真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

サアラ~2、『イエス・キリスト』と『マグダラのマリア』の”真実”

2024-03-20 20:47:25 | サアラさん

サアラという人は実はイエスつまりジ―ザスクライスト、この人の娘でした。

私の話を嘘だと思っていただくのも真実だと思っていただくのも皆さんの自由です。

ただ私はどうすることもできません。

私はただ自分の記憶に随って皆さんにお伝えするのみです。

私が知っていることはこれから皆さんが宇宙と大いなる交流をはじめるにあたって必要な話です。

しかし残念ながら地球上にはまだ宇宙にも真理にもそしてスピリチャルにも興味のない方がたくさんいらっしゃいます。

それが悪いわけではありません。

それもそれぞれの魂が選んだ道だからです。

ただ潜在的に皆さんが持っている皆さんの可能性に皆さん自身が気づくために知っていることをすべてシェアして行こうとそう決意した魂なのです。

さてイエスはご存じの通りキリスト教では神の子とされていますが、私の知っている限りは神の子ではありません。

だれか特定の一神教の神の子ではありません。

彼自身が全ての人の心の中に神の子が存在し、すべての人は神の化身だと言っています。

彼は宗教家ではありません。スピりチャルリーダーでもなかったかも知れません。

私が知る限りの、つまりサアラの知る限りの父親としてのイエス像は、決して宗教で語られている姿ではなかったのです。

彼は二代目のイスラエルの王のダビデの血脈を引く子孫です。

そして彼の妻であるみなさんが言うところのマクダリアノマリアは初代イスラエルの王サウルの血脈を引く直系の子孫です。

つまりマクダリアノマリア彼女は、つまりこの当時は知らないものがいないほど有名人でした。彼女はまさにイスラエルの女王だったのです。

当時の王族は常に女性がすべての財産を引き受けそして次の世代へ譲って行く役割を持っています。

「継ぎき制」と言われて、その幹である家系に受け継いで行くのです。

ですからマクダリアノマリアはサウルのマリアとして立派に誰からも認められたイスラエルの女王でした。

そこに嫁いだのがイエスです。

この二人はローマの圧政にあえぐ時代のイスラエルの国を支えようとしていました。

国民はこの二人に多大な期待をしていました。

だからこそ彼等の婚姻は秘密にされていました。

もし彼等の婚姻が公になりその子供たちが生まれ来たと知られれば間違いなく暗殺のターゲットなってしまうからです。

さてこの話はまたの機会にするとして、私自身の話をして行きましょう。

この二人の間に生まれた私の人生は当然のことながら苛酷な人生でした。

彼等は常にローマの官々達に追われ常に見張られちょっとした行為も悪くとられることが多かったからです。

私は自由の身ではありませんでした。

本来ならば次世代の女王であったはずのサラは奴隷の子として育てられました。

その当時の私、色が黒かったんです。

それは彼等にとって好都合でした。

ですから生れて来た時から外では奴隷のように振る舞わなければなりませんでした。

私の色の黒いことを利用してエジプトから連れて来た奴隷の子と思わせかったのです。

私は子供の時から父親に甘えることができませんでした。

父親は我が子を守るために必死で冷たくしました。

恩情をかければかけるほど危険の色が濃くなるからです。

私は常に孤独でした。

その孤独な気持ちを母は紛らわしてやろうと常に私には朗らかに接してくれました。

しかし、それでも人前で彼らが私の顔も見ることもありませんでした。

私は常に彼等から離れて歩きました。

常に荷物を持ちました。

何らかの助力を彼らに対して持たなければならなったからです。

やがて父親は見せかけの「磔刑(たっけい)」に遭いそしてインドへと旅立ちました。

残された家族はすべての財産をまとめそしてただちに南フランスへと渡りました。

南フランスへの船旅は苛酷でした。

しかしそんなことは言っていられません。

多くの財産を持って南フランスへと渡った我々はその地で新たなイスラエルを開いたのです。

さて私の魂はここがスタートではありません。

イエスの子として生まれる前にエジプトに三十六回も転生しました。

その時は神官のまあ見習いとして言ったらいいでしょうか。

そこで三十六回もの人生を苛酷なトレーニングで終えました。

その前の人生もその前の人生も決して楽な人生はありませんでした。

私は地球に生まれて来る前に長い間第八世界という戦いの世界で戦士をやっていました。

女戦士です。

私の魂はとてつもなく古いのです。

私は戦士をやっていた時、これはとても興味深い話に聞こえてくると思います。

なぜなら私は始めて人類種とドラコニア種が掛け合わされて造られたハイブリッド一号だったからです。

続く


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第三章 天性の変化と修法 (一)天性は円通無礙(えんつうむげ)であるが人心は喜怒哀楽に変ずる

2024-03-20 19:47:40 | 天道の淵源

(一)天性は円通無礙(えんつうむげ)であるが人心は喜怒哀楽に変ずる

天性の変化と修法について述べてみたいと思います。

形象なき天性を論理的に説明ができても、実際にこれを深く分析・解剖し、その由来と起源を明らかにすることは、困難な問題でもあります。

しかしこれは、われわれ天道人の最も重大な課題であって、自分をもふくめて、すべての人々の天性を明らかに浄化し、元の姿に回復させる責任があります。

天性とは、われわれの「真如」の姿であり「本来の面目」であります。

つまり、われわれにも一如来が存在している訳で、汚れなき美しい光明体なのです。

それが歴世の輪廻に入り、悪の因果と業縁を繰り返しているうちに、すっかり堕落腐敗して本性が極度に汚染され、光沢を失ってしまいました。

果ては残霊と化したり、破廉恥行為によって天真爛漫な本性が深い傷痕を残してしまいました。

たとえ家の中に電球がついていても、戸口や窓を締め幕を引いては光が遮断されてしまいます。

聖賢に値するほどの霊も、それを内に秘めては人々に及ぼす徳光にはなりません。

また何百燭光の電球も、内の発光線が切れていては本来の用途を喪失(そうしつ)するのと同じく、仙仏の器たる本霊を持っていても神と通ずる線が切れていては元の機能が損なわれます。

腐敗するには腐敗する原因があり、悪化するには必ずその由来があります。

それを究明し、それを根治して真理・神仏との交わりを結ぶのが、天命を帯びて働くわれわれの本務であります。

天道は、われわれの真面目を復活して欠けることのない円通無礙(えんつうむげ:すらすらと物事が運ぶ)の姿に返らせる法授がります。

天性とは、父母未生以来の面目であり、人間の喜怒哀楽の情、いずれにも意未だ流れていない時の中に和なるところの霊をいっているのであります。

修道とは、この玲瓏(れいろう)天真なる天性の清明に到達することを目標とし、悪濁なる俗塵に曇らされた霊気をだんだんと浄化して行くを言います。

われわれの霊の当初は、老〇様(ラウム)によって賦(さず)けられ、純然たる羅漢・菩薩の姿であり、神の御子にふさわしい聖霊でありました。

もともと神ラウムが創り給うた原子霊でありましたが、約六万年間、三界を転生しているうちに絶え間なく過失と清算が繰り返され、その過程をへて現世に賢愚聖凡の別が生じたわけであります。

宿命とは、前世の貸し借りの因縁を背負って今生に受けている境遇のことで、一つの霊が過去に何百回、何千回と形を換えて生まれてきた果であります。

人間降世より約六万年と聖訓にあります。

人生百年ですから、まともに人間に生まれても都合六百回はこの地上に顔見せしている勘定になります。

動物や虫・魚類になりますと、寿命がずっと短くなりますからそれを含めると、何千回地獄と人間界を往復してきたかわかりません。

人間として百年間の人生に数多くの因果関係を結んでいます。

それが何百回の転生の間に、縦横に、前後に、いかに因縁を結んだかはかり知れません。

こうした複雑な因果は、波紋が広がるように幾重にもわれわれを囲み、左右前後に網目のような関連性をもって溺(から)み繞(まつわ)っているありさまであります。

運命や環境は皆そこから織りなす結果であって、心の作用によって聖賢仙仏智成、悪魔・夜叉の霊とも変じてしまいます。

心霊を修め、修行することがいかに貴重な問題であるか、それは天国と地獄にわかれていく重要性を帯びているのです。

「差は毫厘(ごうりん)なれどこれ千里に遠し」という諺にありますが、迷いと悟りの違い、修煉するかしないかの違いによって、今後永遠にその人と、子孫に対して禍か福をもたらすものであります。

麗しい本性に立ち戻って物事を行うなら、万事に欠け余りもなく多方面に和して成さざるものはありません。

物事が不明なのは、天性が明らかでないためであり、妙智慧の輝きがない故です。

人間界に生まれ、この肉体に霊気が流れて、「心」と変化してしまいます。

本より性・心・身は一体であり、この三つが組み合わされ始めて一個人の生命が成り立つのであります。

孟子様は「性は本善なり」と主張して「本性は相近づくものであるが、習性になると相遠ざかるものである。」といわれました。

官能の赴くままの心は後天的なもので、性命、すなわち霊魂は上天、老〇様(ラウム)の与え給うもので皆一様であります。

「天性」とは、「上天の与え給うた霊性」という意味で、人間を主宰し、絶対善的存在であり、純善無垢の透明体であり、一点の悪のまじり気もない姿であります。

ところが当初は遮ることのできない霊明な光彩があっても、天性が一旦肉体に流れ入りますと、喜怒哀楽を含む心と変じてしまいます。

心は身体の発達に従って、欲求の度合いが強くなってまいります。

眼・耳・鼻・舌・身・意が六根で、これが色・声・香・味・触・法という身外の物象に牽引され偏り、染まり、放蕩化してしまいます。

もともとの心は天性の使官であり、天性にかわって身体に発令し、正しい行動を左右するものであります。

つまり天性は本体であり、心はその用であります。

続く


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【Ray:アラハバキは、『真理の目(眉間の一点)』の象徴!】【超古代信仰】ヤバすぎる東北の神〝アラハバキ〟

2024-03-20 08:35:40 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

Ray:アラハバキは、日本原人の魂、聖なる九龍!渦巻きの中心は創造の象徴!

石造の顔は👁を表しフリーメーソンと同義、西洋のフリーメーソンの原形!

神社を支配階級傀儡である空海の真言宗などと習合しているのは、諏訪の守矢一族がエンリルの化身であることによる!?

【超古代信仰】ヤバすぎる東北の神〝アラハバキ〟


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【Ray:聖書はエンリル支配の偽書!】【旧約聖書】バベルの塔を作った〝ニムロデ〟は世界統一を果たした最初の人間だった!?

2024-03-20 08:29:16 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

【旧約聖書】バベルの塔を作った〝ニムロデ〟は世界統一を果たした最初の人間だった!?


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サアラ~1, 『大宇宙中央議会《アインソフ》メンバー』”魂 “(ソウルシステム)について

2024-03-20 01:36:26 | サアラさん

魂とは何か、この魂の仕組み、ソールシステムについて多くの人は混乱しています。

魂はこの宇宙の根源、創造の根源であるボイド、『空が空自身の意志によって、空に存在する全ての可能性を知るために創られたシステムです。

これは実によくできているんです。

魂はここにあるまるで空気のように分けることができないスピリットを一つ一つ分離させることが可能なシステムでもあります。

皆さん一人一人がここに別の魂を持っているけれど、その魂に内包されているのはスピリットと呼ばれる意識です。

意識という言葉を使いましたが意識はエネルギーでもあり、情報ということもできます。

宇宙に充満したたくさんのこの情報、たくさんの意図、たくさんの可能性、これらを分けるため魂という器ができています。

そして一つの大きな魂からたくさんの小さな魂へと分離されて行きます。

一つ一つの大きな魂をマスターソウルと呼んでいます。

マスターソウルがたくさんの情報を含んでいますが、この情報とは可能性でもあるわけです。

ここに潜在する可能性を一つ一つの魂がそれぞれ役割分担しながら顕在化し、そして自らが体験することによって知ろうとしているのです。

なぜなら空は空自身に潜在している可能性をすべて知りたくてたまらないからです。

この空の可能性をそれぞれ少しずつ分担して、皆さん一人一人がこの世界で実現化し自ら体験し、そして感じ取ったことは、実はこれらは皆さん自身の宝ものであるばかりでなく宇宙全体の共有財産として納められるのです。

私達の財産はここにあるたくさんの可能性であり、その可能性が具現化できた喜びと歓喜に満ちた感覚、これらが宇宙中の宝ものなんです。

みなさん一人一人の力は決して小さくはありません。

みなさんのルーツはマスターソウルであり、そのマスターソウルから自分が選んだ可能性を自らの魂に刻印し、潜在化させてここにやって来ました。

その情報は皆さんの個々人の個性を特定するものであり性質や考え方や、そして好奇心、何に興味が向き、何に関心があるのか、又、何に喜びを感じ、何を悲しい苦しいと感じるのか、これらの感性の違いも皆さんが持っている魂の中の情報の違いから現れます。マスターソウルから頂いたそれらの情報はただ単にコピーを取って持ってきただけです。

ですから皆さんが何かに気づいて何か大きな変化が起きれば、当然マスターソウルの中にも大きな変化が起きるわけです。

そしてそれは同じマスターソウルから分かれて来たたくさんの仲間たち共有し合う事になります。

マスターソウルは一つではありません。

マスターソウルは更に大きなマスターソウルから生まれて来ています。

ですからこれはまるで入子のようにつぎからつぎへとより大きなマスターソウルから少し小さなマスターソウルへ、そしてその少し小さなマスターソウルからより小さなマスターソウルへと分岐し分裂して行きます。

そしてその末端にあるのが皆さん個人個人一人一人の魂となります。

ですから、みなさんのふるさと、故郷は実は場所ではありません。

どこかの惑星でもどこかのエリア―でもありません。

みなさんが生まれ出てくる前はマスターソウルにいたのです。

そしてマスターソウルに帰ってそのマスターソウルが自分だと認識できるのです。

さてこのマスターソウルからあなたがどんな情報をコピーして持ってくるかは、あなたやあなたの仲間が一緒に決めた、そうな風に認識するとよいでしょう。

生まれてくる前はマスターソウル自身があなたですから、誰かに相談するわけではありませんが、ここに生れたときはもう仲間たちという認識に変わってしまうからです。

みなさんがよく過去世という言葉を使っています。

私達は過去世とは言いません。

私達はマスターソウルからただコピーを取ってきたということを知っているからです。

私の魂の中には、そう誰か私に言ったように誰でも血を引く、ソロモンの子サアラこの人の情報が入っています。

みなさん風に言えば私の過去世はサアラだったと言うことになるわけですね。

しかし、実際のところ私の人生だった分けではありません。

ただ私の一つの記憶としてコピーを取ってきたそう言うわけです。

私はこのサアラという女性を自分自身のように認識することができます。

そして彼女が今何をしたいのか私自身何をしたいのか、これがぴたりと一致しているからここに一つとして存在しています。魂について少しお分かりいただけたでしょうか。

このサアラという人は実はイエスつまりジ―ザスクライスト、この人の娘でした。

続く


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