わが購読紙連載の「ふる里の風景」を読むと、いつも「古き良き子ども時代」を思い起こさせ、郷愁を誘う。これも年のせいだろう。今回は「もみ殻」である。
私は小さいころから、「もみ殻」のことを「すくも」と言ってきた。
実った稲を玄米にするとき、その皮であるもみ殻が残る。かつては収穫後の田んぼで、これを燃やす風景をよく見かけたものだ。秋の日の、ゆらゆら上る煙と独特の匂いに、僕らは冬が近いことを悟った。しかし近年、焼却は原則禁止。特例で認められた農家でも、近隣の苦情が多いらしく、今はもう見かけることもほどんどない。
僕らが子どものころ、もみ殻の再利用が盛んだった。卵の割れ防止のクッション材や、そば殻と並んで枕の中身としても活躍した。また、床下にもみ殻を入れる穴を掘り、サツマイモを保存している農家も多かった。しかし、生活様式の変化や卵パックなどの登場で、それも極端に減った。土地改良用の炭にしたり、再利用の研究も進められていると聞くが、追いつかないようだ。
もう何十年も前の話だが、私たち姉弟は学校が休みに入ると祖父母の家に行くのが恒例になっていて、叔父・叔母、いとこ達と家族だんらんの楽しい時間を過ごしたものである。
ある冬休みのこと。叔父が八百屋を開店することになった。開店前日は一家総出で、野菜や果物、乾物などの商品を並べたり、掃除を手伝ったり、準備に大忙しだった。
私たち子どもの役割は、リンゴを並べることだった。昔はリンゴ箱という長細い箱に「もみ殻」がいっぱい入れてあり、その中にリンゴが並べてあった。リンゴに傷がつかないように、との知恵であろう。
その頃は私たちも「もみ殻」なんて言わないで、「すくも」と言っていた。すくもに手を入れるとむず痒くなるので軍手をはめてリンゴを取り出した。そして、一つ一つ布で磨いて台の上に並べていった。ピカピカに光る真っ赤なリンゴ、あの頃、1個いくらだったかなあ。
ちょうど年末のあわただしい時期で、もう日が暮れかけた頃だった。一人の若い女性が通りがかり、「リンゴをください」と言った。一番最初のお客さんで、まだ値段もつけてなかったのに買ってくれた。多分、叔父もうれしかったのだろう、リンゴを1個オマケにあげたことを覚えている。
卵は割れないようにすくもを敷いた箱の中に並べて、1個でも2個でもバラ売りした。当時は包装紙などない時代で、新聞紙で作った袋に入れたり、くるんだりして渡した。
また、山のように積んだすくもの中にサツマイモを入れておくと、おいしい焼き芋ができた。アツアツの焼き芋は冬ならではのうれしいおやつ。今では高くてなかなか買えないけどネ。
「すくも」ひとつにも、こんなに色々な思い出があったとは…。ふだん忘れていた郷愁を思いださせ胸が熱くなった。
最近は田や畑、野原でも物を焼くことは禁止されているので、すくもや落ち葉焚きで焼き芋も作れません。美味しいのにネ。
田植えや稲狩りもすべて機械化され、昔の田園風景はまったく変わりました。
今の子どもたちが大人になって、どんな記憶を懐かしむのか、郷愁という言葉もなくなっているかもしれませんね。
私たちの年代は、こうした郷愁に胸を熱く、懐かしむことができて幸せだと思いますね。
子供のころのお見舞いはもみ殻に大切に包まれた玉子
畑や田んぼの片隅で細く上る煙に誘われて賑やかに集まる腕白坊主たち。
今では綺麗に整備された里山やコンバイン装備の田舎では見かけられない風景に
お米の有難さを使い切る工夫、もみ殻の記事にホロり。
年の所為ばかりでは有りません。
日本の原風景からどんどん遠ざかってゆく日常の暮らしぶり、土から頂くエネルギーを浪費して人間は一体どこまで傲慢になるのかという義憤で。