■まとめと考察
<ウィキペディア:沖縄戦>より引用
・「住民犠牲について 犠牲者数
沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明だが、1950年の沖縄県援護課の発表では以下の数値である。C+Dの9万4000人が住民犠牲とされる。
- 沖縄戦の日本側死亡者:18万8136人
- A:県外出身日本兵戦死者 6万5908人
- B:沖縄県出身軍人・軍属(現地召集を受けた正規兵のほか、防衛隊・鉄血勤皇隊など) 2万8228人
- C:戦闘参加者(戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)との関係で日本軍に協力して死亡した準軍属と認定された人数) 5万5246人
- D:一般住民 3万8754人(推定)」~引用終わり~
◆当時沖縄にいた日本人の概数 約60万人
・沖縄戦に参加した日本正規軍=11万6400人
・当時の沖縄県の人口=約50万人
◆戦死者(犠牲者) 約20万人
・(広く定義した)日本軍(A+B+C)の戦死者=14万9382人
・沖縄県民(B+C+D)の戦死者=12万2228人
・一般住民(D:沖縄県民のうち、戦闘に参加しなかった民間人)の死者=3万8754人(推定)
<参考>沖縄戦に「巻き込まれて」死亡した県民=①「一般住民」:D 3万8754人(推定)/②「民間人」:C(準軍属)+D:9万4000人 /③「県民」:B(軍人・軍属)+C+D:12万2228人 ※見方によって3通りあるようだ。
ことさらに日本国と沖縄県を対立させて、まるで《沖縄は日本ではない》というような見方・立場をとる一部の日本人がいる。
しかし、《沖縄県は他県と同じく日本の一部分》という立場でみれば、約55万人の米軍に対して、数十万人(=正規軍人約12万+軍属・準軍属の沖縄県民:数十万?/総人口:約50万人)の(広く定義した)日本軍が死闘を繰り広げた。
1 日本軍の戦力
帝国書院と学び舎だけが正規軍の人数を書いている。
《何人が米軍と戦ったのか》がはっきりしないという事情はあるが、推定と明記してでも言及すべきと思うが…
2 日本軍の戦い方
・米軍に直接対峙したのは、当然のこととして約12万の正規軍なのだから、「戦史」としてはまずその戦いを描くのが普通だろう。
なのに、正規軍の戦いに具体的に言及しているのは育鵬社、自由社、帝国書院、学び舎の4社のみ。
・この戦いは、日本軍だけでなく米軍にとっても歴史的な激闘、死闘。
両軍の戦いの「激しさ(過酷さ)」に言及しないのは△→ 日本文教、学び舎
3 日本軍の損害
「県民の死者」のみ言及している東京書籍、教育出版、日本文教、学び舎は異常だと思う。沖縄戦は日米の戦争だったのだが…
しかも、学び舎は、他の都道府県出身者は無視して「沖縄県出身軍人の死者数」だけという徹底ぶり。
4 日本軍が住民にしたこと
育鵬社、自由社、東京書籍以外は、《日本軍は悪》といわんばかりの描き方。
次回からの「住民(沖縄県民)の描き方」でさらにくわしく比較調査します。
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