見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

アフターコロナ

2020-04-23 20:37:56 | 日記

高校時代の恩師が、といっても、確か習ったことはないはずですが、、、
今日の地元紙の連載特集「コロナ禍に生きる」に書いていらっしゃいましたが、この記事、とても共感しながら読ませていただきました。
キャプションの「禍を転じて福となす」なんて、生命にグサッとくるじゃありませんか。

そしてそして、先生は最後に、
われわれ出雲人には「ひそやかに生きる」思想がある。日本人の美意識を守り、回復していく可能性が、ここ「出雲」にはあると思う。
これ、涙が出そうななった一文です。
古来、出雲の民は争いを好まなかった、僕は、制度疲労の噴出する時代に、豊かではないけどとても幸せに暮らしている民がいる、そういう視線の注がれる島根でありたいと思ってきましたが、アフターコロナって、そのスタートかもしれませんね。

ポストコロナって?
先生の投稿もとても嬉しく読んだのですが、もう一つとても嬉しく読んだのが一昨日のコラム「明窓」で、その気持ちをUPしようと思っていましたので、ちょうど良かったのかも。
筆者の(築)氏、気になったので、とても共感しましたとさっき電話で話しました。

彼は、このコラムをポストコロナの視点で書いていて、それを考える視点に共感したのですが、、、
このコロナを彼は、
取り戻そうとする『元の状態』がどれほど正しかったか自問する機会でもある」と書き、「物理的破壊を伴わないコロナ禍は既存の社会構造を強制的に変化させ、流れはおそらく止まらない。騒動は必ず終息するが、戻ってくるのはこれまでと違う日常だろう。『アフターコロナ』の時代に一人一人がどう向き合い生きるかもまた考えるべき時に来ている」と結んでいます。
ただ、リーマンショック、フクシマ、変わらないわけがないと思っていたのに、拝金主義、強欲資本主義は変わらず、その現実に唖然としてきたのですが。

さて、ポストコロナって、ことさら書くものがあるのかどうか?

律儀に律儀に
そんな生臭思考など全くかまうことなく、、、
はっと眼が行き気が付けば、花が来ていたエンドウの株に、律儀に律儀に実りが。
今年の初物、美味しい~~~!!!!

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