ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

細胞と寝る女

2017-01-18 10:40:17 | 

非校閲ガール

小保方晴子さんの「あの日」が、ようやく図書館から回って来た。

研究者に向けて書かれたような専門用語の羅列の中にも、
彼女がやろうとしていた事、到達していたのは、
途中段階である細胞の発現であった事などが、
素人なりに理解できた。

問題は、「STAP細胞があるか無いか」ではなく、
責任の所在が、不明確になってしまった論文に、
記述と違う写真が、掲載されてしまったという、
ずさんな最終校閲にあるという事だ。

しかも、「ネイチャー」という、
トップジャーナルに出すというのに。

小保方さんが、熱心な研究者で、悪意が無かったにしても、
結局は、お偉いW先生に、意見する事ができずにいた為、
自分が担う責任以上のものを、背負わされたのだ。

もし彼女が、W先生を弾劾するつもりで、この本を出す決意をしたのなら、
「あんなに優しかったW先生が、変わってしまった。」とか、
「迷惑をかけまいとして、口をつぐんでいた。」などと、
中途半端な綺麗事は、今更、書くべきではない。

そんな表現はかえって、
「まだ、いい子ぶってるのか。」と、思われかねない。

小保方さんは、マスコミのあおりで、
世の中の全ての人を、敵に回したかのような扱いを受けただろうが、
実際、誹謗中傷しているのは、
それを、ストレスのハケ口としている一部の関係ない一般人と、
アスリートのごとく、負けず嫌いな研究者達なのであって、
周りはそれほど、彼女を責めてはいないと思う。

人命に関わる実害が出ているわけでもなく、
実用化されないと意味の無い事に、わざわざウソをつく必要もあるまい。

それに、一般人は、
批判できるほど、専門的な事を理解していない。(笑)

お笑い番組で、度々、彼女をマネる事があったのも、
本人にとっては不愉快だろうが、
悪意を感じていないからこそ、ネタにされたのだと思う。
(それより、初めて高畑充希さんをCMで見た時、小保方さんに似てると思った。)

彼女は、自身の持つ可憐な雰囲気から、
もしかすると実力以上に、偉い先生から気に入られる傾向があり、
それが本来、悪い事ではない才能の1つであるにもかかわらず、
それゆえに、巻き込まれたように思う。

博士号にしても、似たような不備があった他の取得者が、
訂正や補習で済まされるなら、
大学は、彼女から、博士号を剥奪すべきではなかった。

彼女を守っていた笹井氏を、追い詰めたのは、
小保方さんとW先生が用意した、「論文」という培養皿に、
理研と利権が混ざり合い、緑色に光り始めた、
「引きずり落とすことしか考えていない人間」という、STAP現象である。

社会への安易な迎合が、
これから、社会に貢献するはずだった人材を、
世の中から、この世から、抹殺したのだ。

細胞の再生は願っても、人の再生は許さない。
何て、恐ろしい現象であろうか。

小保方さんに、「お前がかわりに死ぬべきだった。」などと、
メールした者がいたらしいが、
そういうお前こそ、死んでしまえ!!

世間の風潮に惑わされ、図に乗るバカが、
エスカレーターの片側を空けるのがマナーだと、
本末転倒な事を信じて、偉そうに歩き、
スーパーの入口を、自転車でふさぎ、
路上にポイ捨てをし、公共の物を、ぞんざいに扱うのと同様に、
誰がやったか分からないようにして、平気で人を傷つける。

この小さくて大きな悪の発現に気づかない限り、
人間に、未来は無い。

私は、この本を読む前に、「婦人公論」で、
瀬戸内寂聴氏と小保方さんの対談を読んでいた。

瀬戸内氏は彼女に、「作家になれる。」と言った。

確かに、その文章には、ナイーブな表現があり、
罪は比較にならないが、市橋達也の著書を読んだ時と同様に、
客観的で冷静な描写の中にある、情景や心情には、
真面目に勉強してきた人の、純真さ、そして未熟さが感じられた。

又、彼女が、ラクロスをやっていた事は、
この試練を乗り越えるのに、役立ったと思う。

このブログのタイトルは、
実は、小保方さんの事ではない。

体調不良で、精神状態が悪い時、布団の中で不安にかられ、
人嫌いで、誰にも言えない気持ちを、
どうしたらいいかと考えた、私の事なのだ。
それは―、

自分の細胞に話しかける。

「どうか、助けて欲しい。まだ、死ぬわけにはいかない。
もう少し、頑張ってくれないか。」

かつて、宮澤賢治は、
「人体とは、コスモスである。」と言った。

これほど、オートマティックに働き、外敵から守り、
傷ついた自分を、修復してくれるものはない。

細胞は、唯一の味方である。

若い時は、その恩恵に気づかずにいた。
年を取ると、細胞は、シグナルを送って来る。
あちこち痛いし、あらゆるパーツに不具合が生じる。

「もう、オートマティックでは間に合わない。
マニュアル(本人の意思)で改善し、必要な物を補充せよ。」

その発言を、いつまでも無視していると、
細胞は、もう協力してくれない。

細胞が、何も語らなくなった時、人は死ぬのだ。

 


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