[初めてお参りの方へ。銀狐稲荷は誰も知らない秘密の場所にひっそりと存在し、銀毛に碧翠と黄金のオッドアイを持つ九尾の妖狐『三狐神様』をお祀りしている。桜の枝に相談事を書いて結べば結界の奥に封印された三狐神様のお告げを巫女の葛の葉が伝えてくれるらしい…]
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉でございます。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたので、どうぞこちらへ。
『私はうまく友達を作れず困っています。人見知りが激しくて自分から壁を作って虚勢を張ったりしてしまいます。もしかしたらかつて親友と信じていた人と心がすれ違い傷ついたせいで、人が信じられなくなり、裏切られるくらいなら友達なんていらないとどこかで思ってしまっているのかもしれません。本当の友達を得るにはどうしたらよいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
そもそも「友達」とはどのようなものとお考えでいらっしゃいますか?「いつも一緒に居る」「心底わかりあえる」…人により解釈は様々でございましょう。
では貴女の思う「友達の条件」にあてはまるお方はいらっしゃいますでしょうか?貴女は「友」と思っていても先方はそう思わない、あるいはその逆ということもございますでしょう。
貴女は「友」に何を期待されていらっしゃるのですか?何を得られ、何を与えられると考えていらっしゃるのでしょうか?
人というものは元来勝手な生き物でございます。決して他人の思惑通りの言動をしてくれるものではございません。もし貴女が何もかもわかりあえて傷つけたり傷つけられたりすることのない、ぬくぬくとした関係をお望みならば、それは幻想に他なりません。そのような相手は決して存在しえないのでございます。
貴女は「心の壁」を作ってしまうとおっしゃいましたが、それはお互い様というものでございます。壁のない関係などございません。そもそも自分のことですら100%理解できないのが人間というもの。まして他の人間と理解しあうなど、到底できるものではございません。
元よりそのようなことを期待するのは不可能なのでございます。
ただ、独りが寂しいから群れていようとすれば、自分自身に無理を強いることとなりますでしょう。相手に迎合し、虚像を装い、傷む心を押し隠しながら関係を続けて行くのは辛いばかりでございましょう。
貴女が貴女のままでいられて、相手も相手のままでいられて、なおかつ同じ時を心安らかに過ごせればそれでよいとは思われませんか?
ただ、それは永続的なものではございません。その時その場で一定の時を過ごし、時が来れば離れ、また別の時別の所で別の人と別な関係に安んじる、そういったものでございます。どちらかが無理をしていては円満な関係を築くことなどできないのでございます。
裏切られることが、傷つくことが怖くて人を信じられないとおっしゃいますが、まさにそれこそが求め過ぎ、頼り過ぎなのでございます。
人は皆付かず離れず出会い別れて行くものでございます。日々、その時その場の心のままに自然に生きていれば、縁あるものは近づき縁なきものは離れて行くことでございましょう。
「友」というものは作ろうと構えて作るものではございません。縁により引き寄せられていつの間にか出会い、共にあるものでございます。
貴女が貴女らしくまっすぐ生きてゆけば、おのずとその道程に御縁がございましょう。
考えすぎ、期待しすぎは縁を遠ざけてしまいかねません。
何よりもまず、貴女ご自身が幸福で満たされて生活をされていること。まずはご自分を大切になさいませ。
そして出会った人に自然体で臨み、肩肘張ることも、背伸びすることも装うこともなく「素」のままの貴女でいさえすれば、きっと「友」は向こうから歩み寄って来られますでしょう。
お役に立てましたでしょうか?
お告げは以上でございます。
またのお参り心よりお待ち申し上げております。
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉でございます。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたので、どうぞこちらへ。
『私はうまく友達を作れず困っています。人見知りが激しくて自分から壁を作って虚勢を張ったりしてしまいます。もしかしたらかつて親友と信じていた人と心がすれ違い傷ついたせいで、人が信じられなくなり、裏切られるくらいなら友達なんていらないとどこかで思ってしまっているのかもしれません。本当の友達を得るにはどうしたらよいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
そもそも「友達」とはどのようなものとお考えでいらっしゃいますか?「いつも一緒に居る」「心底わかりあえる」…人により解釈は様々でございましょう。
では貴女の思う「友達の条件」にあてはまるお方はいらっしゃいますでしょうか?貴女は「友」と思っていても先方はそう思わない、あるいはその逆ということもございますでしょう。
貴女は「友」に何を期待されていらっしゃるのですか?何を得られ、何を与えられると考えていらっしゃるのでしょうか?
人というものは元来勝手な生き物でございます。決して他人の思惑通りの言動をしてくれるものではございません。もし貴女が何もかもわかりあえて傷つけたり傷つけられたりすることのない、ぬくぬくとした関係をお望みならば、それは幻想に他なりません。そのような相手は決して存在しえないのでございます。
貴女は「心の壁」を作ってしまうとおっしゃいましたが、それはお互い様というものでございます。壁のない関係などございません。そもそも自分のことですら100%理解できないのが人間というもの。まして他の人間と理解しあうなど、到底できるものではございません。
元よりそのようなことを期待するのは不可能なのでございます。
ただ、独りが寂しいから群れていようとすれば、自分自身に無理を強いることとなりますでしょう。相手に迎合し、虚像を装い、傷む心を押し隠しながら関係を続けて行くのは辛いばかりでございましょう。
貴女が貴女のままでいられて、相手も相手のままでいられて、なおかつ同じ時を心安らかに過ごせればそれでよいとは思われませんか?
ただ、それは永続的なものではございません。その時その場で一定の時を過ごし、時が来れば離れ、また別の時別の所で別の人と別な関係に安んじる、そういったものでございます。どちらかが無理をしていては円満な関係を築くことなどできないのでございます。
裏切られることが、傷つくことが怖くて人を信じられないとおっしゃいますが、まさにそれこそが求め過ぎ、頼り過ぎなのでございます。
人は皆付かず離れず出会い別れて行くものでございます。日々、その時その場の心のままに自然に生きていれば、縁あるものは近づき縁なきものは離れて行くことでございましょう。
「友」というものは作ろうと構えて作るものではございません。縁により引き寄せられていつの間にか出会い、共にあるものでございます。
貴女が貴女らしくまっすぐ生きてゆけば、おのずとその道程に御縁がございましょう。
考えすぎ、期待しすぎは縁を遠ざけてしまいかねません。
何よりもまず、貴女ご自身が幸福で満たされて生活をされていること。まずはご自分を大切になさいませ。
そして出会った人に自然体で臨み、肩肘張ることも、背伸びすることも装うこともなく「素」のままの貴女でいさえすれば、きっと「友」は向こうから歩み寄って来られますでしょう。
お役に立てましたでしょうか?
お告げは以上でございます。
またのお参り心よりお待ち申し上げております。