やおよろずの神々の棲む国でⅡ

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【中学歴史教科書8社を比べる】127 ⒂ 「琉球・沖縄」の描き方のちがい <その27 ④沖縄戦:ⅵ 集団自決5 まとめと考察1>

2017年03月22日 | 中学歴史教科書8社を比べる(h28-令和2年度使用)

■まとめと考察 ~その1~ ※かなり複雑かつ微妙な問題なので長くなります。

 

1 日本軍が強制したのか? 

 以下、「 」内は<ウィキペディア:沖縄戦における集団自決>より引用

 

⑴ 日本軍強制説  東京書籍、教育出版、日本文教

 

・「軍の強制によるものとする立場 研究の経緯

 集団自決がその実態としては日本軍の強制であるという研究者の見解は、1984年の家永教科書裁判第3次訴訟時に研究者により示され、その後に成書として出版されている。また、以後の教科書検定撤回運動の際などに、新聞記事にも取り上げられるようになった。
 沖縄国際大学講師の大城将保「これ以後集団自決が日本軍の強制であることは、研究者の間でも定説となり多くの教科書にもそのように書かれてきた」と主張している。
 
現在までの沖縄戦に関する歴史書の多くは、集団自決は日本軍に強いられたものと主張している。

 

・「主張される強制の事実

 日本軍は、民間人に適用すべきではない戦陣訓や防諜を理由として米軍への投降をしないよう命令していた。投降は敵に情報を提供し日本軍を不利にする行為として、治安維持法の「国体の変革を目的とする者」とされた例もあり、投降者への狙撃も行われた。
 元大本営参謀厚生省引揚援護局厚生事務官馬淵新治は、沖縄戦での軍による強制によって、なんらかの形で住民が死亡する事例が多数起きていたことを証言した。

 

・「このように住民が米軍支配下に入ることを認めなかったことから、集団自決は、日本軍の強制と切りはなして考えることはできないと主張する。
 戦陣訓の中の「生きて虜囚の辱を受けず」という一節や、当時の日本政府や軍人が国民に対して、鬼畜米英と恐怖心を植えつけ、投降の方法などを教えなかったことなどが、多くの軍人や民間人に影響を及ぼし、自殺へとつながったとする意見がある。」

 

・「林博史は同様な状況の2つの壕において、日本軍が同居した壕では「集団自決」がおこり、日本軍の存在しない壕では「集団自決」がおきなかった例を具体的に指摘し、多くの例を検討した上で直接の命令がなくても軍による強制と考えるべきとしている。」

 

・「強制の証拠

 慶良間諸島の場合については、当時の兵事主任(あるいは助役)やその親族が、「集団自決」の命令が直接に日本軍からきたと証言している。
 具体的には、渡嘉敷島では兵事主任富山真順(戦後死去)が、戦後「軍から命令された」と証言しているし、金城重明が兵事主任からその話を聞いたことを現在も証言している。」

 

⑵ 住民自発説  育鵬社

 

・「軍の強制を否定・疑問視する立場  集団自決の強制を否定する意見

 集団自決は「軍の命令だった」とする意見や、「強制があった」や「関与があった」とする曖昧な指摘を、否定・疑問視する意見が、軍命をしたとされる本人や体験者、研究者、ジャーナリスト等から出ている。

 

・「渡嘉敷島の陸軍海上挺身戦隊第三戦隊第三中隊長、皆本義博中尉(陸士57期)によれば、「戦後、沖縄の集団自決は軍の命令によるものだという説が出ましたが、そんなことはありえません。むしろ渡嘉敷の方々は、命をかけて父祖の土地を守ろうと会津白虎隊のような精神で殉ぜられたのではないかと考えます。そのような気質の方ばかりでした。また、そもそも軍には村民に命令を下す権限はなく、集団自決を命じたなどという証拠は何もない。」

 

・「2009年5月1日発売のうらそえ文藝第14号で、沖縄県文化協会長星雅彦沖縄タイムス琉球新報上で寄稿記事を執筆していた上原正稔慶良間諸島の赤松嘉次隊長と梅澤裕隊長が軍命を出した事実は一切なく、沖縄県内のマスコミによってスケープゴートとされているという内容の論文を発表した。」

 

・「命令者とされてきた赤松元大尉の弟と梅澤元少佐は、後述のような証言・著書等を証拠として、命令をしたと断言してきた大江健三郎の『沖縄ノート』)、家永三郎の『太平洋戦争』に関し、名誉毀損による損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載をもとめ、大江健三郎と岩波書店を訴えるに至った(「集団自決」訴訟)が、請求は退けられた。」

 

・「証拠が不十分との研究

 渡嘉敷島における「集団自決」について、赤松嘉次隊長による命令によるものという沖縄で言われてきたことに対し、それを否定したのが曽野綾子の『ある神話の背景』である。
 曽野は、隊長命令説の根拠が曖昧で疑わしいことを、赤松元隊長や隊員への取材や渡嘉敷島現地での取材を通して明らかにしたとする。曽野は「神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできない」とし、「私は、直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はないとした。

 この著書について仲程昌徳琉球大学法文学部教授は「この著書は公平な視点でルポルタージュされた「本土の作家の沖縄戦記」である。曽野の調査が進んでいくにしたがって集団自決は疑わしくなっていくばかりではなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。これまで集団自決のあらゆる著書で引用された『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられた。」と評価した。」

 

・「強制を否定する証拠

 1985年7月30日付神戸新聞では「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった。」という大見出しの下、軍命令はなかったとする島民の証言を掲載し、座間味島の集団自決は「米軍上陸後、絶望した島民たちが、追い詰められて集団自決の道を選んだものとわかった」と報道した。
 そこには宮城初枝が「梅澤少佐に自決を求めたが、「最後まで生き残って軍とともに戦おう」と武器提供を断られた」という証言が掲載されている。」

 

・「慶留間島の大城昌子によれば「前々から阿嘉島駐屯の野田隊長(海上挺進第三戦隊長・野田義彦少佐)さんから、いざとなった時には玉砕するよう命令があったと聞いていましたが、その頃の民にはそのようなことは関係ありません
 ただ、家族が顔を見合わせて、早く死ななければ、とあせりの色を見せるだけで、考えることといえば、天皇陛下の事と死ぬ手段だけでした。命令なんてものは問題ではなかったわけです。」

 

・「援護法適用のための偽証との見方

 座間味島の事例などについて、軍による強制であるとの証言が行われてきたのは、援護法の適用を受けるための偽証だったのではないかとの見方もある。」

 

・「議論の曖昧化への批判

 秦郁彦は、証言の裏づけも見つからない状況の中で「関与」というあいまいな言葉にすり替えて軍の強制性を語る人間が増えており、これは慰安婦問題と同じことが繰り返されていると批判している。」

 

 

~次回、政府見解 ~

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