真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

うた桜子×深田「パンデック条約と改憲で失われる健康の自由」後半はニコニコ

2024-03-31 20:40:18 | ONEメッセージ

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【サアラさん】『天津神 vs 国津神』分離から統合へ~神話の真実

2024-03-31 18:50:07 | サアラさん

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性理題釋~二、人と道との関係

2024-03-30 19:41:15 | 性理題釋

二、人と道との関係

 中庸に「道は須臾も離る可からざるなり、離る可きは道にあらざるなり」 “道は片時も離れることができないものである。

離れられるものは道ではない” 道とは真理であります。

人が必ず通じなければならない路であります。

人が平常道徳に依存しているのは、あたかも汽車が軌道の上を走り、船が水上に浮かび、飛行機が空中を飛ぶ様なものです。

もし汽車が軌道を離れ、船が水を離れ、飛行機が空気を離れれば、危険この上なく必ず大事故を引きおこします。

同様に人がもし道を離れると、社会に於いては法律の制裁を受け、死後は陰府(地獄)で閻魔王の制裁を受け、輪廻に墜ち、四生(胎生、卵生、湿生、化生)、六道(天道、人道、地獄道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道)の間を転変して止むことなく、無辺の苦海を彷徨うこと極まりがありません。

孔子様は「君子は死すとも善道を守る」と申され、又、「君子は道を憂い、貧を憂えず」「君子は道を楽しむ」などと言って“道を体得された方は死を以て道を守り、貧乏を嘆かず、道の足りないことを嘆き、又、道の成就されることを楽しみにした”と申されました。 

顔回(顔子)は道を得て、拳々服膺して、片時も道を忘れることなく、そして終身これを失いませんでした。

曽子は道を得て、戦々兢々として畏れ慎み、一日己の身を三省しました。このようにして見れば、道と人との間の密接な関係がありますが、惜しいことに世人は皆これを度外視しています。

孔子様は「誰か能く出ずるに戸によらざらんや、何ぞこの道に由らざるはなし」と言って“何びとと雖も戸によらずして出づることができましょうか、又、何ごともこの道によって、その物事が成就するのに、世の人々はこれを知らないのである”と嘆かれました。

※ 三省: 曽子曰く

吾れ日に三たび吾が身を省みる

1、人のために謀りて忠ならざる乎:友人の相談にのって、それのみならず、その人のために行動して忠実であったか。

2、朋友と交わりて信ならざる乎:真義を欠いていなかったか。

3、習わざるを伝うる乎:よく呑み込んでいないのに相手に教えていなかったか。

続く


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第三章 天性の変化と修法 (九)識神・鬼魄・濁精・遊魂・妄意の五物について

2024-03-30 19:39:30 | 天道の淵源

(九)識神・鬼魄・濁精・遊魂・妄意の五物について

識神・鬼魄・濁精・遊魂・妄意の五物が我々の生活に及ぼす影響は大きく、用い方の違いによって吉凶禍福と異なった運命を招いてしまうのです。

以下に五物の性質を説いて参考に供します。

修行をされてゆく上において、裨益(ひえき:補い、助けになること)になればと思います。

(1)遊魂

これは数多くの輪廻を経歴してきたもので、人となるのも、悪魔となるのも、遊魂次第であり、善悪を行って聖賢・罪人となり、あるいは畜生動物と形が変わるのも遊魂がもたらした結果なのです。

遊魂は我々の体が生まれない前から来て、気がいまだ絶えない前に去ってしまいます。

懐胎月満ちて出生の時、口鼻から気が入って大きく泣く一声で、霊魂は玄関を通じて体内に入ります。

遊魂が一度竅(きゅう:穴から入る)すると、後天木性の気を受け、先天五行の気の元性と後天の命が相融合します。

泣かなければ成りません。

それが遊魂がいまだ入体しないと、たとえ元性であっても、単独では存在できないからです。先天性が真ならば後天命は仮になる訳です。

仮が真によって尊坐すると同時に、又、真も仮に世ララければ現世に留まることはできません。

ここに始めて後天の命となり、人の心と変わります。

(2)気魄

これは血液の霊気を借り、後天の金性の気を受けて凝結します。

生まれて七十七、四十九日目に始めて全うされ、生活の推進力になり、意志を固める力となります。

死後、七十七,四十九にして始めて滅び去る性質のものです。

俗に「亡者に七十七,四十九日の期あり」と言われているのはこれ故です。

よく魄力に富むとか、気魄に充ちるとか言っていますが、これも気魄の動きを指しています。

人によって旺盛であったり、衰弱したりしますが、これは精神の安定、不安定を大きく左右します。

遊魂は滅びずに絶えない輪廻を繰り返しているのに比べて、気魄は体に従って生まれ、体に従って消滅します。

つまり、個性という枠の存在となっています。

(3)識神

これは後天・火性の霊気によって生じたのですが、源は魂からでたのです。

識とは意識・記憶の意味ですが、釈尊は五蘊(ごうん:色・受・想・行・識)の心意の変化過程の中に識を終わりに置いています。

識神の本質は決して悪ではありませんが、過去と現在に経験したことで、善行の意識や記憶よりも悪と罪の方が遥かに多く刻まれているようです。

悪の力は強く、また忘れがたいので、これが苦厄と煩悩の種となっている故に、浄化して正しい識見を持つべきだと説いています。

識神は二つの極端性を持っています。

一つは、官能の赴くままに欲望と快楽に耽(ふけ)りたいという識念です。

これは卑しく低級で無益です。

一つは、自分を苦しめるのに夢中になってゆくことです。

不必要な卑屈感に落ちたり、強い精神分裂症に罹(かか)ったり、幻想にとらわれてしまったりして、自分を失ってしまいます。

これは下等で愚かしいことです。

この二つの極端を捨てて中道(天道)を悟れば、元神に返れます。

そうすれば、高い認識と深い洞察力が得られます。

(4)濁精

これは、後天・水性の霊気を受けて生じたのですが、元は魄から出たものです。

淫念や性欲の強い人、あるいは残忍性の欲望を抱く人は、この濁精を最も濃厚に持っている人です。

五臓・六腑から分泌される津液(じんえき:血以外のすべての体液の総称)や淫念や生理によって排泄される精血は、ともに濁精の部類に入ります。

これらが体内において調和や平均が欠けてしまうと魄力が衰え、元神が昏(蔵)くなります。

魂が動揺を来してしまいます。

中世欧州では、人間の体質をきめるには四つの体液があり、その混合の割合から種々の違った体質・気質の人間ができることを発見しました。

その一つに膵臓(すいぞう)から分泌する憂愁液(メランコリック)という液体があってこの液体の割合が大きい人は精神的に不安定で脅えやすく、感情や気分が急激に極端な変化をおこし、一度ある感情にとらわれると、それに夢中になって前後の見境がなくなってしまうことを明らかにしました。

この欲求不満の状態が感情の不安定へと発展してしまうのも、濁精の不均衡による作用からくるのです。

(5)妄意

これは後天・土性の霊気を受けて生じ、種々の顧慮(こりょ:深く考えて、それに思いをめぐらすこと)なり、思考や動作を発令するので、精・神・魂・魄の四物を使役する主的存在です。

物事はすべて心意から起こり、心意に基づき心意から成り立ちます。

もし、心意が穢れてしまうと言行が歪曲して苦悩や煩悩が後からついてきます。

ちょうど、車を引く牛の後に車がついてくるように離れないでしょう。

その反対に心意が清らかになり、無一念・無一物の境地に至れると、幸福と平安がついてきます。

ちょうど、影が我々に付き添って離れないのと同じです。

怨恨に対する復仇(ふくしゅう)の執念も意から出るものであり、恩義に対する感謝の一念も、意から発したものです。

喧嘩をおこすのも、仲良くするのも、それぞれみんな意念の働きによって決まるのですから、たとえ小さな動きでも重要な結果を生むことになります。

これらは皆我々の出生後に附着してきたのですから、これを後天命と言います。

この後天五物を得道によって正しい先天の五元・五徳の本善の性に還源すべきであります。

 続く


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2024年辰年に蘇る二大龍神の秘密がヤバい!

2024-03-30 16:02:10 | 弥勒浄土

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