ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

クライストチャーチ2回目行:カンタベリーのディーンズ家

2019年10月04日 | 南島:クライストチャーチ

2017年10月のクライストチ
ャーチ最終日。カンタベリー
のパイオニア、ディーンズ家
の旧豪邸へ。とは言っても、


私にはスーパーラグビーの元
クルセイダーズ名監督にして
現在は日本のパナソニック監督
「ロビー・ディーンズの家でしょう
以上の知識がなかったので
さすがに調べてみました


第一世代はスコットランド出身の
ウイリアムとジョン兄弟で、
2人とも弁護士の教育を受け
1840年のワイタンギ条約締結直後
20代前半で順にNZへ移住。


悪名高き民間移住斡旋会社
ニュージーランドカンパニーの
植民地計画でやってきたものの
あてがわれたウェリントンや
ネルソンの土地に失望して、
現在のリカトンの借地権を獲得。
牧場経営に乗り出しました。


リカトンという地名も
エイボン川という名称も
彼らが命名したそうです。
リカトンのマオリ語名は
プトゥリンガモトゥ
(Puturingamotu)


弟のジョンが移住した翌年の
1843年に建てられたのが
ディーンズコテージ

リカトンハウスの奥に
隠れるように建っています。


1890年頃に撮影された原形。

(※クライストチャーチ市立図書館より)


今は屋根が葺き替えられ、
外壁もウェザーボードになり
ポーチも付いています。

カンタベリー平野最古の
建物だそうです。


中はミニ博物館になっていて
無料で参観できました。

当時の様子が再現されていて、
兄弟はここで一緒に暮らし、
マオリとの借地権の延長も叶い、
牧場は拡大の一途でした。


しかし、1851年にウィリアムが
水難事故で死去。享年34歳。


残された弟のジョンは翌年、
スコットランドに戻って
かつての恋人ジェインを娶り、
1853年に2人はNZに戻り、
長男ジョン2世が生まれました。


しかし、翌1854年には
ジョンも結核で34歳で急逝。
残されたジェインはNZに
留まり、息子のジョン2世が
跡を継げるまで家業を
引き継ぐことを決めました。


ジェインは大変な女傑で、
経験のない牧場経営に乗り出し
地域の顔として活躍しながらも
幼い息子とコテージで暮らし、

リカトンハウスの建設を進め、


夫の死後2年後の1856年には
完成した邸宅に移り住みました。



ジョン2世夫婦(最後列中央)と一家

2列目左側がジェイン
ジョン2世は大勢の子どもに
恵まれたようです。


2年足らずの結婚生活。
その間にもうけた一粒種。
植民地の牧場主の未亡人。


まるでドラマのような
ビクトリア朝時代の物語を
生き抜いたジェイン
夫の死後半世紀上経った1911年に
リカトンハウスで逝去。


彼女はジョンの遺言だった
「リカトンブッシュを守ってくれ」
という遺志を守り抜き、

ブッシュは1914年に
カンタベリーに寄贈されました。


ジェインのもとで増改築を繰り返し
盛りに盛ったリカトンハウスは



2人の故郷スコットランドの
石造りの建物を



リカトンブッシュの木材で再現した

ジェイン人生の結晶だったのか
と今になって改めて思いました。
(※写真はスコットランド人移民
が建設したオタゴ大学)


最後に会ったクロウタドリ

いいところに住んでるね。
またね


クライストチャーチ旅行記、
これにて終了


コメント
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