[初めてお参りの方へ。銀狐稲荷は誰も知らない秘密の場所にひっそりと存在し、銀毛に碧翠と黄金のオッドアイを持つ九尾の妖狐『三狐神様』をお祀りしている。桜の枝に相談事を書いて結べば結界の奥の三狐神様のお告げを巫女の葛の葉が伝えてくれるらしい。]
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません。)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたのでどうぞこちらへ。
『私は優柔不断と言うのか、何事につけても物事を選んだり決めたりするのが苦手で困っています。ほんの些細なことは、人に少し呆れられるくらいで別にいいのですが、大切なことになると余計自分一人では決められなくて。どうしたら自分一人の力できちんと考えて答えを出せるようになれますか?』とのお尋ねでございましたね?
人生というものは日々幾つもの判断や決断で作り上げられるものでございますから、何かにつけて決めかねるというのは確かに御不自由なことでございますね。
では、貴女は何故物事を決められなくなったのでしょうか?原因は幾つかおありでございましょうが、一つにはお気の遣い過ぎ、ということがございましょう。幾つかの物から一つを選ぶ時に、まず貴女は最初に選ぶことを避けるようになさいませんか?「私は後でいいから、先に選んで」と必ず言われるのではございませんか?そして貴女は他の方がどれを選ぶか予め予想されて、消去法で答えを考えてから残った物を選ばれるのではございましょう?それゆえ、時に他の方が気まぐれで予想外の物を選ばれると戸惑われるのですね?それでも、貴女は結局何に決まってもそれを受け入れられてしまうので構わないと思っておられるのでしょう?
また、貴女は自分の意志で何かを選ぶという訓練が少々不足されているようにお見受けいたしました。
失礼ながら、幼少期よりいつも人に相談してから、というよりは全ての判断を委ねて来られることか多かったのではございませんか?
おそらく貴女は自分で考えたり決めたりせずとも、いつも誰かが代わりに選んだり決めたりしてくれた答を疑うことも逆らうこともせず、受け入れて来られたのではございませんか?
貴女には心から信頼し、頼れる存在がおありだったのでしょう。そして貴女が何も言わずとも常に先んじて貴女を導いて下さったのでございましょう。貴女が物心つく前から、貴女は大切にされ守られて来られたのですね。
そのため、貴女は気付くといつも用意された答えをただ受け入れることが普通になっておられたのでしょう。
「本当は違う」という違和感を覚えることすらほとんどなかったのではございませんか?それはとても快適で安楽なことでございますから。
しかし、長じて自我が芽生えるべき頃になると実は微かに貴女の中に疑問や反発が生じ始めたのではございませんか?
それでも貴女は自分の中のわずかな不協和音には耳を塞いで来られたのですね。
「私のことを思って勧めてくれているのに、間違っているはずはない。今までもそうしてきた。私はただ従っていればいいのだ。」と、目をつむり耳を塞いで人形のような自分に徹して来られた。
でも貴女もいつしか成長し、外の世界で多くの人に囲まれて過ごすうち、段々とそのような異常な状態には無理が生じて来たのではございませんか?
いつも傍に居てもらい判断を待っていることは不可能な状況で、自分で選んだり決めたりする必要のある場合に遭遇し、苦肉の策で人の様子を見て考えるという術を編み出されたのでございましょう。
しかしそれもまた不自然な状態ですので、周囲の人にも段々と「どうぞ先に選んで」と強いられるようになり、難儀をされておられるのですね。
そうして貴女は選ぶことや決めること、ひいては考えることさえしないできた癖が抜け切らないことに、今になって向き合わざるを得なくなられたのですね。
少女の頃なら全て人任せであっても大きな問題はなかったとしても、成長された今の貴女にはもう何もかも人に頼るということのできなくなったことに非常な不安を抱いておられるのでしょう?
「こんなに頼りない私がどんなに一生懸命考えても何も決められない。何とか決めてもそれが正しいという自信がない。間違っていたらどうしようと思うと不安でたまらない」といったところでしょうか?
どんなに避けたいと思っても常に人は決断を迫られます。
それは生きている限り毎日何度も繰り返されることでございます。どうでもいいようなことから一生に係わることまで、それはもういろいろなことに対して貴女は答えを出さねばなりません。
では、どう致しましょう?簡単なことです。直感を信じて「良いことは良い、悪いことは悪い」あるいは「すべきだと思えばする、すべきでないと思えばしない」または「したいと思えばする、したくないと思えばしない」というような極めてシンプルな考えで決めれば良いのです。
その結果間違いであったとしても、貴女が自分で決めたことならそれで良いのです。
人に出してもらった答えで、もし間違っていたら、その人のせいにしてしまうでしょう。
しかし、どんな答えであれ、貴女自身が納得して出された答えなら、例え結果が最悪であったとしても、それは貴女に学ぶ機会を与えてくれた貴重な経験の一つだと思えば良いのです。
人生において遅すぎることなど一つもありません。気付いた時貴女は既に一歩を踏み出しておられるのです。やり直したり過ちを正したりすることは悪いことではございません。誰もが必ずしもいつも正解を選ぶ訳ではございません。何度も失敗し、それを教訓として再び間違うことのないよう心に刻むのです。
怖れてはなりません。自分に自信と責任をお持ちなさいませ。
他人に責任転嫁することなしに、貴女がきちんと納得して出された答えは、例えどんな結果になろうとも誰もその判断を責めたりは致しません。勿論引き起こした結果は受け止めてそれなりの責任を取る必要はございましょうが。ただ、それ以上の責任をひきうける必要はございません。「何もかも私のせいで」などと考える必要はないのでございます。貴女は貴女の決断についてのみ、その直接の結果についてのみ責任を持てば良いのです。それ以上のことは引き受ける必要はございません。
どうぞ、堂々と自らの心に従ってお答えなさいませ。何事も訓練と思し召されませ。
お役に立てましたでしょうか?
またのお参り、心よりお待ち申し上げております。
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません。)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたのでどうぞこちらへ。
『私は優柔不断と言うのか、何事につけても物事を選んだり決めたりするのが苦手で困っています。ほんの些細なことは、人に少し呆れられるくらいで別にいいのですが、大切なことになると余計自分一人では決められなくて。どうしたら自分一人の力できちんと考えて答えを出せるようになれますか?』とのお尋ねでございましたね?
人生というものは日々幾つもの判断や決断で作り上げられるものでございますから、何かにつけて決めかねるというのは確かに御不自由なことでございますね。
では、貴女は何故物事を決められなくなったのでしょうか?原因は幾つかおありでございましょうが、一つにはお気の遣い過ぎ、ということがございましょう。幾つかの物から一つを選ぶ時に、まず貴女は最初に選ぶことを避けるようになさいませんか?「私は後でいいから、先に選んで」と必ず言われるのではございませんか?そして貴女は他の方がどれを選ぶか予め予想されて、消去法で答えを考えてから残った物を選ばれるのではございましょう?それゆえ、時に他の方が気まぐれで予想外の物を選ばれると戸惑われるのですね?それでも、貴女は結局何に決まってもそれを受け入れられてしまうので構わないと思っておられるのでしょう?
また、貴女は自分の意志で何かを選ぶという訓練が少々不足されているようにお見受けいたしました。
失礼ながら、幼少期よりいつも人に相談してから、というよりは全ての判断を委ねて来られることか多かったのではございませんか?
おそらく貴女は自分で考えたり決めたりせずとも、いつも誰かが代わりに選んだり決めたりしてくれた答を疑うことも逆らうこともせず、受け入れて来られたのではございませんか?
貴女には心から信頼し、頼れる存在がおありだったのでしょう。そして貴女が何も言わずとも常に先んじて貴女を導いて下さったのでございましょう。貴女が物心つく前から、貴女は大切にされ守られて来られたのですね。
そのため、貴女は気付くといつも用意された答えをただ受け入れることが普通になっておられたのでしょう。
「本当は違う」という違和感を覚えることすらほとんどなかったのではございませんか?それはとても快適で安楽なことでございますから。
しかし、長じて自我が芽生えるべき頃になると実は微かに貴女の中に疑問や反発が生じ始めたのではございませんか?
それでも貴女は自分の中のわずかな不協和音には耳を塞いで来られたのですね。
「私のことを思って勧めてくれているのに、間違っているはずはない。今までもそうしてきた。私はただ従っていればいいのだ。」と、目をつむり耳を塞いで人形のような自分に徹して来られた。
でも貴女もいつしか成長し、外の世界で多くの人に囲まれて過ごすうち、段々とそのような異常な状態には無理が生じて来たのではございませんか?
いつも傍に居てもらい判断を待っていることは不可能な状況で、自分で選んだり決めたりする必要のある場合に遭遇し、苦肉の策で人の様子を見て考えるという術を編み出されたのでございましょう。
しかしそれもまた不自然な状態ですので、周囲の人にも段々と「どうぞ先に選んで」と強いられるようになり、難儀をされておられるのですね。
そうして貴女は選ぶことや決めること、ひいては考えることさえしないできた癖が抜け切らないことに、今になって向き合わざるを得なくなられたのですね。
少女の頃なら全て人任せであっても大きな問題はなかったとしても、成長された今の貴女にはもう何もかも人に頼るということのできなくなったことに非常な不安を抱いておられるのでしょう?
「こんなに頼りない私がどんなに一生懸命考えても何も決められない。何とか決めてもそれが正しいという自信がない。間違っていたらどうしようと思うと不安でたまらない」といったところでしょうか?
どんなに避けたいと思っても常に人は決断を迫られます。
それは生きている限り毎日何度も繰り返されることでございます。どうでもいいようなことから一生に係わることまで、それはもういろいろなことに対して貴女は答えを出さねばなりません。
では、どう致しましょう?簡単なことです。直感を信じて「良いことは良い、悪いことは悪い」あるいは「すべきだと思えばする、すべきでないと思えばしない」または「したいと思えばする、したくないと思えばしない」というような極めてシンプルな考えで決めれば良いのです。
その結果間違いであったとしても、貴女が自分で決めたことならそれで良いのです。
人に出してもらった答えで、もし間違っていたら、その人のせいにしてしまうでしょう。
しかし、どんな答えであれ、貴女自身が納得して出された答えなら、例え結果が最悪であったとしても、それは貴女に学ぶ機会を与えてくれた貴重な経験の一つだと思えば良いのです。
人生において遅すぎることなど一つもありません。気付いた時貴女は既に一歩を踏み出しておられるのです。やり直したり過ちを正したりすることは悪いことではございません。誰もが必ずしもいつも正解を選ぶ訳ではございません。何度も失敗し、それを教訓として再び間違うことのないよう心に刻むのです。
怖れてはなりません。自分に自信と責任をお持ちなさいませ。
他人に責任転嫁することなしに、貴女がきちんと納得して出された答えは、例えどんな結果になろうとも誰もその判断を責めたりは致しません。勿論引き起こした結果は受け止めてそれなりの責任を取る必要はございましょうが。ただ、それ以上の責任をひきうける必要はございません。「何もかも私のせいで」などと考える必要はないのでございます。貴女は貴女の決断についてのみ、その直接の結果についてのみ責任を持てば良いのです。それ以上のことは引き受ける必要はございません。
どうぞ、堂々と自らの心に従ってお答えなさいませ。何事も訓練と思し召されませ。
お役に立てましたでしょうか?
またのお参り、心よりお待ち申し上げております。