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今では相当変わってますけど

The Clash - Revolution Rock

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福島第1原発:警戒区域の桜満開 富岡・夜の森公園

2012年04月19日 | 原発
福島第1原発:警戒区域の桜満開 富岡・夜の森公園

毎日新聞 2012年04月19日 11時38分(最終更新 04月19日 11時56分)

咲き誇るサクラ=福島県富岡町で2012年4月19日、武市公孝撮影

 東京電力福島第1原発事故のため全域が立ち入り禁止の警戒区域に指定されている福島県富岡町で19日、「夜(よ)の森(もり)公園」の桜がほぼ満開となり、報道陣に公開された。

 2.5キロにわたり、道の両側からソメイヨシノが枝を寄せ合う「花のトンネル」は、町のシンボルとして住民たちに親しまれ、毎年花見客でにぎわった。しかし、町民約1万6000人全員が全国に避難中の今年、町は「せめてメディアを通じて古里の桜を見せたい」と立ち入り取材を許可した。防護服姿の報道陣や役場職員しかいない桜並木に、メジロのさえずりが響いた。

 公園周辺の桜は約2000本。入植を記念して1900年に植えられた300本が起源で、植栽が続けられてきた。町の担当者は「せめて来年は警戒区域が解除され、町民が花見に立ち入れるようになれば」と話していた。【乾達】

「改革実行の指導者たれ」=若い正恩氏に期待も-米国務長官

2012年04月19日 | 国際 アメリカ
「改革実行の指導者たれ」=若い正恩氏に期待も-米国務長官

 【ワシントン時事】クリントン米国務長官は18日、北朝鮮の金正恩労働党第1書記に対し、「未来ある若者として、北朝鮮を21世紀の現代世界に移行させるような指導者になって」と呼び掛けた。訪問先のブリュッセルでパネッタ国防長官と共に応じたCNNテレビのインタビューで語った。
 クリントン長官は、正恩氏について「北朝鮮の人々が必要とする指導者になれるかどうか注視している」とした上で、「父親(金正日総書記)の足跡をたどるなら、挑発行為や政治・経済官僚の失政以外に期待できない」と指摘した。
 また正恩氏が15日に行った演説に関し、「これまでの繰り返しの部分もあるが、新たなアプローチの可能性が含まれている」との分析を明らかにし、体制移行に伴う変化への期待ものぞかせた。(2012/04/19-08:53)

正恩氏談話を異例の公表=幹部に対し「民心つかめ」-北朝鮮

2012年04月19日 | 国際 南北朝鮮
正恩氏談話を異例の公表=幹部に対し「民心つかめ」-北朝鮮

 【ソウル時事】北朝鮮の朝鮮中央通信は19日、金正恩労働党第1書記が今月6日に、党幹部に対して行った談話を伝えた。談話は、故金正日総書記を「永遠の総書記」とする考えを示すとともに、軍事力強化、食料問題解決に向けた対策など全般にわたり指示している。談話は19日付の党機関紙・労働新聞の1、2面に掲載された。
 北朝鮮指導者の内部的な指示を公表するのは異例で、正恩氏の指導力をアピールし、国民の忠誠心を高める意図があるとみられる。
 談話は、金日成主席、金総書記の路線継承を強調。その上で「民心を離れた一心団結はありえない。党組織は、群衆の声を注意深く聞き、群衆の中で提起される問題をすぐさま解決しなければならない」と指摘した。食料問題など経済分野に触れ、「人民への食料供給を正常化しなければならない」「軽工業発展に力を入れ、人民の消費品の問題を解決しなければならない」と指示。経済に関しては内閣が統一的に指揮するよう求めた。
 一方、軍事面に関しては「党の先軍革命路線をしっかり固め、国の軍事力をあらゆる面で強化しなければならない」と強調。また、「全ての敵対的で非社会主義的な現象をなくすため、深刻な階級闘争を伴わなければならない」として司法機関の役割の重要性を訴えた。反体制の動きや腐敗を厳しく取り締まる必要性を強調したとみられる。(2012/04/19-10:22)

南スーダンが新加盟=IMFと世銀

2012年04月19日 | 国際 アフリカ
南スーダンが新加盟=IMFと世銀

 【ワシントン時事】国際通貨基金(IMF)と世界銀行は18日、昨年7月にスーダンから分離独立した南スーダンが、新たに加盟国入りしたと発表した。IMFと世銀グループの中心となる国際復興開発銀行(IBRD)の188番目の加盟国となる。(2012/04/19-06:23)

スーダン大統領:南スーダン「解放する」 軍事行動を警告

2012年04月19日 | 国際 アフリカ
スーダン大統領:南スーダン「解放する」 軍事行動を警告

毎日新聞 2012年04月19日 11時30分(最終更新 04月19日 11時37分)

スーダンの首都ハルツームで、支持者を前に南スーダンの解放を宣言するバシル大統領=2012年4月18日、ロイター

 【ヨハネスブルク服部正法】スーダンからの報道によると、スーダンのバシル大統領は18日、首都ハルツームで開かれた集会で、昨年7月に分離独立した南スーダンの市民を同国政府から「解放する」と演説した。国境地帯で戦闘が続く南スーダンに対して、本格的な軍事行動を警告した形だ。

 バシル大統領は集会で「我々の目標は、南スーダン市民を(南スーダン与党の)スーダン人民解放運動(SPLM)から解放することだ」と述べた。両国の衝突は国境の油田地帯ヘグリグの掌握を巡る攻防戦に拡大している。

 3月末に始まった国境地帯の衝突は今月10日以降、激化している。ヘグリグは18日現在、南スーダン側が支配しているが、戦闘が断続的に続いている模様だ。

 南スーダンの首都ジュバには、国連平和維持活動(PKO)のため、日本の陸上自衛隊施設部隊が駐留している。

スーダン:南スーダンとの全面戦争危惧

2012年04月19日 | 国際 アフリカ
スーダン:南スーダンとの全面戦争危惧

毎日新聞 2012年04月19日 11時13分(最終更新 04月19日 11時38分)

 【ヨハネスブルク服部正法】スーダンのバシル大統領が昨年7月に分離独立した南スーダンを「解放する」と宣言、南スーダンへの宣戦布告とも受け取られかねない強硬姿勢を示したことで、全面戦争突入を危惧する声が国際社会で高まっている。

 衝突拡大の背景にあるのは、両国国境地帯にある油田地帯ヘグリグを巡る石油権益の分配問題だ。南スーダン軍は今月10日、スーダン側のヘグリグを制圧した。これに対して、スーダン軍は南スーダン・ユニティ州の州都ベンチウなどを空爆している。

 ヘグリグはスーダン側の原油生産量の半分程度を占めるとされ、南スーダンによる実効支配を許せば、スーダン経済への影響は大きい。バシル大統領がさらなる強硬策に出る可能性は否定できない。

 ロイター通信などによると、バシル大統領は18日の集会で、南スーダン与党のスーダン人民解放運動(SPLM)を「虫けらども」とののしり、「解放は我々の責務だ」と強調した。「今後、数時間のうちにヘグリグの仲間から良いニュースを聞くことになる」などと述べた。

 南スーダン独立以前の旧スーダンは歳入を石油に大きく依存してきたが、油田の4分の3が南にある一方、輸出港へのパイプラインは北にしかなく、南の独立後に石油収入をどう分配するかが課題となっていた。しかし、分配割合の話し合いはまとまらず、南スーダンが今年1月、国内の石油生産を停止。関係は一気に悪化した。

 AP通信によると、南スーダン軍関係者は、南スーダンの首都ジュバ上空を飛行するスーダン軍機が先週目撃されたと話す。また、スーダンのアリオスマン国連大使は「我々は南スーダンの国内深部を攻撃する」と話しており、局地的紛争から全面衝突に発展する危険性が高まっている。


視点・論点 「シリア 統治の構図」2012年04月16日 (月)

2012年04月19日 | 国際 アラブ
視点・論点 「シリア 統治の構図」2012年04月16日 (月)

(NHK 解説委員室, 4/16)
同志社大学大学院教授 内藤正典
 
中東、シリアでは、反政府運動に対する激しい弾圧がつづいてきました。
さきごろ、国連のアナン前事務総長が、政府側、反政府側の双方に、暴力をやめるよう調停に乗り出しましたが、そのゆくえは不透明です。
シリア政府は、反政府運動側が、武装解除しなければ、武力弾圧の停止には応じないと主張しています。
おそらく、シリアとしては、アナン氏のような大物が仲裁にのりだすのを待っていたのでしょう。
調停案をなし崩しにしてしまえば、彼の後に、仲裁を引き受ける大物は、もういません。
そのことを見越して、アナン氏の訪問を受け入れたとも考えられます。
4月12日、一応、停戦となりましたが、シリア軍は戦車などを引き上げていないので、一触即発の状況がつづいています。

シリアでの反政府運動、今回が最初ではありません。
1980年代の初めにも、起きています。
当時は、いまの大統領であるバッシャール・アサドの父親、ハーフィズ・アサド大統領の政権でした。
アサド体制の中枢にいるのは、シリアで少数派のアラウィーという宗教の信者です。人口のおよそ1割を占めると言われるアラウィー派は、報道などでは、イランのシーア派に近いと言われていますが、実際には、シーア派とは大きく異なり、イスラムの一つの宗派というのは無理があります。

彼らは、長いこと、多数を占めるスンニー派から差別されてきました。

政治のなかのアラウィー派には、ほとんど宗教色はありません。
支配政党のバアス党も、正式には、社会主義アラブ復興党という名称です。社会主義を名乗っているくらいですから、こちらも、イスラムとは関係がありません。

少数派の政権が、多数を占めるスンニー派のイスラム教徒を支配しているのですから、スンニー派の住民は、不満をもっていました。

1980年代にはいると、スンニー派のムスリム同胞団が、政権に対してさかんにテロを仕掛けます。

当時、私は数少ないシリアへの留学生で、首都ダマスカスに住んでいました。

1981年の夏には、ほぼ月に一度の割合で、ダマスカスにある、軍の関係施設、バアス党の施設、ソ連軍関係の施設などで、大規模なテロが起きていました。

そのうちの一つは、空軍省を狙ったもので、爆薬を搭載した車が突入し、空軍省のビルは残ったものの、内部は相当に破壊されました。
私の家は空軍省の近くだったので、家のガラス窓や換気扇が吹き飛ばされました。
大家さんは、すぐにやって来て、黙ってすべてを修理しました。事件については、何も語りません。
シリアでは、何か家にトラブルが発生しても、修理に時間がかかったり、費用のことで大家と揉めることが多いのですが、なぜか、即座に何ごともなかったかのように、元の状態に戻されました。

知らん顔をしている限りは安全。しかし、首を突っ込めば殺される危険に満ちている、それが当時から今日に至るシリアの社会です。

シリア政府は、このようなテロを当初、「爆発事故」と報道していましたが、翌82年の2月、ムスリム同胞団の拠点とされた、シリア中部の都市、ハマを包囲して猛攻撃し、反政府勢力を壊滅に追い込みました。

弾圧は、軍の情報機関、大統領の弟がトップをつとめていた首都防衛隊、そして正規軍によるもので、日常生活の監視から、重火器による攻撃まであらゆる手段が使われました。

外国人の立ち入り禁止が解除された後、ハマを訪れたことがありますが、ものものしい武装兵士以外に、成人男性の姿をみかけないことに、戦慄を覚えました。何人の市民が殺害されたのかも、はっきりとはわかりませんが、1万5000人から3万人と言われています。

当時の、ダマスカスでの生活を振り返ると、奇妙なことを感じます。
それは、たとえて言うなら、ライオンの尻尾さえ踏みつけなければ、危害を加えられないということです。

政権批判をしないかぎり、市民の生活は実に平穏なものでした。テロが起きていてもバザールには活気があふれていました。みな、何が「ライオンの尻尾」であるのかをよく知っていたのです。

私は、昨年はじまった「アラブの春」という民主化運動がシリアに飛び火することはないと考えていました。80年代の激しい弾圧の記憶が残るシリアでは、政権に刃向うことは途方もなく難しいからです。

しかし、それが起きました。今度は、ムスリム同胞団によるものではなく、市民による民主化の要求でした。
しかし、シリア政府は、80年代と同じように、あらゆる手段を使って、反政府運動を封じ込めようとしています。

しかも、国際社会は、石油資源の豊富なリビアには、早々と、軍事介入をしましたが、シリアに対しては、アメリカも口先介入にとどまっています。
シリアが、めぼしい資源をもたないこともその理由ですが、それだけではなさそうです。
シリアは、反イスラエルの急先鋒といわれてきました。
しかし実際には、1973年の第四次中東戦争以降、イスラエルとは戦っていません。
そのとき、イスラエルは、シリアの首都の生命線である水路の近くをピンポイントで爆撃しました。首都の水は、レバノンとの国境地帯の山から、地下水路をとおってダマスカスに来ています。それが、生命線であることをイスラエルはよく知っていたのです。アサド政権は、みかけのうえでイスラエルに敵対しながら、イスラエルと戦う気はありませんでした。

1990年に、イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機では、それまで、反米を叫んでいたのに、一瞬にしてアメリカ側につき、多国籍軍に参加しました。
シリアは、冷戦時代には、ソ連と近い関係にありましたが、ソ連が崩壊するやいなや、いわばパトロンを乗り換えたのです。
しかも、その見返りに、シリアは隣国レバノンを実効支配することを、アメリカに認めさせます。

このしたたかさ。実利を重んじ、一日にして外交関係を転換してしまう機敏さ、それが、シリアという国の特徴です。

イスラエルもそれを知っていますから、アサド体制が倒れて、イスラム色の強い政権ができることを、むしろ恐れているはずです。すでに、エジプトやトルコでイスラム色の強い政権が誕生したことで、イスラエルは孤立を深めています。

現在のバッシャール・アサド大統領は医者で、イギリスのロンドンで眼科医として研修していました。1994年、兄が自動車事故で亡くなったため、急きょ、呼び戻され、2000年に父親が亡くなると、大統領の座を継承しました。

空軍出身で、自らクーデタで権力を奪取した父親と比べ、政治家としてのカリスマ性はなく、物静かな印象を受けます。

昨年来の民主化運動に対する暴力的な対応は、むしろ、父親時代から政権の中枢にあった軍人や党幹部がリードしているようです。

激しい弾圧は、アラウィーという宗教マイノリティによる政権が、恐怖で統治をつづけていることを物語っています。スンニー派からも政権に忠誠を誓っている軍人たちがいますが、彼らも、反体制派に屈すれば、裏切り者として確実に殺されるという恐怖に突き動かされています。

反政府側の犠牲者が、ここまで増加した段階で、事態を収拾する方法は限られます。
一つは、反政府運動が壊滅させられ、その一方で、自由な経済活動を行わせることによって市民の不満を解消させてしまう、父親の代からのやり方です。

もう一つは、国際社会が武力介入に踏み切り、アサド体制を打倒し、そのうえで政権中枢の生命の安全を保障することで決着させることです。シリア軍は、自国民の弾圧には力を発揮しますが、他国との戦闘に耐えられるほど強くはありません。

「アラブの春」は、シリアにおいて、もっとも厳しい試練に直面しています。市民が、国際社会に見捨てられたという思いをもつことは地域の将来にとって危険です。中東が安全保障の火種となってきたことを考えると、国際社会は、決然たる態度で、弾圧を抑制させる必要があると思います。

アフガン駐留米兵:自爆テロ犯遺体と記念撮影 米紙報じる

2012年04月19日 | 国際
アフガン駐留米兵:自爆テロ犯遺体と記念撮影 米紙報じる

毎日新聞 2012年04月18日 23時26分(最終更新 04月19日 00時43分)

【ロサンゼルス堀山明子】18日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、アフガニスタンに駐留する米兵らが10年に自爆テロ犯らとみられる遺体と記念撮影していたと報じた。複数の写真も掲載した。

 米国防総省のリトル報道官は18日、「パネッタ国防長官は撮影された行為を断固として拒絶する」と指摘。米軍として調査を開始したと明らかにした。

 アフガン駐留米軍をめぐっては、今年に入ってイスラム教の聖典コーランの焼却事件や住民を狙った無差別銃乱射事件があり、反米感情がさらに広がるのは必至だ。

 同紙によると、10年2月に米兵部隊がアフガン南部ザブール州の警察署に遺体の検証のために訪れた際に撮影されたという。写真は計18枚あり、中には遺体の手を米兵の肩に乗せておどけたものや、遺体の足を持ち上げている写真があった。

 同部隊とともに任務に当たった兵士が米軍の統率や規律の乱れを示すものとして同紙に提供したという。