露花便り

福山市の庭師のブログです。庭師の仕事や日々の生活の中からやさしさに包まれる出来事や気付きを綴っていきます。

アンリ・ル・シダネル展

2012-08-16 02:20:30 | 旅行


ひろしま美術館で開催中の「アンリ・ル・シダネル展」に行きました。
待ちに待った日本で最初の本格的な個展です。








私にとって、シダネルは特別な存在です。
ちょっと長くなりますが、不思議な縁を感じる出来事があったので、お話したいと思います。


16歳の誕生日、私は倉敷にある「大原美術館」を初めて訪れました。
数々の名画に感動しましたが、この絵の前に立った時、強い衝撃と懐かしさを感じました。





        「夕暮れの小卓」{ヌムール}   アンリ=ル=シダネル



あぁ、この絵の中の場所に私は居たな。

この光景はよく見た懐かしい景色・・。

ごく自然にそう感じて、この絵の前に立ち続けました。
人は描かれませんが、さっきまでここに居た気配と遠景の窓からこぼれる明かりが水面に移り、
泣きたいような懐かしい感覚。


それから何度この絵に会いに行ったかわかりません。
インターネットなどない時代でしたから、「シダネル」という人がどんな人かも
どんな作品があるのかもわかりませんでしたので、大原美術館に会いにいくのみ。
小さな複製画を購入し、部屋に飾っていました。


月日が経ち、30歳の誕生日。
お世話になった方より「フランスの美しいバラの村、スミレの村」という本を頂きました。



当時ガーデナーとしてもてはやされ、テレビや新聞に取り上げられて
自分のアイデアで何でもできるというような錯覚に取りつかれていた私は、本からのインスピレーションを嫌いました。
美しい写真集として本を開くことはありましたが、文章をじっくり読んで共感してしまうと、
なんだか負けたような敗北感を感じる気がしていました。
未熟者の私は文章を読むこともなく、でもどこか不思議な魅力の詰まったこの写真集を大切にしていました。



そして三年前、親方と出会って沼隈に越してきました。
親方はこの写真集を見るなり、美しいバラの村「ジェルブロワ」に感動されました。
古い石畳、煉瓦と左官の溶け込んだ壁、歴史を刻むこの村の美しさと、
壁を覆う生命力に溢れたツルバラ。
「正直、バラを美しいと思ったことなかったが、バラに対する考えが180度変わった」
と言われました。
親方の言葉に影響を受けた私は、頂いてから6年も経ってから初めて全ての文章を読んでみました。


読み進むと、衝撃を受けました。

「ジェルブロワ」は中世の時代、フランス王とイギリス王に覇権を争われ、
500年もの間破壊と再建が繰り返された町でした。
殺戮や戦火、略奪などの幾多の苦難と波乱の歴史を乗り越え、1592年に休戦協定が結ばれました。
要塞が取り壊され、急に静かになった町は人も減り、滅びゆきつつありましたが、
20世紀初頭、一人の芸術家がこの町を訪れ、町に生気を取り戻させるのです。



その芸術家が、「アンリ・ル・シダネル」でした。
シダネルはジェルブロワの素朴な美しさに魅了され、バラを植えて村を再建していきます。
彼の努力と功績でジェルブロワは生まれ変わり、今ではフランスでもっとも美しい村の一つに選ばれています。
シダネルは過去の事物を愛し、賞賛しました。




「私が追及し続けた道は、おそらく、しかしそれが目的ではないが、
現代の様々な研究と対立する。実際は私が追及した道は自然の流れをたどり、
私が得られた共感もまた、我々の道に付随する光なのである。」
(小林晶子翻訳「アンリ・ル・シダネル」カタログより)




何気ない庭の片隅や植物、自然の穏やかさとやさしさ、そこに人が介入することで
生まれるあたたかい調和と安心感。


庭もそうでなければ意味がない。
どれだけ立派で、斬新で、かっこいいかではなくて、どれだけ愛情を注いで管理していけるか。
植物と造形物の調和ではなく、植物と人間の調和が優先です。
没後73年経っても全く色褪せないシダネルの精神を受け継いでいきたいです。




            「離れ屋」{ジェルブロワ}





16歳のときには庭に携わるなんて思ってもみませんでした。
仕事で庭に携わるようになっても、若い私にはシダネルの精神は理解できなかったと思います。

あの日から23年経ち、たくさんの方との出会いから、いろんなことを教わり、
この時期、このタイミングで気付くことができたんだなと思います。
数々のご縁に感謝します。

今はばらばらだったパズルの一つづつが繋がってきたことをじっくり噛み締めています。
ゆっくりちょっとずつしか進めませんが、これからも本物のちいさなかけらを見つけていきたいです。

長々となりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました


会期中に行けて本当に良かった~

画像や画集では細部の色使いがはっきりしませんが、生で見ると引き込まれるような
美しさですよ。

ひろしま美術館では9月2日まで開催で、会期中は無休です。
お近くの方は是非足を運んでみてくださいね。



あっという間にお盆休み終了です~


2 コメント

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Unknown (名無し)
2012-11-10 13:03:07
一枚の絵から現在の自分を投影された興味深いお話ですね。

ハプスブルク家の勃興と美術文化がクロスオーバーした最も華やいだ時代の欧州印象画派には個性的な画家さんが多いですね、モネとゴッホとか・・
それはポストモダンと言う、西洋文化の否定でもありました。ゴッホと仲違いしたゴーギャンなどはその最たる画家ですね。彼は文明を捨ててタヒチに理想の地を見出し、終の棲家としました。

どんな時代でも、見えないものを見ようとする芸術家の眼力には敬服します。

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(名無し)さんへ (Lucy)
2012-11-18 09:40:40
初コメントありがとうございます

そうですね、おっしゃるように印象派と呼ばれる画家はそれまでの芸術や文化を大きく変えました。

神話や聖書などの物語ではなく、何気ない風景や
普通の一般人を描くなんて、今となってはごく自然な当たり前のことですが、
それまでは芸術の世界ではありえないことでした。

その後、1900年から1920年代にかけて、フランスの
芸術活動に大きな変化が起こりました。

シャガール等の「エコール・ド・パリ」、ピカソを代表とする「キュビスム」、
マティスやルオー等の「フォービスム」など前衛とされる
多くの芸術家達が新しい流れを創り出しました。

シダネルら印象派の画家達にはこの芸術活動は理解できないものだったに違いありません。
それでも彼は「レ・ゼクセシフ」(極端な人たち)を批判することなく、
「私は死ぬまで全ての芸術家を愛する」と述べています。


古いもの、歴史が刻まれたものを愛し、価値観の違うものを受け入れ、
風景や静物を通して人の温かさを描き続けたシダネルに強く惹かれます。


「私が追及し続けた道は、おそらく、しかしそれが目的ではないが、 現代の様々な研究と対立する。実際は私が追及した道は自然の流れをたどり、 私が得られた共感もまた、我々の道に付随する光なのである。」


批判はしていませんが、言いたいことが凝縮されたこの言葉に心から共感します。
彼の没後73年が経ちましたが、時を越えて同じ想いでこの絵の前に立っていると感じ、記事にしてみました

庭の世界も音楽も芸術もよく似ています
ホッとする、自然とやさしい気持ちになれる時間を過ごせればと思います

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