仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

夜の風待食堂

2007年01月12日 | じもてぃーライフ
画像は、本日(1月12日)午後9時42分に撮影した【風待食堂】の看板。
その1分前にはJR増毛駅から留萌行きの最終列車が出発したばかりだった。
その列車の乗客が、この【風待食堂】でコップ酒などを飲みながら発車時刻までの時間を過ごすだなんて光景があれば、とても絵になるところなのだが、実はこの【風待食堂】は現実には存在しない。
ご存知の人も多いのだろうが、【風待食堂】とは、高倉健主演の映画『駅/STATION』(1981年/降旗康男監督/東宝)の中で登場した架空の食堂なのだ。
映画の中では、その食堂で吉松五郎(根津甚八)の妹・すず子(烏丸せつ子)が働き、木下雪夫(宇崎竜童)がちょっかいをかけるために足しげく通っていた。
カツ丼とラーメンがぴったりの駅前食堂だった。
(^_^)

旭川~ソウル間に新路線

2005年12月27日 | 社会・政治・経済
『読売新聞』(2005/12/24)に、「日韓、旭川-ソウルなど4路線の新設で合意」との記事があり、「国土交通省は12/24、韓国・ソウルで21~23日に行われた日韓航空協議で、旭川~ソウルなど4路線の新設で合意したと発表した。新路線は、旭川~ソウルのほか、札幌~釜山、函館~ソウル、広島~釜山で、韓国側の要望に応えた」との内容だった。
韓国側の要望ということなので、やはり韓流ブームに乗って少しでも多くの観光客に来てもらおうとの狙いがあるのだろうか。
ここ何年か、台湾からは多くの観光客が北海道にやってきているというが、今回の航空路線の新設とともに、韓国で『北の国から』などの北海道を舞台にしたテレビドラマや古い映画を放送すれば、韓国から北海道への観光客も増えて、両国ともに利益になるかもしれない。
増毛を舞台にした映画で最初に思い浮かぶのは、映画『駅』(1981年/降旗康男監督/高倉健主演)なのだが、テレビのロードショーなどでこの映画を放送したら韓国内ではウケルだろうか?
やはり、これは健さんありきの映画だから、ちょっと無理か。
それよりも『歩く、人』(2001年/小林政広監督/緒方拳主演)のほうがウケルかな。

増毛の魚

2005年05月23日 | 新増毛町史
すでに1か月も前の話だが、羽幌町で留萌管内体育協会連合会(そんな名称だったか?)の会議が二つあった。
一つ目の会議は出席したが二つ目の会議は関係がないので、その間、羽幌町公民館の図書館で本を読んでいた。
『暑寒別・天売・焼尻の自然』(1996年/社団法人北海道自然保護協会)という本を見つけ、『第七編/地域誌』の参考になるかと思いつつ読んでいたら、【暑寒別川の魚たち(大久保進一)】という章に暑寒別川に生息する数多くの魚についての記載があった。
仁左衛門は増毛町内を流れる河川の名称・距離・起点終点・水利権についてはほぼ書いていたのだが、生物については一切書かなかったので、これを参考として少し触れてもいいかなとも考えたのだが、【地勢地理地質】の範囲には当てはまりそうにもないことから、そこに踏み込むのはやめることにした。
この大久保氏は、この春増毛に再度赴任されてきたようで、サッポロビール会の会員名簿に名前があって驚いた。
先月は欠席されていたようだが、そのうち顔をあわせることもあるだろうから、その時には少し話を伺ってみたいとも思う。
『暑寒別川の魚たち』は、いわばノンフィクション物だが、増毛の魚に関するフィクション物の話も書かれていて、その名もズバリ『増毛の魚』という小説。
これは、【第12回(平成13年)日本海文学大賞・小説部門大賞作】(中日新聞北陸本社主催)だそうで、作者は藤田武司氏である。
この藤田氏は増毛に縁があるらしく、自らの体験談を織り交ぜて書かれているのだが、高倉健主演映画『駅』の撮影20年後の話ながら、増毛駅には駅長以下何人もの駅員がいるという設定だったり、日本通運の建物や多田商店、増毛館も登場したりして、じもてぃーとしてはナカナカ面白く読めた。
仁左衛門も何か書いて応募してみようか。
いや、まだまだ修行が足りないな。

二つの山道(その四)

2005年05月19日 | 新増毛町史
【二つの山道】(その三)のつづき
↓ここから
やっと天狗岳を越えました。
私の力の限界のようです。
皆さんはもう大丈夫と申されますけれど、目標を越えてもなんと続くこと続くこと、だらだら坂を上ったり下りたり雪は一米以上も谷間を埋めています。
皆さんはかんじきで道をつけては私を労わってくれますが、なにせ七十二キロは雪の中に腰まで埋めてしまいます。
そして道は遠いのです。
転んでは起き起きては転び、頭からゆげが出るばかりでさっぱり進みません。
「山を越えればすぐだ。あとは楽だ」というのはどうやら私を励ます手段に過ぎず、もう気力で歩くという外はありません。
歩古丹の櫻○さんのお宅で、松○校長さんに会った時は文字通り地獄に仏でした。
十二時三十分でした。
(後略)
昭和四十四年十二月十九日『雄冬新聞』より
これは、この年に増毛町立雄冬小中学校が給食優良校として文部大臣に表彰されることになり、広島市での全国給食研究大会出席のため雄冬を出発した加○熙校長の体験記である。
増毛市街地まではこの先まだ十五キロほども歩かなければならないのだが、大別苅~歩古丹間の国道工事は着工から十一年が経過し、工事中ではあったものの通行が可能だったことから、教育委員会のジープに迎えに来てもらっている。
唯一の公共交通機関であった雄冬丸の運航は天候次第であり、予定に間に合わせるように出かける場合には、欠航を見越して早目に出かけるか、とにかく山道を歩くしか方法がなかったのだろう。
↑ここまで
加○校長の記事は長文ではあったが、あまり省略するとなかなか雰囲気が伝わらないので、全体の7割くらいは紹介したのではないかと思う(結局は使わなかったわけだが・・・)。
映画『駅』(1981年/降旗康男監督/東宝)の中では、時化で新おふゆ丸が欠航し、正月休みに帰って来た主人公(高倉健)が何日かホテルで足止めになるというエピソードがあった。
映画を見た人は「船でなきゃ行けないなんて随分と田舎だなぁ」くらいにしか思わないだろうが、作品自体はフィクションであるものの、その設定は実際にありえた状況を基にしているのである。
また、これは冬の話なのでさほど心配はしていなかったようだが、夏であれば山道で熊に遭遇する危険性もあったわけで、その辺については『石狩川流域開発秘史』などから昭和20年代の様子も多少紹介した。
以上が『新増毛町史』のために書いたものの提出しなかった原稿の一部で、同様の原稿はこの他にも相当数あるのだが、それはまた別の機会に。