おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

岩(いわ)の海水浴場

2010-06-26 16:34:08 | 小田原隣接エリア
岩沢川の終着点_ 岩の海

ちょっと不思議な眺めです。
海に橋がかかっている・・・。
あれは「真鶴道路(有料部分)」の岩大橋。
あそこを渡ると まるで「海の上を走っている」ような感じがしますよね?
(ほんの一瞬ですが^^;)

↓浜 の部分は夏は海水浴場になるそうです。
(私まだ 夏来たことないんですよー)
 
↓セメントで整備されている部分は「岩漁港」。
 
↓川が海に注ぐ場所。
 
↓小島には鳥居が立てられています。きっとお社もあるのでしょう。
 

浜辺に立てられた ちょっとお洒落な建物。
シャワーが見えるから きっと夏の海水浴客のための施設なのでしょう。
 
↓道脇に石碑を発見。なになに
 
↓源頼朝船出の浜_とな。
 
1180年の「石橋山の合戦」に破れた頼朝が安房へ逃れるために船出したのは 岩だったのかー。

真鶴の方へ行く途中「うたい坂」というバス停がありました。
 
ここも頼朝ゆかりの場所。
敵に館を焼かれた頼朝の家来 土肥実平がここで主君を励ます舞(焼亡の舞)を舞ったそうな~。

しかし どこが(バス停ではなく、本当の)謡坂?
ちゃんと調べてから出かければよかった・・・
結局わからなかったunmabeです。

謡坂の碑 というのがあるらしいのですがー
見つけられないまま
真鶴道路の「岩IC」に出ちゃった・・・。
 
↓真鶴半島の先っぽが見えますね。
 
↓ずーむIN!
 
↑右に 真鶴漁港出口の赤い灯台が見えます。そして
 その向こうに 先日義父と行った「うに清」が写っていますから
 あの辺りが「琴ヶ浜」だ~。

ちょっと(だけ) 真鶴に詳しくなっちゃった^^)♪


オマケ:土肥実平は謡坂でどんな謡をしたのかしら と思ったら_
『源平盛衰記』の中盤の
S2202 土肥焼亡舞同女房消息(せうそく)附大太郎烏帽子(えぼし)事
という段に
真平(サネヒラ=実平)佐殿(スケドノ=頼朝) の御前にて、一時乱舞ぞしたりける。
土肥に三の光あり、第一は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)我君を守給ふ和光(わくわう)の光と覚えたり。第二は我君平家を打亡し、一天四海を照し給ふ光なり。第三は真平より始て、君に志ある人々の、御恩によりて子孫繁昌の光也。嬉しや水々鳴は(有朋上P727)滝の水、悦開て照したる土肥の光の貴さよ、我屋は何度も焼ばやけ、君だに世に立たまはば、土肥の杉山広ければ、緑の梢よも尽じ、伐替々々造らんに、更に歎にあらじかし、君を始て万歳楽、我等(われら)も共に万歳楽とぞ舞たりける。

って書かれているのですね。
勉強になりましたー。

滝門寺(りゅうもんじ)さんを訪ねました

2010-06-26 09:32:25 | 小田原隣接エリア
「学校前」というバス停からのびる石畳は
 曹洞宗 滝門寺への参道。
 
↓参道に沿って何体もの石仏 石碑が並んでいました。
 
↓階段の上に門が見えます。上がってみましょう。
 
↓どっしりした門。その向こうに本堂が・・・
 
↓まあ~茅葺です!
 
↓本堂の左側には遊具に囲まれた建物がありました。
 
↑保育園だったのかな?
↓本堂の右側は・・・厨(くりや)でしょうか?
 
↓振り返れば 今くぐってきた門と 鐘楼が。
 
鐘楼の屋根も茅で葺いてあります。
味わい深いですねー。

茅葺屋根の維持は大変と聞きますが どうぞできるだけ長く
この佇まいが残されますように、と思いました。
(なのに ああ お賽銭を置いてこなかった_
 お賽銭箱が無かったんですよ こちら・・・
 気持ちだけでも置いてくればよかったな ごめんなさいー)


このあと更に谷を下り 岩の海岸へ行ってみました。
(ちょっとだけ つづく)