Nonのひとりごと

大好きなお菓子のこと、グルメ、出会った寛ぎの空間、映画、仕事のことなど、私のたわいもないひとり言を綴ります

母に感謝

2008-08-28 18:12:49 | 日記
  私は、右足が内反足で生まれました。
  内反足…足首から先が内側に反っているものです。
  両親はさぞかしショックだったろうと思います。
  だってそのままだと足の甲で歩くしかないからです。
  当時は、こんな子を外に出すのは
  恥ずかしいという風潮がまだ残っている時代で、
  治療をしないまま成長することが多かったのだそうです。

  幸い、母のいとこが亀川の国立病院で
  看護師をしていたこともあって
  治療すればよくなるということを聞き、
  私が生後1ヵ月になってから
  母は国立病院通いを始めたのです。

  当時住んでいたのは津久見市でした。
  母は毎日、津久見から列車で大分まで出て
  それから乗り換えて別府の亀川まで通ったんだそうです。
  毎日、毎日…。休みの日も。雨の日も。
  さぞかし大変だったろうと思います。

  まだ若かったので、同じ年頃の女性たちが
  着飾って楽しそうに列車に乗っているのを
  見るのは辛かったようです。
  おんぶしている赤ちゃんの私を降ろそうとすると
  必ず受け取ってサポートしてくれるのは中年の紳士。
  若い女性は見向きもしなかったと母は話します。

  病院では先ず温泉に入れて
  体を柔らかくすることから治療は始まります。
  そして、曲がっている足をモミほぐす…
  痛くて痛くて火がつくように泣き叫ぶ私。
  (覚えてるわけがありませんが)
  あまりに痛くて
  プリプリプリッと
  中身が出てしまうことも多々あったとか。
  (うちのクリみたいだ…私…)
  毎日それの繰り返しだったそうです。

  そして自宅では常に右足にコルセットをしていました。
  子どもの頃は成長が早いため
  コルセットも何回か大きいのに換えたそうです。
  子どもの頃の写真を見ると
  コルセットをした私が写っています。

  コルセットをつけた足を板などに
  コツーンコツーンとわざとぶつけて
  その音をおもしろがっていたという私。
  コツーンコツーンといつも音がしていたと言います。

  亀川まで1年までは通わなかったそうですが
  毎日よく頑張ってくれたと思うのです。
  だからこそ、今の健康な私があるのですから。

  それでもこの歳になってもたまーに
  右足をズルッと引きずることがあります。
  それは、何かその時の名残なのかと思うのです。
  小学生の頃はやはり右足が極端に内股だったので
  よくからかわれたことを覚えています。
  当時はとても内気な子だったので ←誰も信じてくれんけど
  悲しい思いをしました。

  でも、健康な体になったのです。
  母に時々、憎まれ口をたたく私ですが
  本当は感謝しているのです。

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