[この文章はフィクションであり、実在の個人及び団体とは一切関係ありません]
第3章
3枚目の写真はカラーだが、昔のフィルム写真のためにかなり色褪せている。中年女性に抱かれた女児が祖母で、傍らの若い母親が曾祖母らしい。
母親の実家の養子となった嵩仁は神経質で、母親が一緒でないと学校から逃げ帰ってしまうような少年だった。彼を受け入れてくれた学校は名家や金持ちの集まる私学だった。生徒たちはいわゆるセレブで、名前だけの旧家出身の青年とは、所詮住む世界が違った。同級生の令嬢への思いも実らなかった。
嵩仁は大学時代飲みに行った酒場で、水商売にはおよそ似つかわしくないクローク係の娘に出会った。派手な化粧はしているが、明らかに田舎娘だった。全く好みのタイプではなかったが、同級生の令嬢とは全く正反対で、下品だけれど素朴で、何故か気になった。
その娘「佐知(さち)」は
「兄妹の中で自分だけ祖母に育てられた」
とか
「給料は母親に取り上げられていくら働いても小遣いしか貰えない」
とか、まるでシンデレラのような身の上話をした。
それを憐れんだ訳ではないが、この娘なら、遠縁の老人達が同居する複雑な家庭に嫁いでも、年寄りの世話を厭わずにやってくれるんじゃないかと思い、佐知と結婚を決めた。
まだ学生だったので反対はされたが、それを押し切って卒業と同時に佐知を嫁にもらい、すぐに生まれた女児が祖母の「志津架(しづか)」だった。
志津架が生まれてすぐ妹ができた。佐知はその義母・梨津に
「二人一度に育てるのは大変だから、志津架は私が育てる。」
と言われた。志津架は佐知から離され、育ての母たる梨津に離れで育てられた。
志津架は生まれた時から跡取りと決まっていた。唯一の直系たる血統を保持するための宿命だと。
志津架は父・嵩仁と祖母・梨津は大好きだったが、母の佐知は大嫌いだった。その下品でがさつなところがどうにも許せなかった。
梨津は志津架の幼い時は子守唄を唄ってくれたし、その後は毎夜床を並べていろいろ語り合ってくれた。読書の楽しさを教えてくれたし、ミュージカルや歌舞伎にも連れて行ってくれた。
嵩仁も色んな事を教えてくれた。レストランでのテーブルマナー。洗練されたおしゃれについて。制服のネクタイの結び方。そんな様々なことを…
志津架は梨津や嵩仁の喜ぶような、教養があって上品で誇り高い女性になって二人の夢を叶えようと思った。
志津架は期待通り後を継いだ。婿ではないが、夫との間に男女を産み、跡取りもできた。しかし、10年後、廃業を余儀なくされ、志津架はその後始末に追われた。数年後、とうとう母と慕った梨津は他界した。さらに数年後、最愛の母を失って力を落としたのか、嵩仁が後を追うように亡くなった。その時も志津架は気丈に振舞った。もうそうすることでしか自分を支えていられなかった。子供達はまだ幼く、夫はあてにできなかった。
その後の志津架は見ていられなかった。取り憑かれたように仕事に没頭し、案の定数年後には完全に壊れた。それから数年間の志津架は物凄く荒れて、闇の時代が続いた。
エピローグ
「でも、『何とかせんとあかん』て、自分で思ったんやろね。少しづつ変わっていって、いつの間にかあんなほわ~っとした、かわいいお祖母ちゃんになったんやわ。」
「あ、もうこんな時間や。こんな事してたら遅なってしまうわ。さあ、帰ろか。」
母がそそくさと弁当の容器やペットボトルを片付け始めた。
それは長い長い時間のお話。時間は流れない。時間は積み重なる。そしてその重みで押し潰されて、最下層はいつしか消えてゆく。
そしていつか、古い写真が色褪せていくように物語は失われてゆく…
新しい世代の新しい物語が積み重なってゆくから…
The end
第3章
3枚目の写真はカラーだが、昔のフィルム写真のためにかなり色褪せている。中年女性に抱かれた女児が祖母で、傍らの若い母親が曾祖母らしい。
母親の実家の養子となった嵩仁は神経質で、母親が一緒でないと学校から逃げ帰ってしまうような少年だった。彼を受け入れてくれた学校は名家や金持ちの集まる私学だった。生徒たちはいわゆるセレブで、名前だけの旧家出身の青年とは、所詮住む世界が違った。同級生の令嬢への思いも実らなかった。
嵩仁は大学時代飲みに行った酒場で、水商売にはおよそ似つかわしくないクローク係の娘に出会った。派手な化粧はしているが、明らかに田舎娘だった。全く好みのタイプではなかったが、同級生の令嬢とは全く正反対で、下品だけれど素朴で、何故か気になった。
その娘「佐知(さち)」は
「兄妹の中で自分だけ祖母に育てられた」
とか
「給料は母親に取り上げられていくら働いても小遣いしか貰えない」
とか、まるでシンデレラのような身の上話をした。
それを憐れんだ訳ではないが、この娘なら、遠縁の老人達が同居する複雑な家庭に嫁いでも、年寄りの世話を厭わずにやってくれるんじゃないかと思い、佐知と結婚を決めた。
まだ学生だったので反対はされたが、それを押し切って卒業と同時に佐知を嫁にもらい、すぐに生まれた女児が祖母の「志津架(しづか)」だった。
志津架が生まれてすぐ妹ができた。佐知はその義母・梨津に
「二人一度に育てるのは大変だから、志津架は私が育てる。」
と言われた。志津架は佐知から離され、育ての母たる梨津に離れで育てられた。
志津架は生まれた時から跡取りと決まっていた。唯一の直系たる血統を保持するための宿命だと。
志津架は父・嵩仁と祖母・梨津は大好きだったが、母の佐知は大嫌いだった。その下品でがさつなところがどうにも許せなかった。
梨津は志津架の幼い時は子守唄を唄ってくれたし、その後は毎夜床を並べていろいろ語り合ってくれた。読書の楽しさを教えてくれたし、ミュージカルや歌舞伎にも連れて行ってくれた。
嵩仁も色んな事を教えてくれた。レストランでのテーブルマナー。洗練されたおしゃれについて。制服のネクタイの結び方。そんな様々なことを…
志津架は梨津や嵩仁の喜ぶような、教養があって上品で誇り高い女性になって二人の夢を叶えようと思った。
志津架は期待通り後を継いだ。婿ではないが、夫との間に男女を産み、跡取りもできた。しかし、10年後、廃業を余儀なくされ、志津架はその後始末に追われた。数年後、とうとう母と慕った梨津は他界した。さらに数年後、最愛の母を失って力を落としたのか、嵩仁が後を追うように亡くなった。その時も志津架は気丈に振舞った。もうそうすることでしか自分を支えていられなかった。子供達はまだ幼く、夫はあてにできなかった。
その後の志津架は見ていられなかった。取り憑かれたように仕事に没頭し、案の定数年後には完全に壊れた。それから数年間の志津架は物凄く荒れて、闇の時代が続いた。
エピローグ
「でも、『何とかせんとあかん』て、自分で思ったんやろね。少しづつ変わっていって、いつの間にかあんなほわ~っとした、かわいいお祖母ちゃんになったんやわ。」
「あ、もうこんな時間や。こんな事してたら遅なってしまうわ。さあ、帰ろか。」
母がそそくさと弁当の容器やペットボトルを片付け始めた。
それは長い長い時間のお話。時間は流れない。時間は積み重なる。そしてその重みで押し潰されて、最下層はいつしか消えてゆく。
そしていつか、古い写真が色褪せていくように物語は失われてゆく…
新しい世代の新しい物語が積み重なってゆくから…
The end