一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓖ-27.スイレンの植え替え➨越冬

2022-11-20 07:00:00 | ⒼGardening・庭造り

 今年咲いたスイレンは2株で13コ開花したことになります。10/10、容器を引き上げてみるとドブ臭い匂いがするので、新しい土に交換し、肥料をやってから越冬させることにしました。


水槽から引き揚げたところ。

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数日後


新しい葉と根がでています。


粒状のこんな肥料をやりました。

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きれいに洗った水槽に戻しました。(photo;1週間後)

昨年は20コほど花が咲いたのですが、今年少なかった理由があります。8月、就学前の子供が、水槽の中にいるメダカをすくうことに興じて網を何度も入れたため、葉がボロボロになってしまいました。少なくとも根元から3つ花芽が出ていたのですが、それまで開花せず秋には朽ちてしまいました。スイレンは案外デリケートな植物であることがわかりました。さて、来年はー。

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Ⓘ-6.短編小説”最後の授業”から(2/3)~アルザス及びロレーヌの歴史と現状

2022-11-19 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 この物語は、主人公の少年フランツやフランス語教師アメル先生の母国=フランスに対する愛国心や悲哀、多民族に征服される怒りや苦しみ、悲壮感などが伝わり、ある面では反戦!のよい教材となりましょう。そう、ある時点まで私もそう信じていました。


 ストラスブール(アルザス)のマチなみ。

 この「最後の授業」が教科書から消えた理由を考えていくには、アルザス地方の歴史や現状を知る必要があります。私は、数年前フランスを周遊する機会があり、「最後の授業」の記憶からアルザス地方はぜひ訪ねたい!とコルマールストラスブールを旅程に入れた経緯もあります。その折、フランスとドイツとの歴史的な関わりを一読しましたが、下記は、正確性を期すため、ウキぺディアなどの資料をもとに調べたものです。

以下長文になりますので、歴史嫌いな人⁉は、にスキップして下さい 

【1】普仏戦争までの歴史  フランスとドイツの国境地域に位置するアルザスやロレーヌには、古くからケルト人が住んでいました。ローマ帝国に支配された後は、歴史の中で幾度となく領土侵略が繰り返されたことにより、ゲルマン系のアルマン人フランク人が相次いで侵入してきました。それにより北部ではドイツ語のフランク方言が、南部ではスイス・ドイツ語に近いアレマン語が長らくこの土地で話されるようになったようです。

当時この地は、元来神聖ローマ帝国に属していたものの、ローマ帝国に対して野心を抱くフランスの侵略の標的となっていた時代です。

ドイツ帝国の位置
神聖ローマ帝国の領土の変遷

 1736年、神聖ローマ帝国は、アルザスとロレーヌをフランスに割譲することで、フランスからの干渉を食い止めることにしました。フランスに編入されたアルザスとロレーヌは、公用語としてフランス語が用いられたため、アルザス地方の言葉は、フランス語の語彙が入った「アルザス語」として形成されていったということです。

【2】普仏戦争でフランスが敗れると 1871年に起きた普仏戦争でフランスが敗れると、ベルフォールを除いたアルザスとロレーヌの東半分がプロイセンに割譲されました。  必然的に、フランス国内では、反ドイツ感情が湧き起こります。そしてこの頃、毎週月曜日にパリで「月曜物語」という新聞連載が始まり、この中にアルフォンス・ドーデの「最後の授業」が連載されたのでなど。

【3】ドイツ帝国統治下 当時の住民の大多数はドイツ系のアルザス人だったため、フランス語にそれほどなじみがありませんでした。ドイツ統一後もアルザス人は必ずしもドイツから完全な”ドイツ人”とは見なされていなく、安全保障上の問題からこの地が必要だったこともあり、後には自治憲法の制定を認めるなど、比較的穏やかな同化政策を取っていたようです。しかし、”ツアーベルン事件”(1913年、ツアーベルンに駐屯していたプロイセン軍将校の侮蔑的発言をきっかけに生じた軍と住民の衝突事件)の発生後は、中央政府及び軍との関係が悪化し、自治憲法も停止されました。       

【4】戦間期と第二次世界大戦
 第一次世界大戦でドイツが敗北した後の1918年11月8日、同地域はアルザス=ロレーヌ共和国として独立しました。アメリカのウイルソン大統領はこれを承認しようとしましたが、フランスは拒絶し11月19日フランス軍に占領され、この地域は再びフランス領となりました。第二次世界大戦時、ドイツのフランス侵攻により同地方は再びドイツ領になりました。

【5】第二次大戦後のフランス化政策 第二次世界大戦後、この地区には再びフランス化政策が敷かれました。しかし、テロや独立運動が発生するなどフランス政府に対する反発が強く、間もなく政府も方針を転換して、1999年から、初等教育からフランス語でなくドイツ語・アルザス語の教育が認められたということです。


 クレベール広場では、只今イベント開催中です。

昔、世界史の中のヨーロッパ史を学んだことが少しよみがえってきたかと思います。このアルザス、ロレーヌは、陸続きであるという地政学的条件もあり、民族の大移動をはじめ夫々の国の思惑で領地の奪い合いを繰り返した破壊と殺戮!の苦難の歴史があったことがわかります。

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Ⓘ-5.短編小説”最後の授業”から(1/3)~あらすじ

2022-11-18 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
最後の授業 

 未読の人もいると思いますので、以下あらすじです。 この「最後の授業」は1871年にフランスで世に出たもので、今から約150年前の昔のことです。

 ある日、ドイツとの国境の町・フランス領アルザス地方に住む学校嫌いなフランツ少年は、その日も村の小さな学校に行くのですが遅刻しました。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていましたが、意外なことに、先生は怒らず穏やかに着席を促しました。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっています。教室の皆に向かい先生は話しはじめます。

  「私がここで、フランス語の授業をするのはこれが最後です。プロイセンとの戦争でフランスが負けたため、アルザスはドイツ=プロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが私のフランス語の最後の授業です」と。これを聞いたフランツ少年は、激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じます。


 このようなドイツ風の建物がたくさんあります。

 先生は、「フランス語は世界で一番美しく、一番明晰なことばです。そしてある民族が奴隸となっても、その自国の言語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」、と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾けます。やがて、終業を告げる教会の鐘の音が鳴りはじめました。それを聞いた先生は蒼白になり、そのうち悲しみで言葉が途絶え、黒板にフランス語でフランス万歳!と書いて、最後の授業!を終えます。

教科書の出番 1927年(S.2)に教科書に採用され、戦後の一時期は教科書から消えました。それが、1952年(S.27)に再登場しましたが、1985年(S.60)からは教科書に採用されなくなりました。私のテーマは、
   なぜ、教科書から消えてしまったのでしょうか?

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🅿-32.下絵具幾何文の陶板 (2/2) 3点

2022-11-17 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 前回と同じデザインをもとに、丘陵のイメージを下絵具で描いてみました。周囲のランダムなデザインと森や山の幾何学文様に違和感を感じますが、下絵具がきれいに発色したので、明るい感じになりました。


 ①幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、27.5×19.5


 ②幾何文陶板「大雪山の原生林」     厚0.6、26.5×18.8


 ③幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、26.5×18.8

骨描きは、鉄絵を使っていますが、作品によって濃淡が表れています。鉄絵は、濃く塗ると濃い黒色に発色しますが、薄いと茶色ぽくなります。濃い色にするには、はじめから鉄絵の濃度を濃くして塗ればイイのですが、描くとき筆運びがスムースにいかないことがあるので工夫を要します。特に、③の骨描きは全体的に薄くムラが目立ちます。黒色を際立たせるには、下絵具を塗った後、仕上げにもう一度骨描きします。

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🅿-31.幾何文の陶板 (1/2) 5点

2022-11-16 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

   幾何文で原生林や丘陵をイメージしたデザインを、陶板にゴスで描きました。デザインが決まれば、曲面のものより骨描きしたり、ダミをさしたりするのは楽です。後は、根気強く、集中して一つ一つていねいに仕上げていきます。


 ①幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、28×20


②幾何文陶板「大雪山の原生林」    厚0.6、27.5×22.5


③幾何文陶板「大雪山の原生林」    厚0.6、22.5×16.5


 ④幾何文陶板「大雪山の原生林」   厚0.6、44×27.5


 ⑤幾何文陶板「大雪山の原生林」 厚0.6、44×27.5

作成に当たっては、ブレンド土をタタラ機で7mmの粘土板を作り、素焼きします。その後、寒冷紗を使って白化粧土を掛け網目を付け、再度750℃で焼成します。絵付けした陶板には3号透明釉をコンプレッサーで掛け、酸化焼成しました。

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🅿-30.ゴス下絵付葉皿 8点

2022-11-15 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 石膏型を使って作った葉皿の素地に、ゴスでいろいろなデザインを描いてみました。取り皿に使ったり、おかずを入れたり、おしぼりを出すのもイイか、と。粘土は上信楽粘土、焼成は酸化焼成(1250℃、19時間30分)です。


 ①ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ②ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ③ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ④ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ⑤ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ⑥ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ⑦ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7


 ⑧ゴス下絵付葉皿       高2、16.5×10.7

使用している石膏型は、 既製品の先のとがった葉っぱ形の石膏型です。タタラ機でタタラを作成するとき、おおよそ上の写真の形になるように粘土の塊を作り、タタラ機に圧縮させてから型取りをしています。

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🅿-29.粉引湯呑 9点

2022-11-14 07:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 粉引(こひき)の魅力は、独特の白さにあります。
 下の作品は、ロクロで成形し高台を削った後、生乾きさせたものに白化粧土を掛け、素焼き後、灯油窯で還元焼成した作品です。何度か焼成したものが混ざっています。化粧土の掛っていない地の粘土が黒くなっている作品は還元度が強い場合です。その時の焼成の度合いや作品の置く場所によっても異なります。以下は、手元にあるお気に入りの粉引の器たちです。




 ❶ 粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





粉引湯呑





粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ❹
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ❺
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ➏
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ❼
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ➑
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5





 ❾
粉引湯呑  高;8.4、径;7.5

化粧の掛け残しを「火間(ひま)」といい、見どころになる部分です。これは、白化粧の合間に素地を見せる技法で、特に茶碗などの場合は、「火間」を高台から腰にかけて残すことによって景色を楽しみます。また、透明釉を掛ける場合、腰の部分を指3~4本で支えて掛けますが、この釉の掛っていない部分もまたよしと。この粉引もまた、粘土や化粧土の調合、焼成の仕方など奥が深く楽しい分野です。

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Ⓖ-26.庭の花と紅葉~霜ニモ負ケズ!   2022.11.2

2022-11-13 07:00:00 | ⒼGardening・庭造り

 10/25~27の3日間、-2℃以下になり強い霜が降りました。そのため、皇帝ダリアやブドウのように完全にダメージを受けたものとそうでないものがあります。庭の雪対策は、天気と気温を見計らって10月下旬ころ始めます。

 最高気温13.1℃、最低気温9.4℃、晴の11/2、外回りの作業をするには絶好の日でした。ふと、
美しく色づいた葉の記憶を記録しておこうと思い立ちました。ナント、寒サニ負ケズ、霜ニモ負ケズまだ咲いているものもあります。

開花中のもの




 プリムラ



 ラミウム



 フウロソウ 



 ワスレナグサ



 シュウメイギク


 ベンケイソウ







バラ


結実中のもの


ローズヒップ(ロサ・グラウカ)


ラズベリー


スズラン



 シラタマノキ



 高山ナナカマド

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残っていた紅葉


幸水⤴ ⊞ 豊水⤵

 ナシ





 カシワバアジサイ





 ブラックベリー



 ラズベリー





 スモークツリー





 クロフネツツジ




 ビックリグミ




 ドウダンツツジ





 ブルーベリー





 シモツケ


佐藤錦⤴  ⊞  アメリカンチェリー⤵

 サクランボ

一枚一枚の葉が紅葉していく過程の絶妙なグラデーションにはいつも感動させられます。また、それがまとまったときの美しさ(=集合の美)も格別です。本当に”自然の織りなすハーモニー”ということばがぴったりします。時折、こんな色合いを釉薬で表現できないものかと思うことも。

  

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Ⓘ-4.金子みすゞの詩に学ぶ(4/4)~みんな同じ人間どうし

2022-11-12 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 金子みすゞの詩に関連した内容で、
印象に残る話をシェアしたいと思います。



 長距離を移動するのに飛行機を利用する場合、とりわけ直接的お世話になるのがアテンダントの人たちです。いつも彼らの客に対する接し方には感心させられることが多いものです。

 50代と思われる白人女性が機内で席につくと、彼女は自分の隣が黒人男性であるということに気付きました。周囲にもわかるほどに激怒した彼女は、アテンダントを呼びました。アテンダントが「どうなさいましたか?」と尋ねると、「分からないの?」と。その白人女性は続けて、「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないワ。席を替えて頂戴!」「お客様、落ち着いていただけますか」と、アテンダントは、「当フライトはあいにく満席でございますが、今一度、空席があるかどうか、私調べてまいります」、そう言って去り数分後に戻って来ました。
                      ⏰
 「お客様、先ほど申し上げましたように、こちらのエコノミークラスは満席でございました。ただ、機長に確認したところファーストクラスには空席があるとのことでございます」。そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けました。「お察しとは存じますが、当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるということは通常行っておりません。しかしながら、あるお客様が不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、ということは当社にとって恥ずべきこととなると判断いたしますので当然事情は変わってまいります」と。

 そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言いました。「ということで、お客様、もしおさしつかえなければお手荷物をまとめていただけませんでしょうか?ファーストクラスのお席へご案内します」と。近くの乗客が、歓声をあげるのをその白人女性は呆然と眺めるだけでした。スタンディングオベーションを送る者もいたということです。
                  

 日本語に訳されたのは宮本端さんです。こんな劇的なシーンにはめったに遭遇しないものですが、まずは、発想の転換というか、的確な対応は学ぶべきことも多いと思います。

 

黄色人種である私たち日本人が、欧米社会で住んでいたり旅行していると、どのような目で見られているのか少し気になることがあるものです。上記の話題のように、白人至上主義を唱える人たちが現実にいることも事実です。国際理解の原点は、個性尊重であり、人権尊重です。すなわち、金子みすゞの詩のように「みんなちがって みんないい」の精神=「みんな同じ人間どうし」だと思います。

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Ⓘ-3.金子みすゞの詩に学ぶ(3/4)~「こだまでしょうか」から

2022-11-11 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
私の好きな金子みすずの詩の最後はー、

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと 「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。

そうして、あとで さみしくなって、

「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 

こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。

これは、人間のコミュニケーションに係わる問題を示唆してくれています。子供の世界でも大人の世界にもある「いじめ」の大きな要因は、周囲の基本的人権尊重の精神と合わせて、このコミュニケーション能力に起因しているのでないか、と思います。この詩は、道徳的視点に立ち、社会規範を守り、人間関係を円滑にしていくためには、発する一つ一つの言葉の大切さを説いているー、といつも感じます。

友人間でも夫婦間でも、見知らぬ人との会話でも、相手の立場に立ち優しい言葉で接しなくては相手からも温かい言葉がかえってこないもの、と心させてくれます。「売り言葉に、買い言葉」という諺がありますが、感情は”みんな同じ 人間どうし”ーとの戒めや教訓を含んでいるーとも。

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