ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ6回目行:カホオラウェ島の暗黒の半世紀

2024年01月28日 | ハワイ:マウイ島

2023年2~3月の6回目ハワイ
2回目のマウイ滞在の3日目


マウイオーシャンセンター
「水族館以上の水族館」と思
いながら楽しんでいましたが



見学の最後に目に止まった、

危険
海軍爆撃標的
入島厳禁

というおどろおどろしい赤字
そしてハワイ王朝最後の悲劇
の女王リリウオカラニ
(治世
1891~1893年のわずか2年)
英国旗を含むハワイ州旗も


「入島禁止ってどの島の話?」

カホオラウェ島というマウイ
島南西の小島のことでした。


説明によると、今から120万
年ほど前、マウイ島東部の島
内最高峰ハレアカラ(標高3,0
55m)や西部の山々と同時期
の噴火で誕生した島でした。



その後の度重なる噴火で100
万年程前には島の溶岩と周辺
の火山島の溶岩が結合し、マ
ウイヌイ(大マウイ)という大
きな島が誕生したそうです。


マウイヌイは海面上昇や浸食
を経て、マウイ、モロカイ、
ラナイ、カホオラウェという
今の4島になったそうです。

(※図はウィキペディアより)


小さく平坦なカホオラウェ島
は3,000メートル級のハレア
カラからの空っ風で降雨量が
極端に少なく、農耕や牧畜に
適さず、飲み水にも事欠き人
の定住が進まなかったそう。


1898年のアメリカのハワイ
併合後もほぼ無人島でしたが
1941年12月8日の日本軍によ
る真珠湾攻撃の翌日、米海軍
がただちに接収し、実弾を使
う軍事演習場となりました。


第2次大戦、朝鮮戦争、冷戦、
ベトナム戦争、中東戦争を経
て、島は実弾が飛び交い、爆
撃が続く、危険で汚染された
場所となってしまいました。


マウイなど周辺3島では、演
習の爆音だけでなく、窓が割
れたり家が揺れたりし、1960
年代に入り、州への島の返還
を求める住民運動が本格化。


長い年月と不断の運動の末、
1990年に演習が中止され島
は州政府に返還されました。



1993年に米議会は海軍に対し
島の不発弾や残骸を完全に撤
去することを命じ、米史上最
大の不発弾撤去作業が始まり
ました。失われた50年の回復
は今も続いているそうです。



マウイ島の沖合13kmの日頃か
ら目にする島でこんなことが
半世紀近くも起きていたとは


ここに来なければ知らなかっ
た、マウイ島の暗黒の史実。

いい勉強になりました


勉強の後はコーヒーブレイク

しかし、ここは閉まっていて


グーグルを頼りに別の店へ。

初めてのショッピングモール


ここでなんとか午後の1杯



ホテルに戻るとノナミのお迎え



さっそく午後のおやつに。



落ちたのも丁寧に食べます。



ご満足らしいです

縄張り争いを繰り広げていた
3年前より表情が柔和になり
ずっと元気そうだったノナミ



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