見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

2100年の日本

2023-10-30 17:15:33 | 幸せに生きる

先ごろ、韓国では合計特殊出生率が0.78となり激震が走っているが、1.26の日本だって対岸の火事ではないことを書きました。
また、我が国の2100年の人口推計についても書いたことがあったと思います。

2100年における人口推計のおさらいですが、高位推計6400万人、中位推計4770万人、低位推計では3770万人、中位推計でも現在より7500万人減ることになります。
ただ、関ケ原の合戦のあった時代には1200万人、明治維新当時は3300万人だったそうですから、そう驚くことではないかもしれませんが、、、

内田樹氏は、これからの社会について、限界集落に行政コストをかけるのは「金をどぶに捨てるようなもの」という言説が行き交うようになり、里山は無住地化し、人々は地方の中核都市に集住させられるようになる」とし、、
でも、人口減が止まらない以上、そこもまた「過疎の都市」という逆説的な存在になる。
「過疎地に行政コストはかけられない」というルールで始まった以上、地方の中核都市も捨てられるほかなく、気が付けば、都市部しか人の住める場所はなくなる。と。

カムの宿がぽつんと一軒家?
カムの宿のある新庄では、カムの宿がぽつんと一軒家になり、松江市内にもぽつんと一軒家が何所帯か、僅かに人が住んでいるかも、って感じでしょうか。
電気や水道ガス、病院や学校、マーケットなどの社会共通資本存続に振り向ける原資が枯渇するので、“選択と集中”だとどぶに金は捨てられなくなる。
今の“ぽつんと一軒家”は、電気は来ているし、道路が流されれば災害復旧工事で直されますけど、それは当然できなくなるでしょうかね?

てなことをついつい考えてしまいましたが、さて、人の叡智はそういう悲観を凌駕していけるのか?

考古学的には、
全てを共有できるコミュニティは150人までと言われていますが、地方に暮らし続けるには、寛容性や成熟性が不可欠かもしれません。
内田樹は、政官財は前述のようなシナリオで合意ができているだろうと書いています。
聞いたことがないけれど、果たして、政治や行政はそういう時代へのロードマップをどう描いているのでしょうね?

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