[初めてお参りの方へ。銀狐稲荷は誰も知らない秘密の場所にひっそりと存在し、銀毛に碧翠と黄金のオッドアイを持つ九尾の妖狐『三狐神様』をお祀りしている。桜の枝に相談事を書いて結べば、結界の奥の三狐神様のお告げを巫女の葛の葉が伝えてくれるらしい。]
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません。)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたのでどうぞこちらへ。
『私はマイナス思考というのか、いつも悩んだり落ち込んだり心配したりして日々不安でたまりません。人は考えすぎだと言いますがそれは自分でもわかっています。でもどうにもできなくて。どうしたらよいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
貴女が今、不安なこと心配なこと、何か具体的な例を一つ思い浮かべて頂けますか?なんでも結構でございます。いえ、私に告げずとも貴女が心の中に思うだけでよろしいのです。如何ですか?
では、そのことについていくつかお尋ねを致します。これもお答え頂かなくとも、貴女の心の中で思うだけで結構でございます。
まず、そのことは『現在』実際に起こっていることでしょうか?そしてそれは客観的な事実で、思い込みや疑惑ではないと断言できることでしょうか?そのことについて何らかの決断・判断を『今すぐ』下さねばならないことでしょうか?それとも期限が存在して少しの猶予が許されることでしょうか?貴女が今思う以外の、他の見方・考え方・解決法などは存在しないのでございましょうか?
他にもいろいろございましょうが、これらは全て「思考の分析・仕分け」といったようなものでございます。要はそのことが『たった今、直ちに』考える価値があるのかどうか、ということなのでございます。
近い将来貴女の身に降りかかる難儀が避けようのない宿命であったとしても、それを今思い悩む必要がございますでしょうか?その時そのことが起こってから、或いは確実に起こると分かってからでも十分間に合うのではございませんか?
まして考えてもどうすることもできないとしたら尚更でございます。
未来を思い煩うのは杞憂というものですが、過去も又同じ事でございます。
幾ら後悔し、「あの時こうしていたら」などと思った所で何一つ変わりはしないのでございます。
考える価値も必要もないことに悩むのは時間とエネルギーの無駄というものでございます。
貴女がそれでも思い悩むのは、悩んでいたいからにほかなりません。
無意識に心の傷をえぐり、血を流し、痛みを感じることで、その痛みを忘れまいとしているのでございます。
それは痛みがなくなると忘れてしまいそうで怖いからです。
忘れることに罪悪感を覚えるからです。
自分を罰するかのようにいつまでもその痛みを感じていたいとどこかで願っているからです。
それに気づかないうちは悩みがなくなることはございません。
もし貴女がまた悩んでしまいそうになったら、先程のように自らに問うてごらんなさいませ。
頭の中だけで考えていては、いっぱいになって苦しいようであれば、紙に書いて線を引いて消すとか、一枚に一つずつ書いたメモを破り捨てるとかいう方法でも構いません。
外に出すことでおぼろげであった考えや悩みの姿がよりはっきり見えるということもございましょう。
そうすればいかに不必要な思考が居座って貴女の心を息が詰まるほど狭苦しいものにしていたのかを感じて頂けるものと存知ます。
狐に化かされたものと思し召して、どうぞ試してごらんなさいませ。
お役に立てましtでしょうか?
またのお参りを心よりお待ち申し上げております。
(このシリーズはフィクションであり実在の個人及び団体とは一切関係ありません。)
本日は銀狐稲荷にようこそお参りになられました。巫女の葛の葉と申します。三狐神様よりお告げをお預かりして参りましたのでどうぞこちらへ。
『私はマイナス思考というのか、いつも悩んだり落ち込んだり心配したりして日々不安でたまりません。人は考えすぎだと言いますがそれは自分でもわかっています。でもどうにもできなくて。どうしたらよいのでしょうか?』とのお尋ねでございましたね?
貴女が今、不安なこと心配なこと、何か具体的な例を一つ思い浮かべて頂けますか?なんでも結構でございます。いえ、私に告げずとも貴女が心の中に思うだけでよろしいのです。如何ですか?
では、そのことについていくつかお尋ねを致します。これもお答え頂かなくとも、貴女の心の中で思うだけで結構でございます。
まず、そのことは『現在』実際に起こっていることでしょうか?そしてそれは客観的な事実で、思い込みや疑惑ではないと断言できることでしょうか?そのことについて何らかの決断・判断を『今すぐ』下さねばならないことでしょうか?それとも期限が存在して少しの猶予が許されることでしょうか?貴女が今思う以外の、他の見方・考え方・解決法などは存在しないのでございましょうか?
他にもいろいろございましょうが、これらは全て「思考の分析・仕分け」といったようなものでございます。要はそのことが『たった今、直ちに』考える価値があるのかどうか、ということなのでございます。
近い将来貴女の身に降りかかる難儀が避けようのない宿命であったとしても、それを今思い悩む必要がございますでしょうか?その時そのことが起こってから、或いは確実に起こると分かってからでも十分間に合うのではございませんか?
まして考えてもどうすることもできないとしたら尚更でございます。
未来を思い煩うのは杞憂というものですが、過去も又同じ事でございます。
幾ら後悔し、「あの時こうしていたら」などと思った所で何一つ変わりはしないのでございます。
考える価値も必要もないことに悩むのは時間とエネルギーの無駄というものでございます。
貴女がそれでも思い悩むのは、悩んでいたいからにほかなりません。
無意識に心の傷をえぐり、血を流し、痛みを感じることで、その痛みを忘れまいとしているのでございます。
それは痛みがなくなると忘れてしまいそうで怖いからです。
忘れることに罪悪感を覚えるからです。
自分を罰するかのようにいつまでもその痛みを感じていたいとどこかで願っているからです。
それに気づかないうちは悩みがなくなることはございません。
もし貴女がまた悩んでしまいそうになったら、先程のように自らに問うてごらんなさいませ。
頭の中だけで考えていては、いっぱいになって苦しいようであれば、紙に書いて線を引いて消すとか、一枚に一つずつ書いたメモを破り捨てるとかいう方法でも構いません。
外に出すことでおぼろげであった考えや悩みの姿がよりはっきり見えるということもございましょう。
そうすればいかに不必要な思考が居座って貴女の心を息が詰まるほど狭苦しいものにしていたのかを感じて頂けるものと存知ます。
狐に化かされたものと思し召して、どうぞ試してごらんなさいませ。
お役に立てましtでしょうか?
またのお参りを心よりお待ち申し上げております。