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仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

4月最後の生きがいデイ

2014年04月30日 | じもてぃーライフ
本日(2014年4月30日)は生きがいデイのボランティア。
世間はゴールデンウィーク真っ只中だが、この開催はカレンダー通りなのである。
そして、サービス利用者は10人。
やはりこれくらいの人数だと賑やかで楽しい。
(^_^)

海抜表示

2014年04月14日 | じもてぃーライフ
本日(2014年4月14日)午後、我が家の近所に"海抜表示"なるものが設置された。
これは"津波被害に対する危機意識の啓発"という目的もあるのだろう。
ここの通りに設置されたのは【海抜7m】という表示。
赤い大きな文字で書かれているので、この標識の存在に気がつきさえすれば、すぐに認識できることだろう。
ちなみに、1993(平成5)年7月12日午後10時17分に奥尻島沖の日本海海底で発生した"北海道南西沖地震"(マグニチュード7.8)の際に奥尻町藻内地区では最大遡上高30.6mの津波を記録し、2011(平成23)年3月11日午後2時46分に宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル、仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋海底で発生した"東北地方太平洋沖地震"(マグニチュード9.0)の際には岩手県宮古市で最大遡上40.5mの津波を記録しているとのことである。
まぁ、こことは海底地形など環境条件も違うので・・・。
(-_-;)

平成26年度増毛中学校入学式

2014年04月06日 | じもてぃーライフ
本日(2014年4月6日)午後1時30分より増毛町立増毛中学校の"平成26年度入学式"が挙行されたことから、これに出席した。
事前の連絡が必要だったので、先月行われた某事業の際に出席であることを伝えたつもりでいたのだが、やはり担当の人が別の行事で頭が一杯になっているだろう現場でそのような連絡事項を伝えてはいけないということをまず再認識し、反省した。
今後は気をつけよう。
(^_^;)
午後1時現在の増毛町は(アメダスデータによると)気温0.9℃、西南西の風10.8m/sで、天気予報通りに湿った雪が散らついており、何だか"入学式"というより"卒業証書授与式"という雰囲気の景色だった。
関東地方ではもう桜が満開だというが、まぁ北海道なのでこれは仕方がないだろう。
さて、本日の入学式を迎えた生徒数は32人で、若干男子生徒が多かったようだ。
お父さんもお母さんも随分と若い世代になって、仁左衛門よりも年齢が上の人達はついに見当たらなくなってしまったようである。
(^_^)
新入生の皆さんは、式辞において学校長が述べられていたように、ここでの3年間充分に"鍛錬"し、将来立派に"自立"できるような礎をここで築いてほしいと思う。
頑張れ。

増毛おじさんzuのライブコンサート

2014年02月12日 | じもてぃーライフ
先日(2014年2月7日)オーベルジュましけ(増毛町別苅)での増毛町ボランティアセンター"ボランティア親睦会"に参加した後、事務局の佐○さんと華音(増毛町永寿町2丁目)に寄って2人で二次会。
(^。^)
玄関のドアを開ける前から随分と大きな音が聞こえていたとおり、店内ではライブコンサートが行われていて賑やかだったが、演奏していたのは"増毛おじさんzu"という3人組。
最後に演奏した1曲を聞いただけだったが、なかなかに格好良いおじさん達だった。
(^_^)

第1回生きがいデイ局長杯 渡る世間の鬼倒せ!!大会

2014年02月06日 | じもてぃーライフ
本日(2014年2月6日)は増毛町老人福祉センターで"生きがいデイサービス"のお手伝い。
家の用事を済ませていたら、出掛けるのがすっかり遅くなってしまった。
(^_^;)
本日のサービス利用者は、ナント4人。
木曜日の利用者も随分と少なくなってしまったのだが、来週には"無料見学会/送迎付き"を実施するようでもあるし、また沢山の人に利用されるようになっていってほしいものである。
さて、本日午前中は"第1回生きがいデイ局長杯 渡る世間の鬼倒せ!!大会"を実施。
(^_^)
これはボーリングゲームを使っての曜日対抗戦だ。
それぞれの曜日で参加人数が違うことから、勝負は総得点ではなく平均点で行うらしいのだが、助っ人で入ったはずの事務局長がどうやら本日の平均点を引き下げていたようだった。
(^。^)

たこ焼きデイ

2014年01月17日 | じもてぃーライフ
2014(平成26)年第1回目の"生きがいデイ"のお手伝いは、【たこ焼きデイ】だった。
普段のお昼はサービス利用者それぞれが持参した弁当を食べるのだが、この日は皆でたこ焼きを作って食べたのだ。
(^。^)
午前中のゲームのあと、調理室で随分と立派なたこの足や野菜を切り、機能回復訓練室へ運んだ。
増毛町社会福祉協議会事務局の佐○さんが随分と馴れた手つきでタネ作りから焼き方までのほとんどを担ってくれたので、綺麗に丸まったし、凄く美味しかった。
ただ、この日を一番楽しみにしていた斉○さんが風邪のために休んでしまったというのが少し残念。
次の"たこ焼きデイ"があれば是非参加して、美味しいたこ焼きを食べてほしいものである。
(^_^)

平成26年 増毛町成人式

2014年01月16日 | じもてぃーライフ
2014(平成26)年1月12日(日)午後2時から【平成26年 増毛町成人式】が行われたことから、これに出席した。
"出席した"といってもモチロン新成人であるわけもなく、来賓という立場である。
(^_^)
式典の前には"暑寒ウインドアンサンブル"の皆さんによる演奏が行われ、新成人の門出を祝福。
これはいつもと違う少人数の編成だったものの、迫力のある素晴らしい演奏だった。
この日のしおりには新成人38人の名前があったのだが、仁左衛門の同級生の子供や、小学生の頃から良く知っている何人かがいたりして、妙な気持ちになった。
さほど"歳をとった"との意識もないままに10年程が経過しているというわけなのである。
(^_^;)

増毛町商工会 平成26年新年会

2014年01月15日 | じもてぃーライフ
2014(平成26)年1月10日に"増毛町商工会 平成26年新年会"が開催されたので、これに出席した。
会場の"居酒屋 忠"(増毛町弁天町1丁目)に到着した時には帽子やダウンジャケットは雪で真っ白。
途中、物凄い吹雪に見舞われたのだ。
(^_^;)
ホワイトアウトというほどに酷くは無かったものの、見かけたクルマは徐行していたほどだった。
ただ、この日の新年会は、何もかもが凍ってしまいそうな外の寒さとは違って美味しい料理やお酒、楽しいゲームで大いに盛り上がった。
(^_^)

ふれあい広場2013ましけ

2013年12月01日 | じもてぃーライフ
昨日(2013年11月30日)午前10時から、増毛町社会福祉協議会が主催している【ふれあい広場2013ましけ】が開催されたので、今年もお手伝いをしてきた。
仁左衛門は1994(平成6)年からこの事業に係わっているので今年はちょうど20年目ということになるのだが、事業自体は1985(昭和60)年9月が第1回ということらしいので2013年は第28回とのことのようだ。
焼きそば、おでん等を販売した"くいだおれ横丁"のあと、ステージでは増毛中学校吹奏楽部の皆さんによる演奏会が行われた。
"笑点のテーマ"から始まった約30分間は、吹奏楽に止まらずハンドベルの演奏も行われ、なかなかに良い感じだった。
客席の年齢層はまちまちだったが、ステージの近くまで駆け寄って聞いている姿もあったし、自分も中学生になったらやってみたいと思った子供達は多かったのではないだろうか。
(^_^)

町民文化祭展示部門を見学

2013年11月01日 | じもてぃーライフ
昨日の"独居老人宅窓のビニール張り"は都合により参加できなかった仁左衛門だが、本日は"生きがいデイサービス"のお手伝い。
金曜日の担当は久しぶりだった。
いつもだと午前中は運動の時間なのだが、現在、元陣屋(永寿町4丁目)のギャラリーで"町民文化祭展示部門"の発表が行われていることから、利用者等全員でこれを見学してきた。
山○さんが担当していた時に一度見に行ったことを覚えていたのだが、あれからもう4年も経っていただなんて驚きだ。
どうやら前回も金曜日だったようだが、今回の提案者・荒○さんはきっと4年前のそのことを覚えていたのだろう。
(^。^)
ただ、前回は天気の良い日だったので徒歩で往復したはずだったが、本日の増毛町はどんよりとした曇り空で、気温も(午前10時現在)10.1℃と低かったことから、増毛町社会福祉協議会の所有車で往復した。
元陣屋2階ギャラリーのちぎり絵・革工芸等の展示作品もみごとな出来だったが、1階ロビーに展示していた沢山の菊も丁寧に形が整えられた物ばかりだった。
よくあれほど丸く整えられるものだと感心する。
(^_^)

椅子型昇降機

2013年10月13日 | じもてぃーライフ
2013年10月10日(木)は、"生きがいデイサービス"のお手伝いの日だった。
最近は随分とサービス利用者が減少し、月曜などは休止せざるを得ない状況にまでなっている同事業。
この木曜も以前は随分と利用者が多くて賑やかだったのだが、一桁台の利用者数になってしまって久しい。
さて、この"生きがいデイサービス"は増毛町老人福祉センターを利用して実施している事業なのであるが、1981(昭和56)年に落成したこの施設は、高齢者の利用を前提にしながらも、何せ設計思想が古いために段差が多い。
"生きがいデイサービス"に使用している"機能回復訓練室"と"集会室"は2階なので、当然階段を利用しなければならないのであるが、エレベーターの設置も出来ないことから椅子型昇降機を設置している次第である。
階段の横に設置されたこの椅子型昇降機はかなりゆっくりと動くので、使ってみても恐怖感を覚えることはないという。
以前これを取り付けた頃に仁左衛門も(確か)一度使わせてもらったことがあったはずだが、最近は使用している人をほとんど見かけなかったこともあって、(いつも視界には捕らえていながらも)すっかりその存在を気にしないでいたのだった・・・。
(^_^;)
せっかくだから、皆さんもっと便利に使ってほしいと思う。

能登谷安紀子コンサート

2013年10月11日 | じもてぃーライフ
昨日(2013年10月10日)は"ましけ町民スクール"(平成25年度)第4回講座だったので、これに出掛けてきた。
仁左衛門は毎年度この会員になっていながらも、これまではほとんど顔を出したことがなかったのだが、今年度は(ホンマでっかTVのヘビーなファンである)仁左衛門妻に誘われて第2回(脳科学者・澤口俊之氏)・第3回(中部大学工学教授・武田邦彦氏)と続けて講座を拝聴した。
そして、第4回の【能登谷安紀子コンサート~ヴァイオリン&ギター(薮田建吾)】の能登谷安紀子氏は、仁左衛門妻の高校時代のクラスメートということであり、今回は仁左衛門母も気になったのか一緒に出掛けた。
ここにきて"ましけ町民スクール"に関しての仁左衛門妻は我が家の中で絶大な影響力を保持するに至ったというわけである。
(^。^)
さて、弦楽器の音などは、普段FMラジオやCDを音源にしたステレオスピーカーからの音を聞くことしかない仁左衛門であるが、生で聞く弦の音というのはやはり迫力がある。
ひとつの楽器からいくつもの音が同時に出ているような気さえしてきて素晴らしかった。
終了後には、同級生ということで一緒に写真撮影をさせていただいた仁左衛門妻だが、さすがプロの音楽家という雰囲気の能登谷氏と並んで立つ仁左衛門妻は、ピースサインや変顔爆発で写真に収まっていた。
あまりの懐かしさから、気持ちは高校生の時代に戻っていたようだった・・・。
(^_^;)

ふるさと絵本 ましけだいすき

2013年10月08日 | じもてぃーライフ
『ふるさと絵本 ましけだいすき』(1988年/増毛町・増毛町教育委員会)という題名の冊子。
これは仁左衛門妹の所有物だったのだが、部屋を片付けた時にもう不要だということだったのでありがたく頂戴した。
1988(昭和63)年当時の仁左衛門妹は(確か)かもめ幼稚園に勤務していたこともあって、当時の絵本や学習書を捨てずに取っておいたのかもしれないが、古い家というのは何十年も前のいろいろな物が出てくるから楽しい。
(^。^)
ページを開いていくと、
「広い空。青い海。みんな大きくはばたきましょう。ましけのカモメのように元気よく」
「増毛厳島神社の夏まつり。皆、赤いべべ着てボンボリつけて みんな楽しくお祝いしよう」
等と、どのページにも増毛のことを題材にした文章があり、切り絵をモチーフにしたような綺麗なイラストが描かれていてナカナカ良かった。
今でも充分に使える内容だ。
(^_^)

潤澄寺鐘楼堂の梵鐘

2013年10月07日 | じもてぃーライフ
2013(平成25)年9月某日(確か25日)、夕方午後5時12分頃から突然に♪ごーん♪という音が不均等な間隔を置いて3回ほど響いた。
普段聞きなれない音であり、事故等の衝撃音とは明らかに違う。
どうやらそれは、以前から噂として聞こえてきてはいたのだが、潤澄寺(増毛町畠中町3丁目)の鐘楼堂に梵鐘が設置され、その試し打ちがされた音らしかった。
数日後に辺りを通ると真っ白なさらしに包まれた大きな梵鐘と橦木が吊るされていたので、近いうちに白いさらしが外されて、夕方になるとここの鐘の音が増毛町内に響き渡ることになるのだろう。
(^_^)
『増毛町史』(1974年刊)に「法流山潤澄寺(浄土真宗大谷派)は、安政5(1858)年本山東本願寺の使僧が来道した際に越中国川郡北嶋安養寺をして渡島国松前の専念寺より分立創立せしめた」との記述があるのだが、『東本願寺北海道開教百年史』(1974年刊)では「明治維新以前は天塩沿岸に真宗寺院は一ヵ寺もなかった」と記されているとのことで、それを踏まえてか、『新増毛町史』(2006年刊)には「はっきりしているのは江州の僧堀江玄竜が明治元(1868)年に増毛に来て、翌2年5月に土地と家屋を買い受けて独力で説教所を開いたことである。町史の記述からは10年後になるが、それでも増毛の潤澄寺は真宗寺院の中では天塩国で最も早く創建された」と記述されている。
潤澄寺の寺基が永寿町5番地より永寿町2丁目を経て現在地に移ったのは1897(明治30)年で、この鐘楼堂が落成したのは1900(明治33)年のこと(『増毛町史』)。
『増毛町史』にも『新増毛町史』にも当時の梵鐘に関する詳細な記述はないのだが、日中戦争・太平洋戦争の際の『国家総動員法』(1941年8月30日公布・同年9月1日施行)に基づく『金属類回収令』(勅令第835号/1941年8月30日公布・同年9月1日施行)により、国宝等を除く江戸時代以降の梵鐘が日本国中から供出され、溶かして軍需品の原料とされたらしいので、ここ潤澄寺の当時の梵鐘も例外とはされなかったことだろう。
仁左衛門や近所の人達が聞いた平成25年のこの日の鐘の音は、日本が中国やアメリカと戦争をしていた頃以来、約70年ぶりに鳴った鐘の音だったというわけである。