「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

熱海のこと

2024-06-11 07:30:00 | 日記
熱海の花火大会は、毎年何回かあるのですが、最近熱海が人気になって追加で開催されることが多くなりました。


上記は、公式サイトの物ですが、今年の2月、3月のも追加で発表されていたので、何人かの人と楽しみました。

5月2日も開催していたのですが、GW前で行くのを止めて正解でした。
次の日の朝のニュースを見ていると、夜の熱海駅が映っていて、大変な混雑ぶりでしたからね。

次は7月、8月の夏休みなので、きっと混雑するのでしょう。
青字は、また追加になった日程のようです。


熱海にお店を出すことになった話は以前に記事にしていました。
お店自体は2月に契約をして、3月から借りているのですが、内装についてお願いしているスーパーモンキープロジェクトのOさんもかなり忙しい中を何回も打ち合わせに来て下さり、先週の6日から本格的に工事に入りました。


☆ 私のこと その5


ということで、開店は7月かな?と思っています。

皆様に、よく聞かれるのでお知らせしておきますね。


さて、3月10日(日曜日)から11日に掛けて、大阪近くにお住まいのカズエさんとあかりこさんが熱海のマンションに泊まりに来ました。

お二人は、私とIさんのブログの読者なので、かなり読み込んで下さっていて、10日は伊豆山神社に行き、次の日の朝は来宮神社に行き、その後あかりこさんが予約してくれていたレンタカーで箱根まで行くことになりました。

ルートもIさんのブログの「箱根徒然」通りというマニアックな感じでしたよ。
私は、お陰様で全部ついて行くだけで巡ることが出来ました。


★ 箱根徒然



2014年2月15日の記事なので、私と会う1年前くらいの記事なのだと思いました。

あかりこさんは、熟読をしているので、まずは「箱根駒ケ岳ロープウェー」の駐車場に車を停めると、「箱根プリンスホテル」を抜けて「神山通り」という遊歩道に向いました。



昔の看板とは少し変わっているみたいですが、「箱根九頭龍の森セラピーロード」となっていました。

この日は、とても天気が良かったのですが、かなり寒い日でもあり、霜柱が立っていましたよ。




まずは、近くにある白龍神社でご挨拶をして、芦ノ湖畔の遊歩道を歩いて行きました。


富士山の頂上が、見えますね。
遊歩道は、かなり続いていてゴールが九頭龍神社でした。






九頭龍神社の元宮は、初めてだったので、多分彼女達が来なければ、きっとずっと行かなかったと思うと、ありがたいことですね。


続きます。


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荒熊神社「感謝の会」当日 その2

2024-06-04 07:30:00 | 日記
前回で私が感動した佐野公俊(さのきみとし)先生のスピーチの中でのお話です。
先生が車を運転している時に、

足を上げろ

と、声がして足を上げると、車の底が抜けてしまったそうですよ。
その時に、足を上げなければ大怪我をしていたので、神様の存在はやっぱりあるのだと思ったとおっしゃっていました。

清水英勝宮司様に、佐野先生のことをお聞きすると、年末にいつもいらっしゃるのも、手術をしていて、神様の存在を感じるからだとのことでした。


私達は、お食事もいただきながら、ひな壇にいらっしゃる宮司様達と記念撮影をしていました。



清元宮司様は、前日にお会いしていましたが、少し前に体調を崩していたそうで、ずっと車椅子移動でした。



英勝宮司様の奥様が、車椅子を押していらっしゃいますね。

清元宮司様と齋藤陽子先生が引退されるので、これからはお二人での荒熊神社の運営となります。

英勝宮司様も、カラオケを歌って、奥様も寄り添っていらっしゃいました。



最後は花束贈呈があり、ヒロミさんがプレゼンターで陽子先生にお渡ししていました。



「感謝の会」は、スタッフの皆様のお陰様で、滞りなく終わりました。

3月にもお会いしていたみーららさんもいらしていたし、受付をしていた方達も何度かお会いしていて、再会を喜んでくださいました。



考えてみれば、私がIさんと2016年10月1日に荒熊神社に行けと何度も言われて行かなければ、皆様とのご縁もなかったことだと思うと不思議なことですね。

私やIさんのブログを読んで、荒熊神社を訪ねてくれる方もいらっしゃるようで、やっぱり繋ぐ役割りなのだと思います。

帰りは、名古屋の駅までSご夫妻に送っていただき、ヒロミさんにはネットで新幹線の指定席の取り方を教えてもらいましたが、帰りは並んで取れる席もないことがわかり、少し離れて座り帰りました。

本当に、いつも皆様のお陰様でありがたいことだと思います。


5月23日に話してきたのは、ミクネの神(天之常立之神)でした。


ミクネだ。
小牧隕石は、ラップ星のかけらだよ。

ラップ星は、大きかったのですか?

ラップ星は木星より大きかった。
地球より進んでいた。
粉々になってしまったな。
残念なことだったな。
ずいぶん昔のことだ。
理解はしなくていいよ。

ニギハヤヒと関係していますか?

ニギハヤヒの元の魂がラップ星にあったからだろう。
セオリツヒメの元が大事だったのだよ。
今のセオリツヒメとニギハヤヒは違うものだよ。
魂は、何度も生まれ変わるのだからな。


なんだか、わかったようなわからないような話ですが、理解しなくていいみたいです。

その後に話してきたのは、荒熊神社の清元宮司様に5月18日に降りてきた大杉の神でした。


大杉の神だ。

先日は、ありがとうございました。

荒熊神社に来てくれて、ありがとう。

いつもはどちらにいるのですか?

いつもは鞍馬にいるよ。
清元は、鞍馬で修行していたからな。
Sには、石を授けたからこれから良くなると思うよ。
私も就いていいか?

はい。

ありがとう。
いつか、話したかったのだよ。
英勝を頼むよ。
タカコ(奥様)もね。


大杉の神は、私の275番目の神様になりました。


そして、次の日にも大杉の神は話してきました。


大杉の神だ。

大杉の神様は、何階層の神様ですか?

私は四階層の神だ。

サナトクマラ様も鞍馬にいますか?

サナトクマラもいるよ。
弁慶に就いていたりするけどね。

サナトクマラは、やっぱり星から来たのですか?

火星と木星の間の小惑星帯から来たよ。
話したらいいよ。


サナトクマラが久しぶりに話してきました。


サナトクマラだ。

お久しぶりです。

久しぶりだな。

サナトクマラ様は、ラップ星から来たのですか?

ラップ星は、ずいぶん前に爆発してしまったな。
私は木星の惑星にいたよ。
だから、火星と木星の間と言ったのだ。
とにかく、私は星から来たことは間違いないのだ。


やっぱり、何度も繰り返し言われる話は変わっていないようでした。

3月に行った荒熊神社からの5月の話に飛んでしまったので、次回は遡る話になります。


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荒熊神社「感謝の会」当日

2024-06-02 07:30:00 | 日記
5月18日は晴天でしたが、19日の朝から雨が結構降っていました。

前日の夜に次の日の朝は、荒熊神社の本殿に行く約束をしていたので、Sご夫妻とヒロミさんと4人で、ホテルの前で6:30に待ち合わせて出掛けて行きました。

傘を持って行かなかったので、Sさんにお借りして、息をハァハァ言わせながら本殿に向かう階段を昇ると6:45でしたが、英勝宮司様はいらしていて、太鼓を叩くタイミングでした。



私達は、静かに後ろで並んで宮司様のお祈りを聞いていました。

今回聞いていて感動したのは、いろいろなご祈願にいらした方のお名前を全部呼び出してお祈りしていたお姿でした。

昨年、夫が亡くなる前に清元宮司様が、

毎日、ご主人のことはお祈りしていますからね。

と、おっしゃっていた意味がよくわかりました。
宮司様は、これを朝に夕に続けてくださっていたのだということですね。
それだけで、頭が下がる思いでした。

1時間近くお祈りを終えて、後ろを振り返ると、

あ、ビックリした。

と、英勝宮司様はおっしゃっていて、私達のことは気付いてなかったようです。


英勝宮司様が、ここで撮るといい感じになると言ってヒロミさんを撮ってくれました。
対岸の伊勢に向かっている感じですね。


帰りもまだ雨は降っていました。

そして、私達は朝ご飯を食べるためにホテルに戻りました。

もう8時くらいになっていたので、朝食の場所に行くと意外と沢山の方が泊まっていらしたことがわかりました。




干物がバイキングになっていて、好きなだけ選べて、各自焼く形式でした。
私は11時からパーティーなので、ご飯は少な目にしていたのですが、おかずが沢山で結局おかわりしました。

今回の荒熊神社の「感謝の会」は、今年3月1日で99才になった清元宮司様と30年一緒に仕えていらっしゃった齋藤陽子様も引退されることになり、お二人に対しての「感謝の会」とのことでした。

「ホテル山海館」3階の大広間に約80名の方々が集まりました。



まだ始まる前にひな壇からヒロミさんが撮ってくれました。
奥が舞台になっています。

パーティーが始まって、信者さんのお話しを聞いていると、本当に長い間のいろいろな思いがあったのだろうと感じました。

南知多で活動している「こころの会」の太鼓の演奏があり、若い人達の太鼓を聞いていたら自然と涙が出てしまいました。



回りの方もおっしゃっていたので、私だけではないのだと思いましたが、英勝様にお聞きすると、もう25年も前からのお付き合いで、お祭りに出てもらっているそうです。

中心になっている元気な女性が、何度も「ありがとうございます」と大きな声で言っていて、気持ちも良かったです。
太鼓を叩いていたのは、中学生や高校生でした。

何人かのの方がカラオケを歌ってからお話しをされた中で、石原裕次郎の「我が人生に悔いはなし」を歌われた佐野公俊(さのひろとし)先生のお話しに感銘を受けました。

後で調べると、世界的に有名な方で、テレビ出演もずいぶんあることがわかりました。


佐野医師は世界でも極めて少ない無血手術が出来る腕を持っており「神の手・仏の心を持つ医師かつブラックジャックならぬホワイトジャック」と呼ばれるクリッピング手術の世界的権威。
藤田保健衛生大学(現:藤田医科大学)退任後、困難な症例のオペなどを、川崎にある「医療法人明徳会総合新川橋病院」で週2回の手術、および外来を行っている。
また静岡県の藤枝平成記念病院、豊川市の青山病院でもオペを行っている。
東京都江戸川区の森山記念病院付属の東京脳神経センター病院の脳動脈瘤手術センターで脳動脈瘤の患者さんが見つかれば今後オペを行う予定。
名古屋脳神経外科クリニックで行っている脳ドックの検査後、脳動脈瘤が発見された患者の診察、またジャパン藤脳クリニックでは、脳ドックで見つかった患者の外来診療も行っている。
世界脳神経外科連盟の脳血管障害部門での委員長など歴任。


調べた通りのお話しをされていて、自分の技術を惜しみなく若い人や海外の人にも開示しているとのことで、自分は今79才だけどまだまだ手術を清元宮司様の年でもやりたいとおっしゃっていました。

英勝宮司様にお聞きすると、毎年年末に神様の力をいただきにいらっしゃるそうですよ。



私は感動したので、一緒に写真を撮っていただきました。


続きます。


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