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仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

9年ぶりの視察研修

2007年11月21日 | おでかけ
昨日までの2日間、増毛町社会福祉協議会の役職員視察研修に参加してきた。
この研修への参加は、確か平成10(1998)年以来9年ぶりのことだ。
視察先は、旭川市にある【緑ヶ丘あさひ園】という特別養護老人ホームで、「理事長と私が平均年齢をグッと引き上げている」などど事務長さんが施設の説明の中で話されていたが、本当に若い職員さん達が大勢働いていることに驚いた。
人件費をはじめ運営経費の圧縮に頭を悩ませている企業が多い中、それはこの法人も例外ではないのだろうが、若い人達を積極的に採用し、人材を育てながら運営しているということなのだろう。
他のサービス提供者との差別化を図っていくためには施設の内容も大切だろうが、より良い人材を確保することはやはり重要だ。
また、ここはディサービスも事業の一つとしているとのことだった。
人対人の仕事だし、忙しいし大変だろうが、若い職員さん達には頑張ってもらいたいものである。
さて、視察研修の宿泊先は【旭岳温泉グランドホテル大雪】という宿だったが、そこは標高1050mだそうで、すでに辺りは白銀の世界。
ホテルの中では合宿に来ていた学生さん達がスキー板の手入れをする姿が遅くまで見受けられたし、翌朝も早くから板を担いでスキー場へと向かって行った。
それを見ていただけで、すっかり真冬を体験してきた気持ちになったのだった。
(^_^)

早くも真冬を体験!?

2007年11月18日 | おでかけ
本日(11/18)は、天塩町社会福祉会館で行われた【平成19年度留萌管内ボランティア活動研究協議会】に参加した。
増毛町からの参加者は、ボランティアセンター運営委員など9人。
午前7時過ぎに出発した時も、雪混じりの北風がとても冷たかった。
天塩町までの所要時間は約2時間で、途中の初山別村辺りからは周辺の景色どころか車道にも雪が積もりつつあり、どんどん北に向かっていることを実感した。
マッタクとんでもない日に予定がぶつかってしまったものだが、室○実行委員長は開会式の挨拶でユーモラスな表現でその点に触れていた。
さすがにとても上手な挨拶だ。
余裕がある。
さて、同研究協議会は午後2時半頃に終了し、すぐに同じ道を辿って帰ってきたわけだが、途中の遠別町辺りでは地吹雪。
11月中旬だというのにすでに真冬を体験したような日だった。

再組織化は可能か!?

2007年11月09日 | おでかけ
今日は午後2時から羽幌町で行われた【北海道季節労働組合/支部代表者(拡大)会議】に出席した。
増毛支部は昨年すでに解散したのだが、現在は留萌管内の殆どの市町村で組織再編成(再組織化)の協議中であるそうで、今日は今後の進め方などについて協議したのだ。
11月もそろそろ中旬になろうかという現在、最優先事項は【冬期技能講習】制度の廃止によって政府から見捨てられてしまった旧制度利用者への支援だ。
【短期特例一時金(失業給付)】は先月(平成19年10月)より、これまでの50日分から40日分に削減されたし、政府は今後季節労働を否定し、一時金そのものを廃止する方向にあるのだという。
通年雇用の確保が難しいこの北海道で、厳冬期の短期雇用の有効な施策すらもないままに失業給付金を削減してしまって、そのシステムでどのような成果を期待しているのだろうか。
40日分の失業給付でこれから春まで生きていけるのか!?
北海道から離れて温暖な土地に移住しろとでもいうのか!?
政府は北海道で生活する労働者を一体どうしたいのか!?
旧組合員は目先の生活確保に精一杯だし、再組織化は地平線の彼方に虹のある場所を探しに行くような話なのかもしれないが、とにかく今のままでは何も変わらない。
方策を探っていこう。

羽幌町で会議

2007年08月11日 | おでかけ
今日は、午後1時30分から羽幌町中央公民館で行われた【平成19年度留萌管内ボランティア連絡協議会/役員会】に出席した。
目的地に到着してすぐに雨が降り始め、会議中はもちろん帰路についてからも小平町辺りまで雨は降り続いたのだが、帰宅後に聞いてみると増毛町ではマッタク降らなかったとのこと。
まぁ100㎞くらいの移動距離があると、そんなこともあるか。
午後3時30分には留萌地方北部に【大雨警報】と【洪水警報】が出されたようだが、それから2時間後の現在も増毛町では雨は降っていない。
しかし、気温は(午後5時現在)27.4度あって、少し湿度が高いようだ。
お盆の時期とあって往路も復路も意外と交通量が多く、クルマの運転はそこそこ疲れたから、今夜のビールは美味いかな!?
(^_^)

第35回定期総会

2007年02月18日 | おでかけ
今日(2/18)の正午から、留萌市共同福祉センターにおいて【北海道季節労働組合留萌地区本部第35回定期総会】が開催された。
仁左衛門が組合長を務めていた同組合増毛支部は2006年に解散したが、今年度中は留萌地区本部の副会長職の任期が残っていたことから、最後にこの総会に出席をしたのだった。
この地区本部の会長は羽幌町から、副会長が留萌市と増毛町から選出されていたが、留萌市と増毛町の季節労働組合が解散したことから、この総会後は4人の役員が入れ替わり、羽幌町、苫前町、小平町の3町の代表で構成される。
2003(平成15)年度に567人存在した留萌地区支部の組合員が、3年後の2006(平成18)年度には61人になってしまい、留萌市と増毛町の季節労働組合が解散に追い込まれるだなんて政権与党の圧力とは何と恐ろしいことか。
北海道内に15~16万人の季節労働者が存在していたにも関わらず、まず65歳以上の労働者が無視され、今年度で【冬期雇用援護制度】そのものが廃止。
冬期間に就労の場が無い季節労働者はバッサリと切り捨てられてしまった。
このわずか3年の間に、増毛町を含む留萌管内では約500人が経済的にも政治的にも見捨てられてしまったというわけだ。
しかし、我々はこのまま終わるわけにはいかない。
1人1人の声は小さいが、増毛町と留萌市で再度の組織化を図り、労働者の声を発信し続けなければならない。
政権与党による組合潰しの圧力に負けるわけにはいかないのだ。

座り込み

2006年12月23日 | おでかけ
12/19(火)の午後、【雇用保険の短期特例一時金の現行50日分維持を国に強く求めること】を要請するために、北海道知事に要請書を提出した。
場所は北海道庁の知事会議室。
出席者は連合北海道から4人、北海道季節労働組合から会長以下38人、全建総連から2人、そして北海道側が副知事以下5人で、どうやら高橋知事や担当副知事は不在とのことだったらしい。
「らしい」というのは、仁左衛門はこの38人には含まれず、他のメンバーと共に道庁内で座り込みをしていたのだ。
時間は約30分間だったが、それでも足はしびれるし、同じ姿勢で居つづけたものだから少しだけ腰が痛くもなった。
要請書には回答がされ、これは【平成18年度第4回北海道議会定例会】での民主党・道民連合、岡田篤議員(釧路支庁)の一般質問に対する知事答弁が使われていたのだが、この中で「現状50日の給付を30日に見直すとの方向性が示されていたが、厳しい情勢の中40日で決着できたことは、季節労働者を取り巻く厳しい状況について一定の理解が得られたものと受け止めた」とされていた。
果たしてそうだろうか。
仁左衛門は、「国の政策が北海道の季節労働者が置かれている厳しい状況を理解した上で行われているとは到底思えない」と考えている。
だから、こうして行動もしている。
【特例一時金】は北海道の季節労働者にとってとても重要な役割を果たしている、いわばセーフティネットなのだ。
このままでは北海道の季節労働者が生活していけないということがどうして解らないのだろう。
春まで雪を食べて生きろとでもいうのか。

合同研修会

2006年12月07日 | おでかけ
先週の木曜日(11/30)の午後、留萌市議会議員の皆さんとの研修会に参加した。
主催は民主議員ネット留萌支部なので、仁左衛門は主催者側ということになるか。
(^_^;)
懇親会もあることから、行きはバスで移動した。
17~18㎞程度の距離というのは自家用車で往復するとあっという間にしか思えないのだが、いざ公共交通機関を使うとなると待ち時間も含めての移動時間になるので、何だか随分と遠出したような気になるから人間の感覚というのは不思議なものだ。
風が強くてバス停がとても寒々しかったからか、誰と話をするわけでもなかったからか、何だか逃避行でもしているような錯覚さえしそうだった。
(^◇^)
まぁ、それはともかく。
研修会のテーマは【市町村合併】。
増毛町・小平町・留萌市が組織した【留萌南部三市町(法定)合併協議会】がまとまらなかったのはまだ記憶に新しく(?)、【合併特例法】が失効してからの増毛町内ではこの話題も随分と下火になってはいるが、実は続いて出来た新法の施行からは既に1年以上も経っていて、その期限はあと3年半ほどしかない。
法律が変わっても【平成の大合併】はあくまで【自主合併】が基本なので、国や道から強制されることはないものの、それぞれの自治体の財政状況が突如として好転する要因など何もなく、このまま何の協議もせず済ませることは出来ないだろう。
【絶対に合併しない】という態度を決定するのであれば、そのための協議を増毛町内で行わなければならないし、そう決めたのならそれはそれで「相当の覚悟を決めたのだろう」と他の市町から尊重されるだろう。
また、再度合併協議会を組織して3市町で合併や広域連携を検討するのなら、それもまた良い。
いずれにしても、「時間はあまり残ってないんだよ。どうするの?」と急かせる人たちが近いうちに現れるのではないかと、この研修会に参加して認識したのだった。
さて、懇親会後は寿司折をぶら下げ、JRを使って増毛へ移動。
スナック舞巣で1人、二次会をしたのだった。
(^_^)

ありがたすぎて風邪

2006年10月09日 | おでかけ
昨日(10/9)は、ご近所の娘さんの結婚披露宴があったので出席した。
会場は札幌市の後楽園ホテル。
昨日は発達した低気圧の影響で、北海道中に【暴風警報】やら【波浪警報】が出ていた最悪の天候だったが、行きも帰りも用意してくれた送迎バスを利用することができたのでマッタク強風や雨を気にすることも無く、ありがたかった。
ありがたすぎて帰りのバスで眠ってしまい、風邪を引いてしまったのだったが・・・。
画像は、披露宴で出された料理。
フランス料理っぽいメニューが出てきたのだが、やはり刺身に始まり握り寿しに終わるという何とも日本風なアレンジが面白い。
ナイフとフォークも当然用意されていたが、仁左衛門が使ったのは、これも当然"箸"。
画像の下部にしっかりと写っている。
(^_^)

実践者発表

2006年09月06日 | おでかけ
留萌管内ボランティア活動研究会in遠別】のつづき。
遠別町に向かうバスの中で、実践者発表の話の進め方を考えた。
テーマは【社会福祉協議会とボランティア】なので、社会福祉協議会とボランティアセンターの現状を説明することが基本なのだが、この研究会の参加者は(ボランティア実践者を含む)関係者が多いので、多少説明不足があったとしても、極端に省略した表現さえしなければ理解してもらえるのではないかと考えた。
また、仁左衛門が元職員であるということがこの件を依頼された大きな理由であるのだから、市町村の社会福祉協議会職員のことを説明しながら話を進めていくことが大事だろうとも。
朝、家を出る時は、長袖の服を着たほうが良いかとも思ったくらいの曇り空だったが、この日はとても天気が良くなり、バスの窓から真っ青な海を眺めつつ考えたのは次のようなことだった。
(1)増毛町社会福祉協議会の現在の事務局体制と仁左衛門在職時の比較。
(2)増毛町もそうだが、どこの市町村でも社会福祉協議会の職員待遇は良くないはずだから、それなりの立場にある人は、機会があれば職員の(給与、福利厚生など)待遇改善についてそれなりの機関に働きかけてほしい。
(3)社会福祉協議会とボランティアセンターの予算規模の比較(当時と現在)。
(4)増毛町ボランティアセンターの成り立ちと事業内容。
(5)ボランティアセンター運営委員とボランティア実践者がほぼイコールの顔ぶれである。
(6)以前のボランティア活動は、社会福祉協議会側が用意したプログラムに協力できるかどうかの選択がほとんどだったが、近年は自主的な活動の企画がボランティア側から出されることが増え、その点がとても評価できる。
(7)社会福祉協議会の理事・評議員とボランティアセンター運営委員の兼務が多く見られ、特定の人たちに負担が偏ってきている。この状態が続くようだと、ボランティア活動が長続きしないので改善が必要だ。
と、このようなことを考えたのだが、これで持ち時間20分が持つかどうかが不安だった。
「なるべくゆっくり話そう・・・」と思っていたのだが、午前中の実践者報告を見ると、必ずしも持ち時間を満たしていないようだったので、それで一気に安心し、そして、いざ話し始めると時間を過ぎても話し続けたほどだった。
それでも、漠然とだが以前から考えていた有償ボランティアと無償ボランティアについてや、民間社会福祉事業と高齢者事業団についてなど、話し忘れたこともいくつかあり、「原稿は書かないにしても、メモくらいは用意しなければならなかったなぁ」と少し反省したのだった。
また、そのあと、『地域でのボランティアの動き』と題して発表した北海道遠別農業高校1年生・○山君の話は良かった。
もっとたくさんボランティア活動をしたいが、地元に学校がないので通学にかかる時間や交通費が負担になり、それも叶わないとのこと。
話は違うが、こういった子供たちの話を、過疎地の高等学校のほぼすべてを廃止しようとしている北海道教育局の人たちに聞かせたいものだと思った。

留萌管内ボランティア活動研究会in遠別

2006年09月05日 | おでかけ
一昨日の9/3(日)、遠別町生涯学習センター(マナピィ21)で開催された【留萌管内ボランティア活動研究会in遠別】に参加した。
しかも、椅子に座って講演を聴いただけではなく、ステージ上で実践者発表までもしてきたのだった。
この活動研究会のテーマは、【高齢者福祉の理想と現実~わたしたちがこの"まち"に住みつづけるために】で、講演は、北星学園大学社会福祉学部社会福祉学科助教授・島津淳氏の『改正介護保険で残された課題』。
氏は、旧厚生省で介護保険を担当していた係官だっということで、制度の詳細やその立案過程についてとても詳しく、また、広大かつ人口密度が低い北海道の実情にも理解を示していると思われる話をされていた。
この講演を聞いた参加者(約140人)は、これから(特別養護老人ホーム等の)福祉施設がどういった型に移行しようとしているのかがよくイメージできたのではないかと思う。
仁左衛門が担当した実践者発表は午後からで、テーマは【社会福祉協議会とボランティア】。
仁左衛門は現在、増毛町ボランティアセンターの運営委員長であり、そして、かつては増毛町社会福祉協議会の職員だったこともあったので適任だろうと、7月下旬に事務局の内○氏から依頼されていた。
引き受けはしたものの、1ヶ月以上もの間、発表内容について考えたり、机に向かって原稿を書こうという気にはなかなかなれなかった。
しかし、事前に資料を送付しなければならないということに気がついて、増毛町ボランティアセンターの活動内容については、5日前にメールで事務局に送信しておいたのだが、それは【社会福祉協議会とボランティア】というテーマのごく一部でしかない。
前日になってもテニスをしたりお酒を飲んだりと、逃避行動は続き、結局話の内容は当日の朝、増毛町から遠別町に向かうバスの中で考えることになってしまったのだった。
ボールペン1本を持ってバスに乗ると、「仁左衛門さん、原稿は?」と早速チェックされてしまった・・・。
(^_^;)
つづく

車椅子介助のつもりだったが

2006年09月01日 | おでかけ
今日は"なかよしくらぶ"の旭川買い物ツアーが行われ、仁左衛門はボランティアで参加した。
参加者は会員12人、ボランティア3人、スタッフ6人の計21人。
2台の自動車に分乗しての大移動である。
7月7日(金)にもこの会の【動物ふれあいツアーin旭山動物園】にボランティアとして参加しているので大体の雰囲気は解っていたし、毎年この時期には【日帰り温泉旅行】の手伝いをしていたので、特に不安はなかった。
今回は車椅子の人があまりいなくて、ほとんどの人が杖を使って自力で移動していたのだが、一度だけエレベーターではなくエスカレーターを使う機会があり、ちょっとドキドキ・・・。
皆さん、麻痺が残る体で長時間歩くのは大変なんだろうが、目的のひとつはリハビリなので頑張っているのだろう。
ということで、今回は車椅子を押すことは無かったのだが、一緒に歩いていた仁左衛門も結構疲れたのだった・・・。
今晩はぐっすりと眠れそうである。
(^_^;)

動物ふれあいツアーin旭山動物園

2006年07月16日 | おでかけ
リハビリを続けている人たちが組織している"なかよしくらぶ"という団体が、2006(平成18)年7月7日(金)に【動物ふれあいツアーin旭山動物園】というイベントを実施し、その際、増毛町ボランティアセンターにボランティア派遣の依頼があったことから、blog等を通じて告知し、仁左衛門を含む2名が車椅子介助のお手伝いとして一緒に行って来た。
仁左衛門は「円山動物園には行ったことがあるけど旭山動物園って初めてだなぁ」などと思っていたのだが、考えてみると実はそんなことは無いような気もしてくる。
長い間生きていると、何か強烈な思い出でもない限りそういう記憶が薄れてくるらしい。
(^_^;)
旭山動物園に行ってみて最初に驚いたのは、駐車場に止まっている大型バスの数だった。
そして、中に入ると、人!人!人!
道外から多くのツアー客たちが来ていると聞いてはいたもの、あれほどとは思っていなかったので本当に驚いた。
動物園内は坂道ばかりが目立ったが、立地条件を考えると仕方がないことなのだろう。
エレベーターがきちんと設置されていたので、建物の中はどうということは無いのだが、やはり屋外を車椅子で移動するためにはそれなりの努力が必要だった。
当日の帰宅後はさほど疲れたとも感じなかったのだが、翌日はふくらはぎがパンパン。
なかなか良い運動になっていたようだった。
(^_^)

熊嵐のポスター

2006年06月18日 | おでかけ
昨日(2006年6月17日/土曜日)、苫前町役場で【留萌管内ボランティア連絡協議会】の理事会と総会が開かれた。
昨年度は2回ほど代理で出席したが、今年度からは交代して正式メンバーになったことから午前10時30分開催の理事会から出席したのだった。
増毛町から苫前町までの移動時間はクルマで約1時間だが、昨日の天気は快晴で、絶好のドライブ日和。
秋から冬にかけては、北に向かうほど光の量が少なくなっていくので寂しい景色の連続になってしまうのだが、今の季節は空も海も山も輝いているような鮮やかさで、視界に入るものすべてが華やかに見える。
とはいっても、前夜(というか連日だが)サッカーワールドカップの"オランダvsコートジボワール"を午前3時まで見ていたので朝はとても眠く、ちょっとボケボケ・・・。
会議は短い時間で終わるだろうと高をくくっていたのだが、どうしても演説を始める人が出てきてしまうのは、どんな集まりでも同じのようだ。
(昼休みを挟んでだが)会議が終了したのは午後3時過ぎ、家に着いたのは午後4時過ぎ。
なんだか疲れた・・・。
画像は、苫前町役場の会議室に貼ってあった【苫前町郷土資料館】のポスターで、ちょっとわかりにくいかもしれないが、熊が人を襲おうとしている図柄。
苫前町は、小説『熊嵐』(吉村昭)の舞台になった場所なのだ。
最近の"ライトノベル"とは違ってイラストなんか無い本だったが、この小説を読んた時は(20年以上も前・・・)、熊に襲われて亡くなった人の通夜の場面の想像が頭に浮かんできていっそう無気味に思ったものである。

帰敬式

2006年06月02日 | おでかけ
先週末、札幌市で『ご門主様ご臨席・第5回第1連区【東日本】仏教壮年研修大会(第9回全道仏教壮年研修大会)』という研修会が開催されたので、参加してきた。
開催要項に、【ご門主様ご臨席】と書いてあるところが、ありがたさ増量しましたという感じである。
当日は、その研修会に先立って【帰敬式】なるものが行われたのだが、仁左衛門はこちらも希望した。
案内文によると、「帰敬式とは、阿弥陀さまと親鸞聖人の御前で、浄土真宗のみ教えの中に生きていくことを誓う儀式です。」とのことで、三帰依文を唱え、おかみそりを受け、法名を頂いてきたというわけであるが、本来この儀式は本山でしか行わないとのことで、今回のようないわゆる出張サービスはそうそう無いとのことだ。
そして、仁左衛門が頂いてきた法名は、【至成】(しじょう)という。
説明書きによれば、【至成】とは、
『仏説無量寿経』の重誓偈の一説であるといい、
原典版では、【我至成仏道名声超十方】、
註釈版では、【われ仏道を成るに至りて、名声十方に越えん】とのことである。
よく解らん。
解説には、『法蔵菩薩(阿弥陀如来)は師である世自在王仏の前で四十八の誓願を表白された後、偈頌(うた)をもって、重ねて三つの誓いを建てられました。その第三に「わたしが仏に成った時、わが名が十方に超え、至るところに響きわたらなかったならば、わたしは悟りを開かない」と誓われたのです。』とあるのだが、解ったようなよく解らないような、なんとも奥が深そうな話である。
先ほど聞いたのだが、西暁寺の住職が註釈版を持っているそうで、この部分をコピーしてくれるという。
それを読むとよく解るのか、さらに混迷するのか、さて・・・。

総決起集会に参加

2006年01月29日 | おでかけ
1/27(金)、【季節労働者の雇用と生活を守る全道総決起集会】(札幌市民会館/主催:連合北海道、連合北海道季節建設労働対策委員会)に参加した。
全道から3,000人近い組合員が参加して行われたこの集会の後は、市民会館から道庁までデモ行進をして、さらに道庁で座り込みをする予定だったが、吉澤慶信副知事が来賓として出席したことから、座り込みは中止になったのだった。
しかし、座り込みは中止になったとはいえ、デモ行進は予定通りに行われた。
約30分間市内を行進したわけだが、気温はやはり氷点下。
寒かった・・・。
また、同日の夜には【北海道季節労働組合結成30周年記念パーティー】が行われ、永年に渡る功績が認められて、増毛支部の●藤氏が表彰された。
翌日に聞いたが、その夜に飲んだお酒は本当に美味しかったという。
増毛では、2/1(水)から【冬期技能講習会】(主催:増毛勤労者企業組合)がいよいよ始まるが、つかの間の休息といったところか。