「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

清洲城 その3

2022-01-07 07:30:00 | 日記
私達は「清洲古城跡公園」から、「清洲公園」に向かいました。

立看板の地図を拡大してみました。
JRと新幹線の線路をくぐるように向かいます。



近くの川は五条川というようですね。

この辺りは、天正大地震というマグニチュード8くらいの地震が、1586年1月16日と18日にあり、かなり広範囲に被害があったようです。
時代は、まさに戦国時代で、大混乱状態だったのだと思いました。

wikipediaの震度分布を見ると、本当に恐ろしい感じですね。
震度6~7の地震が広範囲に渡っていますし、その10年後にも何度も大きな地震があったそうです。



そして、それから300年後の1891年(明治24年)10月28日に、濃尾地震という地震がほぼ同じ場所で起こっています。
もう、明治時代になっていましたが、この時も広範囲に被害があったらしいです。
地震分布の「激烈」は、ピンクの丸印になっていますが、まさに清須の辺りは一番揺れた場所のようですね。
分布図で見ると関東地方と四国九州まで、揺れています。



「清洲古城跡公園」には、この時の大地震の石碑がありました。



画像は、お借りしました。

天正地震の時も、濃尾地震の時も、この辺りは液状化したそうで、清洲城下の人達を名古屋城下に移したのは、天正地震の被害のためだったそうです。

これは天正地震の後、江戸時代になった1610年から始まった「清洲越(きよすこし)」と言われ6万人の人達が名古屋に引っ越し、名古屋地区は碁盤の目のように町を整備したのだそうです。

やっぱり、地形を見て先を見通した徳川家康はスゴい人だったのだと思いますね。

今回、織田信長が言っていた地盤の中心の要石については、私もよくわからないのですが、茨城県の鹿島神宮と香取神宮にある要石について、水戸光圀が関係していることと似ているのかと思いました。

「清洲公園」は、まだ新しいようで、織田信長と奥方の濃姫の銅像が揃ったのは、平成24年とのことのようです。









立看板に書いてあることに由ると、織田信長の銅像は27才で桶狭間の戦いに行く時の様子で、銅像も桶狭間に向いているそうですよ。

濃姫は斎藤道三の娘で、美濃から来たから濃姫と言われていたらしく、本名はよくわからないようで、帰蝶とか胡蝶とかいろいろとあり、実像も後で物語として作られた感じで、ミステリアスな存在のようです。

名古屋の「ノリタケの森」にいた時にIさんが、清洲城からだと近い岐阜城に行こうと言っていて、岐阜と言えば一昨年の四国の旅に一緒に行ったWご夫妻がいるのでは?と、一応電話をしてみたらと言われて、私がご主人のしんやさんに電話をすると、丁度二人で買い物をしているとのことでした。

また、着いたら電話をしますと伝えて、岐阜城に向かいました。

岐阜城は、かなり遠くから山のてっぺんに建っているのが見えました。

まさに、濃姫の父の斎藤道三の城だった訳で、その後は織田信長もいたのですが、その時代にあの高さに城を作るというのは、大変なことだったろうと思いました。

岐阜城が建っているのは、金華山というのですね。
調べると329メートルの標高があるようです。

私達が岐阜城のロープウェイのところに着いたのは、もう午後3時になっていました。


続きます。
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清洲城 その2

2022-01-05 07:30:00 | 日記
清洲城の話の続きです。

前回の話は、11月に猿田彦と荒熊の神が、12月の初めに清洲城と荒熊神社に行って欲しいということでした。

Iさんに、日にちを決めてもらい、神様が言っていたK会長とみこちゃんに伝えたのですが、二人とも行けない様子で、Iさんと二人で行くようにしていたのですが、直前に、みこちゃんの予定がキャンセルになって一緒に行くことになりました。

私はみこちゃんが来てくれないとなった時に、なんだかとても不安な気持ちになったので、今回一緒に行ってもらって本当に良かったと思います。

12月初めには、なんだか地震も頻発していました。
12月3日のテレビの速報です。
山梨県大月が、震度5になっていますね。



私達は、名古屋駅の新幹線口に朝の10時に待ち合わせしました。



Iさんは、レンタカーを借りてくれていて、駅前のビックカメラの前にいる時に、
📩がきて、

ねーさん、「剣菱」持ってる?

と言われて、確かに「剣菱」と言われていたのに、用意していなかったと思いました。

以前に、やっぱり「剣菱」が欲しいと言われた時に、名古屋のビックカメラのお酒売場にあったらしく、目の前にあるお店に入って行ったのですが、一升瓶のしかなくて、他で探そうということになりました。

名古屋駅の向こう側に回ったところにあるビックカメラやデパートや地下街に行ってくれたのですが、どこにもなくて、路地に車を停めてネット検索した酒店に三人で片っ端から電話をしていました。

電話してもどこにもなく、私が電話をしたお店の女性が、

「剣菱」ありますか?って3人目なんですけど、何かあるんですか?

と言われて、私達3人だけでしょう、そんな電話!と思いました。(笑)

Iさんが掛けた酒店の人が、イオンにならあるかもと言っていたので、イオンに電話をするとあるとのことで、「ノリタケの森」という陶磁器のノリタケ本社の工場跡地に建てられたイオンモールに行きました。

とてもスケールが大きいショッピングモールで、お酒売場に行くと、目指す「剣菱」があってホッとしました。

Iさんが、ドーナツを買ってくれました。
もう、なんと12時になっていたのですね。



みんなで少しずつ分けて、抹茶のは信長さんに持って行くとIさんは言っていました。

その後は清須に向かって走り、清洲城に就いたのは、午後1時くらいでした。

私が言われていたのは、新しい清洲城ではなく、「古城跡公園」の方だったので、赤い橋を渡って行きました。



渡ったところに地図がありました。



紅葉がとてもキレイでした。



地図の右の方に、以前の清洲城の石垣が少しだけ残っていました。










織田信長公を祭る小さなお社ですね。





私達がここにいる間に、ずっと鳩が二羽いて、Iさんが、

信長さんと濃姫さんだね。

と言っていました。



石に「剣菱」をと言われた石のところで、みこちゃんが写真を撮ると画面が金色になりビックリしました。



石のところに、「剣菱」と抹茶ドーナツと、Iさんが持って来た信長さんの刀の鍔(つば)を置いて、振り子で聞いてみると、祝詞は一回だけでいいとのことで、Iさんが祝詞をあげてくれました。



なんとかミッション終了で、その後は地図にあった信長さんの銅像のある「清洲公園」に行きました。


続きます。
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暮れに話したこと その2

2022-01-03 07:30:00 | 日記
皆様、明けましておめでとうございます✨

今年も、よろしくお願い申し上げます。

1月1日は、関東地方は快晴でした。
北陸や東北の皆様からは、雪の画像が送られてきたりで、寒波が激しかったのでしょうね。

朝6時くらいから起きていましたが、私の部屋は東向きなので、日の出を見ることが出来ます。

7:33の日の出。



福島の友達が、日めくりカレンダーを作ったとのことで、送ってくれました。
文章も考えて、絵も自分で描いていて、途中で止めようかと思ったけど、がんばったそうです。



夫のいる部屋に行き、1月1日なので、簡単にお節を盛ったり、お雑煮を作って、昨年も撮りましたが、モーニングショーのダイヤモンド富士の画面を撮りました。
8:08ですね。



近くのK会長は、行こうとしたら大渋滞だったそうですよ。


さて、暮れに話したことです。

北海道のOご夫妻は、相変わらずがんばっていらっしゃるようで、今年の初仕事がNHKの「ゆく年くる年」のトマムの花火だったそうです。
お正月から、スゴいことですね。
私は昨日、NHK+で紅白歌合戦と「ゆく年くる年」を観ていました。
占冠(しむわっか)村にある「星野リゾートトマム」の花火だとわかりました。

Oさんが送ってくださったのですが、BBCのニュースで、世界中のカウントダウンの花火をいろいろな国をやっていて、日本はトマムの花火だったので、なんだかとても嬉しくなりました。


奥さんのひろみさんが送ってくれた、コロボックルの石をみんなに渡していたのですが、Iさんにきちんと渡せなかったので、なんとか時間を作ってもらい、品川で待ち合わせて渡しました。

その後に、Iさんから📩がきました。


昨日、品川の帰りに龍神さんがこんなことを言ってたよ。


掴むと掴めないものがある。

水はつかめん。

強く握れば握るほど、
水は手から溢れていく。

水はすくうのだ。

すくう様に持たなければいけないものもある。

情は水だ。

水の様に扱わなければいけないものもある。


私は誰が話してくるのか、聞いてみました。


私)Iさんに話していたのはどなたですか?

Iのところに行ったのは私だよ。
瀬田の龍神だ。
「つかむ」というのは、どうしても上から指を伸ばすだろう。

はい。

「すくう」というのは下から指の隙間が開かないようにするよな。

そうですね。

「すくう」というのは、良いも悪いも全て認めるということなのだ。
だから、それだけ大きな心でなければならない。
死が別つまでと、何度も言われているだろう。

はい。

本当の愛は見守ることだよ。
全てをすくうことは出来ないけれど、いるだけでいいという人になって欲しい。
私はカラツの神の使いになっているが、カラツの神がこの10年、M子がいるだけで助かったように、神さえも話すことだけでホッとするのだ。
M子は、死が別つまで話を聞いてやってくれよ。
ただ、それだけだ。

わかりました。

かわいい人達のために。。。
かわいい人達は、みんな神の子だからな。


私は、感動していました。
やっぱり、神様の言う通り「蒼いとびら」でセッションを始めたことは良かったのだと思います。

その夜に、私は奈良のお知り合いのこもりくさんにお電話して話していました。
こもりくさんとも、電話でセッションしていましたが、それはご主人の体調についての話で、この日は丁度病院に一緒に行かれていたそうです。
その時に、龍神にしか見えない雲が出ていて、とても、励まされた感じだったそうです。



私は次の日に、この龍神と話してみました。


私)これは、どなたですか?

私は「風の宮」の白龍です。
こもりくが、いつもお世話になっています。

そんなことはないですよ。

話を聞いて貰うだけで、元気になるのですよ。
だから、これからもよろしくお願いします。


一昨年の暮れに、IさんとSさんと三人で、奈良に行っていました。
その時に行った龍田大社は「風の宮」と言われているのですが、一昨年聞いた話と変わっていなかったので、やっぱり驚きました。


🐶 奈良の旅 その8

コメント (6)
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