[初めてお参りの方へ。銀狐稲荷は誰も知らない秘密の場所にひっそりと存在し、銀毛に碧翠と黄金のオッドアイを持つ九尾の妖狐『三狐神様』をお祀りしている。桜の枝に相談事を書いて結べば結界の奥の三狐神様のお告げを巫女の葛の葉が伝えてくれるらしい。]
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様のお告げをお預かりして参りましたので、どうぞこちらへ。
『私は幸福ってどんな感じをいうのかわかりません。今まで幸福だと思ったことが無いんです。幸福そうにすることはあります。目の前の相手に悪い気がするので。でも本当は全然幸福じゃないんです。というよりわからないんです。心から幸福って思えるにはどうしたらいいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
貴女は「今まで幸福だと感じたことはない」とおっしゃいましたが、他の方を見て「幸福そうだ」とは思われるのですね?その方も本当に幸福と思っているかどうかはわかりませんが、幸福そうな人を見て、貴女はどのように感じられるのでしょうか?
「羨ましい」「いいなぁ」それとも「私には無い感情だ。悲しいな」でございましょうか?
そもそも感情というものは考えて生じるものでございましょうか?喜怒哀楽等の感情は無い訳ではございませんでしょう。他の人と比べて程度の差こそあれ、何らかの感情は生じるものではございませんか?その感情はどのようにして生まれて来るのでしょう?自然にわき起こるものではございませんか?嬉しいと言う感情がどんなものか、悲しいと言う感情がどのような気持ちか、ただ嬉しいふり悲しいふりをしているだけだとでもおっしゃるのでしょうか?
確かに感情の起伏の激しい人とそうでない人はおられるでございましょう。「自分は感情の乏しい人間だ」という人ですら、何かのきっかけで激しく突き動かされることがいつかきっとあるものでございます。それは予期できるものでも制御できるものでもございません。それこそが真の感情というものでございます。
そしてそれまで乏しかった感情が一つの情動をきっかけに次々と湧き起こってくるものでございます。
幸福という感情も「どんなものか考えて」生じるものではございません。その感情が生じた後になって「ああ、これが幸福というものなのだ」とわかるものなのでございます。
貴女が幸福と思えないなら、それはまだ貴女が本当の幸福に出会っていないからかもしれません。あるいは出会っていたことに気付いていなかったのかもしれません。
自分の本当の気持ちに気付けないのは、自分自身に対して不正直だからでございます。
先に考えてしまっては感じることなどできません。
まずは「考えすぎる癖」を無くしてごらんなさいませ。
心を開放して自由に解き放ってごらんなさいませ。
そうすればきっと「まず感じる」という感覚がお分かりになると存知ます。
肩の力を抜いて、自然な流れに心を遊ばせてごらんなさいませ。
そうすればきっと自然とさまざまな感情が生まれて来られることでございましょう。
お役に立てましたでしょうか?
またのお参り、心よりお待ち申し上げております。
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様のお告げをお預かりして参りましたので、どうぞこちらへ。
『私は幸福ってどんな感じをいうのかわかりません。今まで幸福だと思ったことが無いんです。幸福そうにすることはあります。目の前の相手に悪い気がするので。でも本当は全然幸福じゃないんです。というよりわからないんです。心から幸福って思えるにはどうしたらいいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
貴女は「今まで幸福だと感じたことはない」とおっしゃいましたが、他の方を見て「幸福そうだ」とは思われるのですね?その方も本当に幸福と思っているかどうかはわかりませんが、幸福そうな人を見て、貴女はどのように感じられるのでしょうか?
「羨ましい」「いいなぁ」それとも「私には無い感情だ。悲しいな」でございましょうか?
そもそも感情というものは考えて生じるものでございましょうか?喜怒哀楽等の感情は無い訳ではございませんでしょう。他の人と比べて程度の差こそあれ、何らかの感情は生じるものではございませんか?その感情はどのようにして生まれて来るのでしょう?自然にわき起こるものではございませんか?嬉しいと言う感情がどんなものか、悲しいと言う感情がどのような気持ちか、ただ嬉しいふり悲しいふりをしているだけだとでもおっしゃるのでしょうか?
確かに感情の起伏の激しい人とそうでない人はおられるでございましょう。「自分は感情の乏しい人間だ」という人ですら、何かのきっかけで激しく突き動かされることがいつかきっとあるものでございます。それは予期できるものでも制御できるものでもございません。それこそが真の感情というものでございます。
そしてそれまで乏しかった感情が一つの情動をきっかけに次々と湧き起こってくるものでございます。
幸福という感情も「どんなものか考えて」生じるものではございません。その感情が生じた後になって「ああ、これが幸福というものなのだ」とわかるものなのでございます。
貴女が幸福と思えないなら、それはまだ貴女が本当の幸福に出会っていないからかもしれません。あるいは出会っていたことに気付いていなかったのかもしれません。
自分の本当の気持ちに気付けないのは、自分自身に対して不正直だからでございます。
先に考えてしまっては感じることなどできません。
まずは「考えすぎる癖」を無くしてごらんなさいませ。
心を開放して自由に解き放ってごらんなさいませ。
そうすればきっと「まず感じる」という感覚がお分かりになると存知ます。
肩の力を抜いて、自然な流れに心を遊ばせてごらんなさいませ。
そうすればきっと自然とさまざまな感情が生まれて来られることでございましょう。
お役に立てましたでしょうか?
またのお参り、心よりお待ち申し上げております。