きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

続・三葉の写真

2012-05-16 01:55:34 | 日記
[この文章はフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません]

第1章

 もうずいぶん劣化して少し画像がぼやけている写真。相当古いもののようだ。写っているのは服装や髪形は至って地味だが持って生まれた育ちの良さのようなものがにじみ出ている女性。祖母の祖母の、更に祖母だという。名前は「志津(しづ)」。名家の三姉妹の末娘だった。豪邸には本物の小川が流れる庭園まであったというが、姉二人が嫁ぐ時に財産を奪い合うようにして持ち去ってしまったらしい。
「わては何にもいらしまへん。」
と笑顔で志津は言った。しかし、さすがに娘一人では生活できないので親戚が縁談を持ってきた。姉娘達の嫁ぎ先とは雲泥の差の田舎町の小さな商家だった。旧家だの名家だのとは言っても、商売の方はあまり上手ではなく、裕福とは言えない家だった。

 しかし志津は
「喜んでお受けします。」
と、嫁ぎ、良家のお嬢様だった志津は大家族の母となった。朝早くから夜遅くまで身を粉にして働き、旬の食材で美味しい料理をたくさん作ったり、年の瀬には大量の漬物を漬けたりしては友人知人にふるまったりした。その人柄で志津は多くの人に慕われた。

第2章

 2枚目の写真は祖母の祖母。モノクロームの写真に写っているのは少しだけ顎が長い美少女。少し不安そうで、神経質そうな表情で笑うこともなくじっと見つめている。三つ編みお下げ髪の少女の名は「梨津(りつ)」。喘息の持病があり、身体が弱かったのでいつも着物の襟元にスカーフのようなものを巻いていた。

 志津は三男三女をもうけたが、長男は少し身体が弱く、次男は絵の才能があり、高名な日本画家に弟子入りして将来を嘱望されたが徴兵され戦死した。三男も音楽の才能があり、音楽家を夢見ていたがやはり戦死した。
 長男・「常吉(つねきち)」は勤め人だった頃に今で言うファンクラブのようなものができ、家業を継ぐために退職すると、いわゆる「追っかけ」がついてきたという伝説があるほどの美青年だった。
 常吉は地元で「小町」と言われていた「琴(こと)」という美しい娘を嫁にもらい、すぐに女児が生まれた。それが祖母の祖母、梨津だった。しかし、美しすぎる若夫婦を神が羨んだのかあまりにも早く二人は引き裂かれた。
 梨津が生まれてすぐに常吉は病死した。女一人で生きられる時代ではなかったから、まだ若い琴のために周囲は再婚を勧めた。琴は泣く泣く梨津を婚家に置いて別の男に嫁いだが、次の夫も一人息子を残して亡くなり、再々婚して男女の子供を産んで、嫁ぎ先の商売を手伝いながら一生を送った。
 常吉が亡くなり、次男三男も戦死して、長女ハルが隣村から婿を取って後を継いだ。次女ヨシは地元に嫁ぎ、三女フクは病弱を理由に結婚も仕事もせず、実家で気ままに暮らしていた。
 梨津は父に似て身体が弱かったので、母親代わりの志津に育てられた。

 梨津が嫁いだのは叔母・ヨシの婚家の四人兄弟の次男「喜久仁(きくひと)」だった。父も兄も満鉄職員で弟たちもみな理系の一家で、喜久仁だけが文学青年だった。親の勧める理系の大学に一旦は入ったものの、こっそりやめて夜間大学で古典文学を学び、教師になった。
 満洲へ行けば内地より高い給料が貰える。結婚したばかりの妻に少しでも楽な生活をさせてやりたい。若夫婦は冬には零下40℃にもなる外地で新生活を始めた。

 喜久仁はなかなかの美男子で、教師として赴任した外地の学校では女生徒に大変人気があった。しかし、美しすぎる若夫婦には幸福は長続きしなかった。生後半年足らずの男児を残して喜久仁は亡くなり、梨津は実家に戻るしかなかった。

 実家では男子の跡取りがいなくて、ハルの娘「加津(かづ)」が婿を取って後を継ごうとしたが、加津も若くして病死し、子供もいなかった。梨津は実家の商売を手伝いながら女手一つで息子を大学まで出した。亡夫と同じ教師になってくれるのが夢だったが志津が守ってきたこの家をここで絶やす訳にはいかないので、梨津は息子「嵩仁(たかひと)」を独身の叔母・フクの養子にした。
 唯一の直系、嵩仁が最後の希望だ、と。

to be continued

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