラチスラヴァがハンガリーの首都になったということです。陸続きで大平原の続くこの地は、攻めたり攻められたりの攻防がいつもありました。

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1⃣-39.スロヴァキア「プラチスラヴァ編」(1/5)~ブダペスト→プラチスラヴァ移動 6/23~25

2024-06-17 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 スロヴァキアの国土は約5万k㎡(北海道の5分の3)で、人口は544万人ということですから北海道が独立国になっている感じで、国土のほとんどは山岳地帯です。 
 スロヴァキアは、チェコとの連邦を1993年に解消し、一つの主権国家になりましたブブラチスラヴァ市は、ラチスラヴァ県の南西端に位置し、ドナウ川に面した都市です。スロバキアの政治、文化、経済の中心都市であり、中央ヨーロッパ有数の世界都市です。ウィーンに最も近接した首都でもあり、当然両者は古来から密接な関係にあります。
 2008年末の人口は42万8791人で、首都としては中規模な都市です。市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかケルト人、ローマ人、アヴァール人、ドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人などのさまざまな民族が関与しました。また、合わせて長い歴史の中で、いろいろな国の首都となった歴史もあります。第2時世界大戦までは、ドイツ語、ハンガリー語も一般的に用いられていました。旧市街を中心にブラチスラヴァ城、スロバキア共和国国民会議、聖マルティン教会、国立ギャラリー、国立自然史博物館などがあります。またドナウ川にかかる新橋は、斜張橋の先駆けの一つで1922年に完成しました。
 このような歴史をもったマチに2泊3日滞在することにしました。



  6/23、昨夜は真夜中から雷雨となり、気温もだいぶ下がり快適な夜でした。 こちらの雨は、夜降っても明け方には上がるので、それに期待してー。起床4:30、家内からモーニングコールです。実は、私の携帯の画面が真っ暗になって作動しなくなったのです。こんな状態でも、家内から実験的に電話してもらったらつながり、話すことができることがわかりました。私の場合、目ざましをかけてその時間に起きようとしたら、必ずその前に起きるという習性があります。それでも、今回は決して遅れてはならないのでモーニングコールを頼んでいたのです。当面困るのはアラーム機能です。あわせて、緊急時の連絡方法です。PCでのメールは少し時差が付きます。半日以上はー。しかし、無料なのがイイ。なるべく自立して旅行を続けることと記念のためにと、ブダペストで目覚まし時計を買いました。


 
 
 古典的な時計ですが、この感じが懐かしく決めました。
 はじめから動いていないのはわかっていましたが、ネジを巻いてたら、ガサッと不気味な音がー。なんと、中を開いてみたらゼンマイが外れてしまっています。残念!ハンガリー製かと聞くと違う、「〇〇製だ」といっていましたが、いまひとつ表示がありません。せっかく買ったので記念に日本に持って帰るか否か迷いながらリックに入れてあります。5:15、チェックアウト。昨日この時間に出発するといってあったこともあり、対応してくれました。
雨は上がり、足取りも軽く5分で最寄りの地下鉄の駅へ。よし、時間は十分あり、イイぞ!
ところが、駅まで行くと3名の係員がいて、今日は日曜日なのでここの地下鉄は動いていないという。どうやって行けばいいかと尋ねると、向かいのバスでーと。8番目の停留所で降りるように。バスが来たのですぐ乗り込みました、しかし、キップの買い方がわかりません。なんと肩身の狭い面持ちでバスに揺られること10分。結局はタダ乗りに。デアークという地下鉄から、バスセンターまでの地下鉄は動いているのです。よく勝手がわかりませんが、事実を素直に認めるしかありません。
 


メトロM3の地下鉄の様子。早朝なので人はあまりいません。
 

 6:30発プラチスラヴァ行きバスは、乗車率80%のお客を載せ、ピッタリに出発しました。プラチスラヴァまで3時間。バスはエアコンが隅々までよくきいていて快適です。道路も高速道路がほとんどで、こんなイイ条件ならバスでの移動もいいと思いました。


 


 


大平原の中を100~120Km/時で走っていきます。
 

 無事ホテルに着き、今日からドルミトリールームです。4ベットに3名が宿泊です。同室の年齢層も配慮しているようです。なかでも、フランス人の私より先輩の一人旅の男性が、英語で親切に話しかけてくれました。実は、息子さんの奥さんが日本人とのこと。旭川の地名は知りませんでしたが、札幌、稚内、函館は息子さんの転勤先だったこともあり、知っていました。今は、シンガポール勤務とのことです。どのような仕事とまでは聞きませんでしたがー。このホテルは、周りの人にお互い少しは気遣いしながら、思ったよりイイ雰囲気です。このホテルは安いのに朝食付、さらにはエアコンも付いているといった今回の旅行の中では、”デラックスホテル!”といったところで、よく寝れました。
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