29 日米関係 -161-
ⅹ 大東亜(太平洋)戦争 1941-1945 -69-
⑺ 終戦(敗戦)時の状況
※下記は既述している内容なので、再述・再評価はしません。
・沖縄戦 → <15現代の沖縄 111・112・113・114・115・116・117・118・119・120・121・122・123・124・125・126・127・128・129>
・原爆投下 → < 28 核兵器・原子力 414・415・416・417・418・419・420・421>
・復員と引き揚げ(※朝鮮半島/ソ連関係) → <18日朝関係(戦後:前半)182・183・184・185・186・187・188・189・190>/<26日露関係Ⅱ 386・387・388・389>
■まとめと考察 ~⑵「シナ(中国亜)大陸」からの引き揚げ 3/n~ ※まとめ表完成
■現在(当分の間)、中学生(日本国民)に伝えるべきこと
1.国家としてすべき努力・・・国際関係において、《中華人民共和国と朝鮮半島2国による〝戦時中のできごとに関する、情報・言論などによる日本への非難(攻撃)行動” 》が、活発に行われている。そのような状況が続くかぎり、《中共と朝鮮半島2国に関する「戦時中のできごと(史実)」(や、それについての日本政府の公式見解や主張)》について、日本国民や国際社会に対して、できるかぎり詳細に伝える努力を続けなければならないだろう。
2.満州からの「引き揚げの際の状況」に関して、最低限、伝えるべきことはなんだろうか。~その前後の因果関係・状況は除いて~
⑴ 人数・・・満州にいた民間人の数、帰国できた数、帰国できなかった(死者・残留者)数。
<ウィキペディア:「満蒙開拓移民」より>
・「開拓団の引き揚げ …青少年義勇軍を含む満州開拓移民の総数は27万人とも、32万人ともされる。ソ連の参戦でほとんどが国境地帯に取り残され、日本に帰国できたのは11万人あまりだった。…」
「開拓団」だけで27~32万人。帰国できたのは「11万人あまり」だから、「帰国できなかった開拓団員の数」は、16~21万人あまりということになる。そのほかに、商業や、鉄道や鉱山事業などの従事者がいたのだから、日本人全体ではもっと多かったのはまちがいない。
<2017年8月15日の産経新聞の記事:「【終戦の日】一家6人、満州から日本目指し引き揚げ 略奪や虐殺…止まらぬ涙 群馬・下仁田の佐藤和江さん」より>
・「終戦当時、満州在住の民間邦人は推定約155万人。うち引き揚げたのは127万人で、軍民合わせて約24万5千人が命を落とした。 戦後ソ連に強制連行された日本の将兵らは、約60万人。強制労働を課され、1割近い6万人以上が栄養失調や重労働により、極寒の地で死亡した。満蒙開拓団の総数は約27万人。多くがソ満国境に近い辺地にいた上、情報伝達も遅れたためソ連軍や匪賊に襲われた。伝染病や集団自決などを含め約8万人が亡くなった」
この記事によれば、「帰国できなかった民間人の数」は約28万人(155-127)。そのうち、開拓団の死亡者数は約8万人となる。
※日本政府は、「未帰還者数」を確定できなかったのか、それとも、事情により「確定しなかった」のだろうか? (今のところ、「公表された数字」を見つけていないので、あるのならば教えてください。)
日本政府が「(幅をもった)推定」をしていない(?)としても、歴史学者は推定しているはず。したがって、義務教育の歴史教科書では、「推定」の事情を説明したうえで「(幅のある)推定概数」を明記すべきだろう。(できるのならば、台湾・朝鮮人の数も。そのころはまだ「日本人」だったのだから。)
(そのくらいはしないと、国策に従って満州に赴いた人々の魂は、いつまでも浮かばれないだろう。)
●「帰国できなかった日本人の推定数」を書いていない。 → △ 全8社。
※「多い」・・・「長い」などと同じように ”相対的な形容表現” であり、人により受け取り方(=解釈)がちがう。1万人を多いと思う人もいるし、100人でも多いと思う人がいる。~相対的形容詞はきわめてあいまいなので、《推定する面倒を避けたり、あるいは、ごまかしたりするとき》にもしばしば使われる。
日本政府・国民や連合軍が、「未帰還者(推定)数」を公表しなかった(※と思うが?)理由は、おそらく《しないほうがいろいろと都合がよかった》からと推理できます。今からでも、日本政府は公表すべきだと思います。そうしなければ、「戦中・戦後の総決算」「戦後レジュームからの脱却」はできないでしょう。
《史実から目をそらしていつまでも逃げ回る》ことはしないがいい。都合がよかろうと悪かろうと、史実に正面から向き合ってこそ、日本国民・日本人・日本民族が堂々と胸を張って、「人類の一員」として活躍していけるのだと思いますが、あなたはいかが思われますか?
⑵ 帰国できなかった人々の状況・原因・・・死んだ人々の状況(理由・原因など)、残った人びとの状況
~次回につづく~
<全リンク⇒1へ> <29 日米関係 ⅹ 大東亜(太平洋)戦争 ■まとめと考察 ⑹ ヤルタ会談・ポツダム宣言<588・589・590・591(追加版)・592(追加版)・593・594・595・596・>
《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》
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