「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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坂本八幡宮の話 その3

2019-06-14 07:30:37 | 日記
5月20日の朝に、大宰府の坂本八幡宮の梅の精が話してきました。


梅の精です。
昨日、Sさんが来てくれました。
テーーーースーーーートーーーーに合格です。


テストですか?


私達は、ずっといたのに、誰も見向きもしてくれませんでした。
大宰府の梅は、あまり珍しくはないのですが、昔は私達の方がスゴかったのです。
菅原道真の梅が飛んで来た話は有名ですが、あれは京都から持って来た梅の枝が、庭についたという話ですよ。
私達が助けたのです。
Sさんは、ムース持って来てくれました。
作ってくれたと言っていましたね。
民達が、坂本神社に毎日来ています。
今年だけにならないで欲しいと思います。
M子さん、ありがとう。
話せて嬉しかったです。


菅原道真の「飛梅伝説」は、確かに有名な話ですね。


🌟飛梅(とびうめ)は、福岡県太宰府市宰府(旧・筑前国御笠郡太宰府村)にある太宰府天満宮の、神木として知られる梅の木の名称である。

樹齢1000年を超えるとされる白梅で、本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられており、根本は3株からなる。太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされる。




飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にあったが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれている。
このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存する。

平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだ。
その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌である。


東風(こち)吹かば 
にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 
主(あるじ)なしとて 春を忘るな


現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。
大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。


伝説の語るところによれば、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。
しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。
ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言う)。
一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。


現実的には、菅原道真を慕った方が、苗木を秘かに持ち出して植えたようで、梅の精が言っていた話は、合っているように思いました。

大伴旅人も、大宰府に左遷されたように言われていますし、菅原道真とは時代が違いますが、やっぱり同じような感じだったのでしょうか。

どちらの話も藤原氏の絶大な権力からのようで、実際には、170年の隔たりがあるのです。

明治時代から、150年の今と考えると、藤原氏の世の中は本当に長かったのですね。


そして、6月6日に、Sさんから後日談の📩がきました。


先週日曜日に太宰府に住んでいる友人に会い、「梅の精」の話をしたところ、なんと、私が行った翌週にそこ(坂本八幡宮)で梅ちぎりがあったそうです。

私が駐車場と言っていたところは、友人は梅園と言っていました。
真ん中の空間で、大伴旅人の時代に、花見の宴を行なっていたのではないかと言われているようです。

「古都太宰府保存協会」の主催で、樹木の話を講義し、梅ちぎりする会を毎年行っていて、その講師が、なんと、友人のお父さんだったんです!!!
今年の梅は、そのお父さんも今までみたことないくらい、大きくてふっくらしていて、最高の梅だったそうです。

なんか、ムースをお届けした身として、とても嬉しいニュースでした。



梅の精は、Sさんはテストに合格と言っていました。
伝えることが出来て、めでたし、めでたしですね。


コメント (4)
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