Nonのひとりごと

大好きなお菓子のこと、グルメ、出会った寛ぎの空間、映画、仕事のことなど、私のたわいもないひとり言を綴ります

竹田玉子人形

2009-02-28 16:01:13 | 出会った人

  

  かわいいおひな様でしょ?!
  これ何で作ってるかわかりますか?
  実はこれ卵の殻で作ったおひな様なんです。

  

  竹田玉子人形(ちくでんたまごにんぎょう)と言います。
  今は、竹田のお土産品なんです。
  昔、卵の殻と端切れを使って
  お年寄りや女性が作って
  おもちゃや飾り物として使っていたそうなんです。

  でもいつ頃からかだんだんすたれていって
  それを復活させたのが干潟スミ子さんなんです。

  

  干潟ベーカリーや洋裁店を営んでいる
  バリバリの75歳。とっても元気な方。
  最近は学校の給食関係の仕事もしているとか。
  
  玉子人形の体験もできるそうです。

 

  現在、竹田ではおひな祭りを開催中。
  竹田創生館に玉子人形のおひな様も展示されています。
  一度、愛らしい玉子人形のおひな様にふれてみては?

   

中野さんはアイディアマン

2008-10-24 17:45:07 | 出会った人
  

  私がラパロマのオーナー中野伸哉さんに出会って
  かれこれ6~7年になるでしょうか…
  中野さんの本職はイラストレーターです。
  ドコモのポスターやJAFの雑誌、プレジデントなどで
  現在も活躍中。

  国見町に来たのは自分のアイディアを形にするための
  工房を設けるためでした。
  都会では家賃がとんでもなく高くて
  工房なんて簡単に持てません。
  でも田舎だと都会の半分以下の家賃ですみます。
  しかも国見町だと空港も近く原稿もすぐ遅れるし
  東京まで行くのも早いのです。

  

  マスヤは中野さんの仕事場兼ギャラリー。
  中野さんの趣味は多彩で古くて味のある掘り出し物が
  あると聞くとどこへでも出かけて行きます。
  海岸に流れ着く流木も中野さんにとっては宝物です。

  

  そうしてそれらは中野さんの手によって
  命を吹き込まれ素敵に変身するのです。
  ラパロマもこのギャラリーも中野さん自ら
  手がけたものです。おしゃれですよね。
  
  以前紹介したことのある東洋サッシとの
  コラボレーション。サッシの廃材を活かしたのも
  中野さんのアイディアです。
  中野さんは、私たちとはちょっと違う見方が
  できる人です。
  ちょっと視点を変えるだけでいろんなことが
  見えてくる…
  そんなことを教わったのですが、単純な私の脳細胞は
  凝り固まったまんまなんです。

南の島の宇薄さん

2008-09-05 19:50:29 | 出会った人
  6月4日付けで紹介した宇薄典子さん。
  障害を持っているけど、そのバイタリティと明るさで
  ハンディを感じさせないパワーあふれるおかあさん。
  この夏、20日間ほど南の島に行って来たそうです。

  南の島?
  うん。鹿児島の島々を回ったのよ。

  沖縄はまた別の日に取っておいて
  与論島や喜界島など、のんびりゆっくり旅したそう。

  いいなあ…

  お金がなくても島は回れるんよ。
  鹿児島までは5000円くらいで南下して
  島は船で回り、宿は観光案内所で
  お金がないので安い所を紹介してくださいと言うと
  2000円くらいで素泊りできる所を紹介してくれる…
  食べ物は何でも買って食べればいいやん。

  宇薄さんらしい…。

  島でどんな過ごし方をしたかというと
  海に入るのが楽しいんよと宇薄さん。
  海に入ったらね。あなたなんかと私同じになるんよ。
  体が浮くから、障害なんか関係ないんよ。
  みんなと同じに私はなれるんよ。
  だから嬉しくて嬉しくて何度も海に入るんよ。

  旦那さんの恒さんは耳が悪くて海には
  入らないんだそうです。
  それなのに、砂浜でじっと待ってくれるんだそうです。
  宇薄さんが、何度も何度も海に入っても
  また、おまえ入るんか
  なんて一言も言わないんですって。

  すごいなあ。宇薄さん。
  すごいなあ。恒さん。
  すごいなあ。この夫婦。

  来週、お土産話を聞くのが楽しみです。

臼田さん夫婦

2008-07-14 18:34:39 | 出会った人

 

  パン屋さんとカフェ。素朴だけど素敵な「キッチンうすだ」。
  私のお気に入りのパンがあるお店であり
  心から癒されるカフェが「yama cafe」なんです。

  そんなお店を切り盛りしているのが
  臼田成美(しげみ)さんと朗(あきら)さんのご夫婦。
  銀座のパン屋さんでパン職人をしていた朗さん。
  そしてその同じ店で焼き菓子を作っていたのが成美さんなんです。

  

  二人は10年前、緒方町に移り住みました。
  生まれてくる子どもに安心で安全な食をと考えた時に
  東京には住めないと思ったのだそうです。
  縁あって緒方町で空家探しをして、今の場所を見つけました。

  パン屋の店舗も自宅もカフェも全て手づくり。
  朗さんと友人の大工さんの手でコツコツと造り上げました。
  本当に何にもない所にポツンと建っています。
  それが童話の国の挿絵のようでとっても素敵なんです。

  朗さんの焼くパンは本当に美味しくてやさしい味わい。
  成美さんは、焼き菓子担当。こんな田舎でスコーンやケーキが
  食べられるなんておしゃれです。

  山奥に店を出すことに不安もあったそうですが
  でもお客さんは来てくれるんですと成美さん。

  だって本物ですもん。
  安心で安全な食材にこだわり
  なおかつ、美味しいんですから。
  銀座の味が緒方で味わえるんです。すごいですよね。

  時間を見つけてお家を建てたり、味噌を作ったり
  怪我にはヨモギを揉んですり込んだり…
  二人は田舎の生活を満喫しています。

  私が知り合ったのは5年前。
  当時、5歳だった長女のゆうちゃんはなんともう5年生。
  後で生まれたななこちゃんももう3歳くらいかな。
  久しぶりに会ってびっくりしました。
  子どもは成長するのが早い…
  そう、その分、私は確実に歳をとっているのです。

  そういえば、あの頃、朗さんはカフェを作りたいと言ってました。
  子どもが安心して遊べるような公園みたいな場所も
  作りたいと言ってました。
  カフェは本当に作ってしまいましたから
  子どもの遊べる空間も本当に作ってしまうと思います。

  いつ行っても元気で素敵な臼田さんご夫婦は
  これからもずーっと素敵で、美味しい食と癒しの空間を
  提供してくれると思うのです。
  これからも「キッチンうすだ」から目が離せません。

創作屏風作家

2008-06-08 11:37:01 | 出会った人
   

  国東市国見町にある「涛音寮(とういんりょう)」
  ここを管理しているのが、
  創作屏風作家の和田木乃実さんです。

  

  木乃実さんが作るのはタンスで眠ったままの
  古い着物や帯を使って作った創作屏風。
  木乃実さんの独創的なアイディアとセンスが
  着物や帯を見事によみがえらせます。
  屏風の枠はご主人の作。
  自分の仕事の合間に作ってくれるのだそうです。
  
  

  形もいろいろ。
  窓付きの屏風もあるくらい。ユニークです。
  しかも木乃実さんが作る屏風はリバーシブルなんです。
  だから、表と裏で趣きが変わります。

 

  木乃実さんはご主人のおじいちゃんが表具師だったことから
  手伝う内に仕事に興味を覚え、習いたいと訴えました。
  おじいちゃんからは「女には教えられん」と
  随分拒否されたそうです。
  しかし、次第にその熱意にほだされ
  教えてくれるようになったんだとか。

  創作屏風を始めるきっかけは
  亡くなったおかあさんの着物を屏風に張ったら
  いつもそばにいてもらえると思ったことからでした。
  着物を張ったら、亡くなった人も
  着物もよみがえった気がしました。
  それからです。この道を歩み始めたのは…

  いつの日か、私も木乃実さんに
  屏風を作ってもらいたいと思っています。

とにかくパワフル!

2008-06-04 11:09:20 | 出会った人

  美しいの「う」、素敵の「す」、ずっと素敵の「ず」、
  きれいの「き」、「うすずき」と申します。
  人前に立った時に名字が珍しいのでこんな挨拶をする人がいます。
  宇薄典子(うすずきのりこ)さん。

  

  宇薄さんは、実は左下肢麻痺という障害を持っています。
  9年前、夜中にトイレに起きた時に転んで頸椎を損傷しました。
  以来、車いすや杖が手放せません。
  最初は随分落ち込んだそうです。
  療養中、一つの小さな小銭入れに出会いました。
  裁縫の学校を出ていた宇薄さんは、これを縫いたいと思いました。
  いくつか縫って病院の駐車場に並べたら売れたんだそうです。
  それが、フリーマーケットを始めるきっかけでした。

  

  リハビリが小物を縫うことだったんです。
  縫ってはフリーマーケットに参加するようになりました。
  それはすごい勢いでした。
  だって毎週末になると、ご主人と二人で
  県南を始め、福岡、熊本までフリーマーケットに
  出かけるのですから。

  

  私が宇薄さんと出会ったのは4年前。
  障害を感じさせない明るさとパワー。
  でも、涙もろくてすぐ泣くんです。
  悲しくて泣くのではなく、嬉しいことがあると泣いてしまうんです。

  宇薄さんは、左手は動かすことが出来ても
  左手で物を掴んだり持ち上げたりするのが困難です。
  出かける時は痛み止めも必要なのです。
  それでもフリーマーケットが楽しくてしようがないので
  毎週末、出かけるのです。

 

  いつも一緒に行動するご主人はすばらしい人です。
  月曜から金曜まで建設現場で働いて
  土曜、日曜は、奥さんと一緒に熊本や福岡に出かけるのです。
  宇薄さんにとって、ご主人の恒さんはなくてはならない人です。

  恒さんも言ってました。
  「大事なパートナーやから…」

  先週、久しぶり(1年ぶり?)に宇薄さんに会いました。
  「だいぶ動きがよくなったんで」
  体が動かしやすくなったというのです。

  去年、恒さんが会社を定年退職をして
  あちこち旅をしたそうです。
  突然、「今、青森です」とか「今、北海道です」と
  ハガキが届いた時にはびっくりしましたけど。
  そして、いろんな人と出会ったそうです。
  「人ちなあ、やっぱいい人ばかりやわぁ…」
  涙ぐみながら語る宇薄さん。

  宇薄さんに会うと、パワーをもらいます。
  そして、そのやさしい心根にふれると
  私までやさしい気持ちになるのです…

  宇薄さんは毎月第1土曜と日曜、第3土曜と日曜は
  豊前の道の駅おこしかけで手づくり小物を売っています。
  近くまで行った時は、一度のぞいてみてください。
  そりゃあ、元気なおかあさんですから、
  否が応でもパワーが乗り移ってしまいますよ。
 
 

倫くん(宇佐市安心院町)

2008-05-12 18:22:03 | 出会った人
  私は仕事柄、いろんなジャンルの方と出会うきっかけがある。
  そしてその方々とずっとおつきあいさせていただいている。
  気にかけていただいたり、いろんなことを教えていただいたり、
  助けていただいたり…
  私にとって人は財産。宝物。

  そんな私が出会った方々を少しずつ紹介して行こうと思っている。
  第一号は誰かな…と私自身も考えていたところ…

  倫くん。彼は安心院町イモリ谷で納豆を作っている。
  場所は、納豆工房「大きな豆の木」。
  
  

  あっさりタイプの「ふっくら納豆」と
  納豆好きにはたまらない「じっくり納豆」の2タイプ。

 

  榑松倫(くれまつ りん)くんは東京都出身。
  イモリ谷にくる前は伊豆大島で2年間、塩作りをしていた。
  ちょっと変わり者…?かもしれない…。

  学生時代は、北海道で昆布漁をしたり、和歌山で梅干し作り、
  そして長野でレタス栽培。
  就職したのは家具屋さん。家具職人になりたかったとか。
  でもこの時代、高価な家具を買うのはお金持ちばかり。
  ふと考えた…。やはり前々から興味のあった食の道を歩もう…。

  なんせ飲食店でバイトしていた時、もてなしの心とはなんぞや…?
  と本格的に茶道を学んでいたというからこだわりぶりもすごい!

  塩作りの後、縁あってイモリ谷にやって来た。
  イモリ谷は
  来る人拒まず、誰でもすぐ受け入れてくれる土地柄。
  彼はすぐとけ込んだ。
  今では、みんなから倫くんと呼ばれ親しまれている。

  ちょっと驚くのは、彼の住まい。
  実は、トイレもお風呂もないのだから。
  トイレは数メートル離れた工房まで
  お風呂は別府で温泉巡り。
  夏は工房の外の水道水をシャワー代わりに。
  都会育ちの彼は実は野生児だった…!?

  倫くんはイモリ谷の生活を満喫している。
  オーナーから引き継いだ納豆を
  試行錯誤しながら今の商品にまで作り上げた。
  野菜作りもオーナーのお父さんを手伝いながら学んだ。
  納豆の大豆「ムラユタカ」も育てた。

  私が知り合った頃、気になることを言っていた。
  「ボク、結構飽きっぽくってだいたいいつも2年なんですよ」
  それがもう2年半前のこと。

  「これからどうするの?」と聞くと
  「ここにはやりたいことがまだいっぱい転がっているから」
  と答えた。

  実は、その一つが、あのストローベイルハウス作り。
  秋までにあの藁の家が出来上がるはず。
  飄々と生きている倫くんを見ていて
  私も学ぶことが多い。
  頑固だが、しっかり地に足つけて歩いている。

  これからイモリ谷でどんな風に行きていくのか
  しっかり見守っていきたいと思っている。